2019年6月3日月曜日

上原鈴子(上原大祐の母)           ・【アスリート誕生物語】

上原鈴子(上原大祐の母) ・【アスリート誕生物語】パラリンピックアイススレッジホッケー銀メダリスト 
アイススレッジホッケーと言うのは、下半身に障害を持つ人のために、アイスホッケーのルールを一部変更して行うスポーツです。
上原大祐選手はパラリンピックに3回出場、トリノ、バンクーバー、ピョンチャン。

小さなころからやんちゃ子でしたので、このスポーツに巡り合えてよかったと思います。
スケートの刃を2枚付けたソリの上に乗り、スティックは2本持って、すべりながら的に向かって打つと言う難しい競技ですが、あの子は始めて直ぐに上手くなってしまって、周りの人も吃驚していました。
多少の怪我は仕方ないとあまり気にしていませんでした。
生れた時から二分脊椎症でした。
お腹にいる時には普通に動いていました。
生れてすぐに先生から身体に異常があると言う事で、二分脊椎症と言われました。
2週間目に応急の手術が必要だと言われました。
障害が出るかもしれないと言われました。
2年位は病院と家だけの行き帰りで、未来に対して不安で毎日めそめそしていました。
リハビリの先生から病院のすぐそばに、障害を持っている子の保育園があることを教えてもらいました。
行ったら吃驚してしまいました、みんな明るく元気に笑っていたりしていました。
「めそめそ毎日泣いていても何も始まらないでしょう」、と言われてそれがきっかけで自分も前に進もうと思いました。(2歳の終わりごろ)
そこは一人ではないという安心感もありました。

本人からはこんな体でと言う事は言われませんでしたが、大きな手術があり、痛い思いをさせたので、泣かせた分だけ笑顔でいようと思って育てていました
大祐は足が悪いのはいつか治ると思っていたようでしたが、直らない事が判って来て、高校生の時に「こんな体に産んで」、と言われた時には切なかったが仕方ないと思いました。
大祐が車椅子に乗ったのは3歳の時でした。
何でも興味を持つ子で車椅子に乗って見たいと言いました。
観たい、聞きたいやりたいと言ったことはすべてやらせてきました。
小学校に入ると自転車に乗りたがるので、調べたり聴いたりしていたら、群馬県に手でこぐ自転車があることが判って、購入したら喜びました。
学校の行事も色々あって、スケート教室もあり、考えて補装具をつければ立てると言う事が判って、大きなスケート靴にすれば大丈夫そうだと思いました。
リングにつれていったら大喜びでした。
遠足でも1~10までは出来ないが、1~5までできるなら一緒に遠足に行けると言う事で、行くと周りが自然と助けてくれるようになりました。

小学校に入るにあたっては、教育委員会にお願いしにいったんですが、車椅子ではと言う事で断られてしまいました。(前例がないと言う事でした。)
普通学校でやっていける自信がありました。
幼稚園の時から周りには友達がいて、遊び方がうまかったです。
何回も話し合いをして、最終的には私が付き添う事で入学の許可をいただきました。
勇気がいりますが、先ずは親が第一歩を踏みださないと開けないと思いました。
元気に明るく、社会の一員として自立させたいという目標があったので、普通学級をと考えました。
大祐は何でもやってみたいと言う考えがあり、それに対して私がその宿題をなんとかクリアしたいと思って動きました。
建築関係をやりたいと言う事でそっちの大学に進みました。
大祐の車椅子を作ってくれている社長さんも車椅子を使用していて、その方がアイスホッケーをやっていました。
大祐は車椅子をよく壊すので、これはアイスホッケーに向いていると言ってくれました。
リンクまでは家から2時間かかり、練習が朝早いので大祐が車の免許を取っていけることになりました。

頭角を現すのはすごく早かったです。
周りとも仲良くなって楽しくやっていました。
2006年24歳でトリノパラリンピックに出場、次のバンクーバーでは銀メダル。
努力が報われたと思って、観ていて本当に嬉しかったです。
リンクで試合をやっていた姿は本当にかっこよくて、引退して残念ですが、今は色んな事をやっているので違うところで輝ければいいと思います。
2014年にNPO法人を立ち上げる。
学校生活の中で出来なかった事に畑の作業があり、障害のある子も畑作業ができるようにしようとしました。
車椅子でもはいれるように工夫して作業して、収穫物も一緒にみんなで食べると言う、そうすると一緒に体験できて嬉しいと笑顔を見せてくれます。
夏にはキャンプもやっています。
私もNPOを手伝っています。
大祐が小、中、高校と普通学校に行ったという経験を話すと、大丈夫なんだねと力強く思ってくれるので、前例を作ったことは凄く生かされていると思います。

先ずはやって見ると言う事を伝えたい、やらないでできないはないと言うのは無い、やって見て駄目だったら違う方法、考え方を見付ければいい事であって、初めから駄目では進めない。
子育て中は本当に忙しかったですが、本が好きだったので本を読んだりしていましたが、今暇になって時間がたっぷりあるのに時間を上手く使えてない。
人間って忙しくてもやればできるんですよね、
障害のある子が生まれてきたことはどうにもできないことで、大祐と真剣に向き合って育てて行くしかないし、私も大祐の親になったんだから前に進むしかないと思いました。
大祐は色々な活動を通して沢山の方と知り合う事が出来て、頼りにされたり、必要とされている大祐は私にとっても誇りであり、それが私にとっての一番の親孝行かと思っています。