2019年6月10日月曜日

穂村 弘(歌人)             ・【ほむほむのふむふむ】歌人 東 直子

穂村 弘(歌人)             ・【ほむほむのふむふむ】歌人 東 直子
東:穗村さんのひとつ歳下です。
1963年広島県安佐郡安佐町(現・広島市安佐北区)生まれ。
大学在学中に演劇活動、お芝居演じたり脚本を書いたりしていました。
結婚後、1990年より「MOE」に短歌、詩、童話の投稿を始めました。
1993年より歌人集団「かばん」同人。
1996年、「草かんむりの訪問者」で第7回歌壇賞受賞。
2006年には「長崎くんの指」で小説家としてもデビュー。
2016年には『いとの森の家』で第31回坪田譲治文学賞受賞。
短歌を始めたきっかけは、取っていた雑誌で短歌の投稿欄が始まり、そこに投稿していました。
短歌欄の選者は林あまりさんでした。
古典は好きでした。
姉(小林久美子 歌人)の家に加藤治郎さんの歌集がありました。
面白いと思って投稿を始めました。
2,3年して勉強したいと思ってお会いしたのが加藤治郎さんでした。
これを読むと言い言われて薦められたのが穗村さんの「シンジケート」でした。

穂村:そのころは会社に夜中まで行っていて、通勤も長かったので通勤時間帯などを利用して短歌を作っていました。
3年間でためたお金を全部使って自主出版してました。
パソコンの前の時代は短冊に書いたものを畳の上に並び変えたりしていました。
本に纏める時の短歌の位置関係を決めるのに苦労しました。
良いはずの歌が落ちることを恐れるようにとアドバイスされ、納得しました。
とにかく本に入れて歴史のジャッジに任せろと言うふうにも言われました。

東:穗村さんの短歌紹介
「ぬきとった指輪クジャクに投げうってお食べそいつがおまえのえさよ」
くじゃくが指輪を冷静な目で見ているような絵が浮かんで、恋を諦めてクジャクのような存在に譲ったみたいな、そう云う事かと思います。
穂村:別れの歌で主体は激しい女性です。 
クジャクと言う綺麗な動物に投げると言うところに、ギリギリの別れのテンションのような、全体に芝居がかったような感じです。

穂村:東さんの短歌紹介
「おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする」
大事なものに繋がる大事なものと知っているが、何故か私は失くしてしまう気がする、と言うところが面白いと思います。
鍵と書かれているが、思い出、愛とかを自然に感じさせるところがあり、シンプルな言葉でそういう感情をゆさぶってくるものが、東さんの歌にはあります。
東さんが登場したことで僕は話し言葉の短歌は、今後消えることなくジャンルとして成立すると確信しました。

東:穗村さんの短歌紹介
「錆びて行く廃車の山のミラーたち一斉に空映せ十月」
イメージが伝わってきます。
滅びて行くだけの存在が美しいものをいま映している、その光景の悲しさとともにある美をシャープなイメージで詠んでいます。
現実の風景なんだけれども、廃車が積まれて山のようになっていて、哀れな感じがするがその中に美しさを見出して光がこちら側に反射してくるような、滅びて来るものに対する同情を寄せているようでその切り口が新鮮でした。

穂村:東さんの短歌紹介
「一度だけ好きと思った一度だけ死ねと思った非常階段」
こういう恋もあるのかなあと言う感じです。
自分でも知覚できないような恋の感情というものもあるような気がする。
非常階段は物理的な場所と言うより真理のことなのかなあと言うような、非常階段に二人がいるような。
テンションの高い短歌です。
東:真理を詠むことはよくありますが、自分でもなんで非常階段が出てきたのか判らないが、ふっと浮かんだ一首でした。

東:穗村さんの短歌紹介
「芸をしないクマにもあげると手の甲に静かに載せられた角砂糖」
状況が面白いです、女の子が男の子におそらく貴方は芸をしないクマですけど、御褒美の角砂糖をあげると言って、手の甲に乗せたといった不思議な場面だと思います。
ファンダジー性があるが、あるリアリティーもあると思いました。
現代の女の子のユニークさを出してきて、典型的な日本女性ではない、新しい女子像を短歌の作品の中で登場させた最初の人ではないかなと思います。
穂村:掌でないところがみそです。
掌だとそこにはコミュニケーションが成立している。
微妙なディスコミュニケーションの感情があって、そこが好きなところです。

穂村:東さんの短歌紹介
「廃村を告げる活字に桃の皮触れれば滲み行くばかり 来て」
新聞紙の上で桃を切り分けてているんだと思います。
廃村を告げる活字と言うのは、そういう記事が新聞紙にたまたま載っていたのを見たんだろうと、その活字に桃の皮が触れると滲んでしまう。
廃村は誰かが住んでいたところが無くなってしまうと言う事、それを伝えている新聞紙も捨てられる、記事そのものの文字がにじんで読めなくなる、この世の全ての物は滅びる、今だけのものだと言う感覚が鳴り響くように高まって、 それで「来て」、だから今この時を二人で分けあわなくてはいけないと言う感覚が、最期の「来て」という二文字は、凄くセクシーな愛の歌で、言われた方は吃驚すると思います。