2019年6月23日日曜日

権藤 博(元プロ野球投手・監督)     ・【スポーツ名場面の裏側で】

権藤 博(元プロ野球投手・監督)     ・【スポーツ名場面の裏側で】
プロ野球中日ドラゴンズの新人投手として35勝を挙げ新人王となり、横浜ベースターズの監督として日本一になった権藤さんのお話です。
現在80歳、佐賀県出身。
県立鳥栖高校から社会人野球ブリジストンタイヤを経て、昭和36年中日ドラゴンズに入団、その年いきなり35勝を挙げて新人王ほか投手部門のタイトルを独占しました。
真っ向から投げおろす快速球と落差の大きいカーブで三振の取れる力で押す右ピッチャーでした。
2年目も30勝を挙げ、今では考えられないような連続30勝と言う成績を残しました。
しかしこの登板過多がたたって、3年目以降右肩を痛め思う様なピッチングができなくなります。
内野手に転向しますが僅か8年で現役を引退することになります。
中日、近鉄、福岡ダイエー、横浜のピッチングコーチの後、平成10年横浜ベイスターズの監督に就任し、いきなり横浜を日本一に導きました。
1月に野球殿堂りが発表され、元中日の立浪和義さん、高野連の元会長の脇村春夫さん、とともに権藤 博さんの3人が選ばれました。

歴代のメンバーを見ただけであんな人と一緒になったのかと思いました。
昭和36年開幕第二戦、対巨人戦プロ初登板することになる。
巨人は川上新監督 先発ピッチャーは掘内投手、8回まで4-0で押さえて居た。
9回裏 王選手がセンターにヒット、高林選手が2ベースヒットで1点取られたが、4-1で初登板初勝利。
3番サード長島と放送があった時には俺は大変なところにいるんだと思いました。
長島さんから「いい球なげるね、頑張ってよ」と敵チームなのにすれ違いざまに言われました。
この年奪三振はリーグ最多の310個でしたが、長島さんから三振は取れませんでした。
初戦で勝って20勝するためにはこれを20回やらなければいけないのかと思いました。
8月には25勝あげることができました。
8月27日甲子園球場で対阪神ダブルヘッダー
第一試合権藤-村山の投手戦、完投勝ちとなる。
阪神は巨人とデッドヒートをやっていた。
第一試合を終わって「権藤、肩を冷やすな」と言われてシャワーで肩を温めていました。
当時は冷やすと言う事はもってのほかで、泳いではいけない、風に当たってはいけないとか言われていました。
第二試合、7回からマウンドに上がりました。
押さえて1-0で中日が勝ち、一日で2勝をあげました。(27勝)

7月の雨の時期に12日間で4試合しか試合が無かったが、4試合すべて投げる。
「権藤、権藤、雨、権藤」という流行語が生まれる。
一日休めば先発するものだと思っていました。
この年35勝あげる、12完封、奪三振310個、防御率1.70(セ・リーグNO1)
429回1/3イニングス登板は60年近くたった今のセ・リーグ登板最多回数として記録が残っている。
投手部門のタイトルを根こそぎ取った。
杉浦さん、稲尾さんという大投手がいましたから、稲尾さんはその年42勝しましたから、上には上がいると思っていました。
2年目も30勝マーク、1年目は69試合、2年目は61試合を投げる。
シーズン130試合なので約半分を投げたことになる。
登板過多のため3年目以降は故障で苦しむことになる。
82勝60負 以後内野手に転向。
入団から8年(29歳)で現役引退する。

中日、近鉄、福岡ダイエー、横浜のピッチングコーチを務める。
平成10年 監督就任。
6月下旬から首位に立って2位中日に6ゲーム差、勝てば優勝というゲーム。
対阪神戦ナイトゲーム。
2-3とリードされた8回、4-3と逆転、8回裏から大魔神佐々木が登場、3者連続三振、38年振りにリーグ優勝を果たす。
前日中日が負けたのでマジック1になり勝負を掛けようとした。
斎藤を先発に急遽決めて佐々木にリリーフをして貰おうと思った。
事前には佐々木には登板はないといっていた(緊張するものと思って)が、登板させることにしたが、いまだにその事に怒っています。
内野手は全部ゴールデンクラブ、センター、この守りは凄かったと思う。
先発も上手く行き中継ぎにもローテーションが出来ました。
日本シリーズは西武との対戦。
2勝2敗の後第5戦20安打で17-5で3勝とする。
第6戦8回まで0-0、8回裏2点を取り、9回西武を1点に抑えて2-1で38年振りに日本一になる。

昭和13年佐賀県生まれ、鳥栖高校では内野手であったが投手に転向、佐賀大会では決勝で敗れる。
ブリヂストンタイヤに入社、同社の久留米工場野球部でプレーしていた。
昭和36年中日に入団、3年目から肩の故障で苦しむ。
オフの間の過ごし方がよくなかったと思う。
オフは肩を休ませろと言う事でランニングなどはやっていたが、肩を休ませたので筋、筋肉が固まってしまったのが失敗だと思います。
今では一般的にオフでもキャッチボールをしたりして肩を慣らしていますが。
当時投げて潰れるなら本望だと思いました、オフの肩を休ませたのはよくなかった。
コーチになってからは選手の痛み、苦しみも判るようになりました。
選手の個性をいかに出すか、そこしか考えていませんでした。
優勝を争うようになるとコーチとして監督とは対立することもありました。
グラウンド、ブルペンでの話はします、それぞれの投手によって相手に対する攻め方は違うので、投手全員集めて話してもあまり意味がない。
WBCでピッチングコーチを78歳で勤める。
選手の体格、パワーが昔と違ってきました。
バッター、ピッチャー共に技術も上がってきています。
人と同じことをやっていてはだめだと思っていて、何を取り入れるのか、取り入れるための観察眼が必要だと思います。
選手は個性を出してもらいたい。