2019年6月6日木曜日

山本龍香(カラー魚拓作家)        ・魚の美しさをありのままに

山本龍香(カラー魚拓作家)        ・魚の美しさをありのままに
魚拓は釣りあげた魚の表面に墨を塗って和紙または布に魚の姿を写し取ると言うことですが、山本さん(74歳)の技術開発によってそのイメージは覆されました。
魚釣りを趣味としてきた山本さんは、釣り上げた魚を魚拓に残して自分の記録として楽しんできました。
或る時カラー魚拓の世界があることを知った山本さんは、すっかり美しいカラー魚拓の世界に染まって、独自カラーインクを開発したことから日本美術魚拓連盟を組織化して、事務局長として魚拓作家の横のつながりの強化に努力してきました。
今やカラー魚拓の技術は日本の伝統文化として世界中に知れ渡り、出張教授として出かけた国は15カ国、お弟子さんは2000名を越える程になっています。
命を終えた魚をカラー魚拓として後世に残す、山本さんは魚拓にどんな愛情を吹き込んでいるのか伺いました。

色んな魚をやってきて深海魚に目を向けてきて、深海魚をもっとみんなに知らしめたいと思っています。
生き生きとした感じをご覧いただきたいと思っています。
よく魚にお話をします、何食べてたの、どういう魚拓にしたらいいのかねと、声には出さないけれど気持ちを込めて聴くんです。
学術的な面でもまだ図鑑とか無いようなものも、人の目に見ていただくので中途半端なものを作ってはいけないと思いました。
30歳までは釣り道具も買えなかったが、やっと釣り道具を買って、釣った魚を魚拓に作って記録として残しました。
或る時に晴海でボートショーがあって、そこで魚拓の作業をやっていました。
真鯛の綺麗な赤い色で、カルチャーショックを受けて3時間位ずーっと見ていました。
それが色のついた魚拓の最初の経験でした。

同好会があるので観に来なさいと言われて、翌週に行きました。
アジ、カレイ、など色々やってきました。
3時間位やっていました。
「美術魚拓竜の子会」という会でそこに入会しました。
高尾龍三郎先生が主催していました。
8年間学びましたが、営業をやっていたので時間調整が付かず7割ぐらいの出席でした。
名取にしようと言ってくれて、山本龍香と言う名前をいただきました。
実家が東松山で、母の面倒を見るために帰ってきました。
魚拓をやっていると言う事で魚拓会を作ろうと言う事で「インターナショナル魚拓工房」と言う名前にしました。
いつかは海外に広めようと言う思いがあったんだろうと思います。
60歳で定年を迎えて、釣りとか料理したりして魚拓を作って1000種類以上の作品を作りました。
教室には生徒は小学4年生から、高齢では門前仲町から94歳の方が2時間かかってきました。

鯛は赤だとか魚は一色では決めないで、顕微鏡でうろこを良く見ると色んな色が入っています。
色を重ねて奥行きのある色を出します。
3年間色々勉強して、色彩研究所などに行ったりして、色々な印刷会社をまわって、インクを作っている子会社からインクを分けてもらいました。
色を混ぜて行くと究極的には黒くなりますが、色を重ねて行っても黒くならないように、微妙な色のコントラスト、グラデーション的に仕上がってくるんです。
布の場合と和紙の場合があります。
和紙は薄い方がいいです。
魚の上に薄い紙を置いてタンポにインクを湿らせて、軽く叩くと鱗とかひれが浮かび上がります。
絹でも着物の裏地に使う薄いものがいいです。
魚拓の場合は実寸でおこない、絵でもなければ写真でも無いです。
泳いでいるような形が表現できる。

試行錯誤の末に生み出したのが世界最高品質の油性カラー魚拓インクです。
印刷会社でポスターに使ったりする最高級の発色のいいインクにワニスとか添加物を入れて魚拓用に調合しました。
10色ありますが、それを混ぜ合わせることによって無限大の色が出せます。
NHKさんのふれあいホールをお借りすることができて、北海道から九州までの魚拓家を調べて40人の方に趣旨を言って、作品を一堂に集めて意見を交換しようと言う事であつまりました。
そこから横のつながりができました。
草の根外交的に海外の方にも魚拓を教えています。
50,60歳のころにホームページを立ち上げて、英語の記事も載せました。
それを見た方たちが来るようになりました。
持ち帰って地元のカルチャーと融合する訳です。
世界的な魚拓のイベントをやりたいと思っています。
教室で魚拓したならば、頂きますと手を合わせて魚を有難く食べる、これまでを私の教室の範囲としています。

ダイオウイカですが、窪寺 恒己博士がタコとイカの権威の先生で、ダイオウイカがプールみたいなところにホルマリン浸けになっていましたが、魚拓にしてみたいと思いました。
交渉して2枚魚拓を作りたいと伝えました。
窪寺先生は小笠原でダイオウイカを釣り上げた人です。
実寸大のカラーの魚拓があったら講演会の迫力が違うと言う事で、是非やって欲しいと言われました。
イカは腕(足ではない)が8本、触椀が2本あります。
全長 6.7mでした。
国立博物館からは2枚で2日間でやって欲しいと言われました。
ホルマリンの除去をしたかったが、時間が無いので仲間に助けられて11人でやりました。
ホルマリンの為に目からポロポロ涙を流しながら作業したり、途中でお腹から水が出てきたりして挫折しそうになったりしましたが、色々工夫してやり遂げることができました。
1枚は国立博物館に寄贈しました。
45年間の魚拓の経験の中では思い出深いものです。

漁師さんからは珍しい魚が上がると連絡があります。
静岡県の焼津魚港、富山湾のひみ漁港などから連絡が来ます。
推定年齢350歳というカグラザメを魚拓しました。
ラブカ 古代魚で1億年以上前から姿形が変わっていない魚ですが、魚拓をして解剖もしましたが、中からサクラエビが出てきました。
ラブカはサクラエビを追ってきて網にかかったようです。
メヒカリも深海魚ですがポピュラーになってきました。
魚拓の仕上げの最後に細い筆で丁寧に目を書きます。
群馬県の博物館で2020年夏に深海の展示会場の中で山本龍香魚拓コーナーを設けて下さって、凝った内容で色んな作品が飾られる予定になっています。
感謝の印として魚拓を魚を釣った人に差し上げているので自分の処に残っているのは少ないです。