2019年6月26日水曜日

小笠原左衛門尉亮軒(園芸文化協会会長)    ・【心に花を咲かせて】蓮の花を楽しむ 

小笠原左衛門尉亮軒(園芸文化協会会長)    ・【心に花を咲かせて】蓮の花を楽しむ 
日本各地の池で夏になるとが花が咲いて涼やかな姿が多くの人を魅了しています。
蓮の花は2000年も前から日本に自生していました。
よく見かけるのはピンク、白い花ですが、実はもっと多くの種類があるんだそうです。
小笠原左衛門尉亮軒さんは現在80歳、江戸の園芸に詳しく古い書物や錦絵の収集家でもあり、公益社団法人園芸文化協会会長です。
通称御隠居、会社を御子息に譲られてから戸籍名も小笠原左衛門尉亮軒と改めて、以前以上に古典、園芸植物を育て園芸文化を広めています。
様々な花に詳しい方ですが中でも蓮の花は50年に渡り育て愛でているそうです。
蓮の花にまつわる話を伺いました。

蓮の花の中には6月下旬から開花し始めたり、9月のお彼岸まで咲いている種類もあります。
葉の一部分がくさび状に切れて居て葉が浮いている(浮き葉)ほうが睡蓮で、蓮は円形で最初1、2枚は水面に浮いているが、少し温度が上がってくると水面から上に浮き出で来て、葉が大きく大きく開く、立葉と言っています。
色は濃いピンクが原種で、日本、中国、タイ、インドあたりに在ります。
白花、ピンク等が出てきました。
おしべの部分が花弁に代わってヤエと言う形になります。
14,5枚の花びらがありその中にめしべが沢山あり、蜂巣と言われる様な(花托)穴があいている形になっています。
花托の部分まで花びらになってしまった種類もあります。
しゃくやく蓮、千弁蓮とか色んな名前があります。
アメリカにも黄色い蓮の原種があります。
それを日本送られてきて、王子蓮と名前を付けました。
他にももっと黄色の濃いものがあり明美蓮と呼んでいます。
日本では私の友人富永さんが600種類を育てています。
蓮は水を沢山吸います。(カメの栽培だと大変です)
私も30種類ほど栽培しています。
白い花は最初は外が薄緑色をしています。

千葉県の検見川で2000年前の泥炭層から種を東大の大賀先生が見つけ発芽させました。(「大賀蓮」)
従来の和蓮よりも早く花が咲き、全国に広がりました。
江戸の初期のころには中国から多くの品種が入って来て増えたらしいです。
松平定信が寛政の改革を行ったあと、隠退して築地あたりに蓮をコレクションしました。
それを全部スケッチして残したそうです。
蓮は朝夜が明けるころにコップ状に咲いて8時を過ぎると萎んでしまい、2日目にはお椀状に咲き昼ごろに萎みます 。
3日目は一番外側が水平以上に開き、午後2,3時頃には元に戻っていきます。
4日目は夜明けから外側から花びらが落ち始めて、お昼ごろまでには全部の花びらが落ちてしまいます。
レンゲ(蓮華)のスプーンは蓮の花からきた言葉です。

松平定信が種を全国から集めて栽培したようです。
1品種1容器で栽培します。
「清香画譜」として松平定信はスケッチしたものを残した。
「荷」は花を指し、「蓮」は全体を言います。
「藤壷蓮」は鷹司家(五摂家のひとつで公家)にあったと言うものです。
蓮仲間が色々いたようです。
「感得蓮」 水戸家のものだったと言うことです。
「妙蓮」花びらが1500~2000枚と言う花びらがあります。
「妙蓮」は私は15年間カメでつくったが一回も花が咲きませんでした。
「千弁連」を富永さんから分けてもらいましたが、これは咲いてくれました。
これは除々に花びらが落ちて行き1カ月位は咲いています。

香りは作ってみないと判らない、特に早朝香りは清い香りがして楽しめます。
泥のなかからでてきて咲きますが、泥のかけら一つ付かなく純白の花が咲きます。
上野の不忍池の蓮は琵琶湖から来ているようです。
京都を模したと言われる。
東叡山寛永寺(比叡山の東のお寺) 比叡山延暦寺には琵琶湖の蓮があるのでそこから来たと言われる。
上野の不忍池は琵琶湖を模している。
琵琶湖には竹生島があり弁天様が祭られているので、不忍池にも弁天堂があります。
そこには長らく橋は無かったそうです、竹生島があり弁天様には舟でお参りをしていたので同じ様にしていた。(今は石橋が掛けられている、都内で一番古い橋)
清水堂もあり、大仏もあった。(今は首だけになっているが)
現在は赤い花だけがあるが、元は白い蓮、まだら蓮もあったのではないかと思われる。
「観蓮会」がありそこで花の説明、品種、歴史などを話しています。
その打ち上げの時には「象鼻杯」といって蓮の葉っぱを盃に見立てて、茎を口にくわえて、葉っぱに酒を注いで、茎には蓮根と同じ数の穴があいているので、吸うと喉に入ってきます。
葉っぱのいい香りがほのかに香って味も一段と増します。