2013年2月9日土曜日

長尾和宏(医師54歳)       ・平穏に最後を迎えるために

長尾和宏(医師54歳)    平穏に最後を迎えるために        
震災後、長尾医師は徐々に開業への意志を固めていた
不治の病でも末期の状態でも延命治療がおこなわれる現代の医療 死を考える時にだれしも
考えるのが、平穏に最後を迎える 平穏死です
長尾さんは死をむやみに先延ばしにする延命治療を受けない選択肢もあるのではないかと
考えています
自分らしく生き抜きたい 自分の最後は自分で決めたい  
そう考える患者と向き合い700人の患者を在宅でみとってきた長尾さんに
ご自身の経験と現代医療の現状を踏まえ、平穏死とは何か、満足な死を迎えるには
どうしたら良いか伺います

クリニック365日 24時間対応している 10人のメンバーでやっている 
在宅診療も含めて250人ぐらい1日在宅患者300人位(病室が点在していると言う風に考えている)
看護師25人  在宅医療は往診と訪問診療から成り立つ  
訪問診療は毎週何時に行きますと言う様な形
向こうから問われて(出前みたいなもの  夜中でも出掛ける 私だけで夜中はやっている 
酒も飲めない)行く形 
実際に行く事はそんなには無い 電話だけで済む場合が多い 
年齢層も0歳~100歳まで多岐にわたる

神経難病で呼吸が出来なくなる若い患者もあり、対応している
歳がいけば、長患いをせずに1週間ぐらいであの世に行きたいと全員が思っているが、
殆ど叶いませんよと言うのが現実です
病院に11年間勤務していたが、いろんな病人を見てきたが、食べれ無くなる、血圧が下がる 、
貧血が起こる いろんな処置をする
点滴、輸血、酸素 いろんなことをやって行く 
管だらけになって苦しんで最後は麻酔を掛けられて亡くなって行く    
本人はそのつもりではなかった声が聞こえてきそうもない状態に医療は成ってしまっている
死は敗北だと 1分1秒でも延命することが医療の使命だと考えるようになってきている
在宅医療で沢山の死を見てきた 自然に任せて延命治療をしなければ、苦痛から解放されることが解りました

癌の末期は苦しむものと思っているが、しかしそこまでは苦しくはない  家族は吃驚する  
こんな楽な最期だったとは夢にも思わなかったという
治療した上で 抗がん剤、放射線 等やって 止め時が大切  食べれ無くなると点滴をします 
沢山します 
胃がんに成って癌性腹膜炎に成って腹水がたまる 腸閉塞みたいになり、食べれない 
弱ってゆく 脱水だと言う事で 首のところから高カロリー融液を投入する
沢山点滴する  一見いいように思うが、点滴の中身にはブドウ糖が入っている  
ブドウ糖は先に癌に取り込まれる  
PET 造影検査 造影剤を注射すると癌に集まる
  
原理はブドウ糖を注射したら癌が先に取り込む だから癌が光る訳です 
癌の末期の人にブドウ糖を注射したら 癌に集まり癌に餌をやる と同じ事になる 
延命治療というが、縮命治療だと思う   水がたまっている 腸の壁がむくんでいる  
お腹の中に水が過剰な状態 そこに水を入れる
本当は水を抜かなければいけない あるいは乾かさなくてはいけない 
処が待たずに逆に水を入れる そうすると余計にむくんで、水がたまる
水がたまると抜く訳 又脱水だからと 水を入れる   そういう処置材は要らない  
待っていれば腹水は減って行く  今の医療は待てない
基本的な事が全く考える機会がない 教育が無い  
終末期医療 についての理論的なものがない 

食べられない だから栄養を与えなくてはいけない だたそれだけ   
老衰、癌の末期 にそれをやると苦しんで苦しんで亡くなって行く
そういう事をやらなければ枯れる様に穏やかな最期がある 病院では待つと言う事がない 
患者は食べれませんとなると 待つと言う事をしないで、では点滴をしようと言う事になる
死は敗北だから何とか手を打ちたいと言う事になる  貧血 ほっと居たらいい  
癌の方は困る 栄養が来なくなるので待っていればいい
輸血しましょうと言う事になる そうすると癌にとっては良い環境に成る 
輸血して吐血して輸血して吐血  苦しむ  おかしいかなと思うようになって  
開業して在宅で自然死にしたらそういう事がないと言う事が判った

17年間やってきたが、その様なことがない  延命死 自然死は全く違う  信じてもらえない 
有名病院に3度ほど講演したことがあるが 首をかしげる
勤務医の最後の時に末期の人の首の癌の人、何もしないでくれと言われて 
なんにもしなかった事があった 1週間で亡くなるかと思ったが
1か月生きぬいたことが有った  延命治療をやらなければ、穏やかな最期は可能です
その様なことを信じてくれる医療者がほとんどいない 医療界ではまだ信じられていない  

父は鬱病で入院していた 高校3年生の時に父は自殺をしました 
父が京都に連れてってくれと言われて一緒にいった 中途で行方不明になって
警察に捜索依頼して、3日後に連絡があり、警察署の安置室に遺体と対面した  
父親の顔を見た時に初めて死と対面した
医者に成りたくて 人間をみたい 人間を観る医者に成りたいと思った  
「良き生」  生きることは楽しむこと 食べること 出来るだけ笑って過ごしたい
其れを叶えてやれるような方法を教える   それが医者の仕事ではないかと思った 
その先に自然な死が有るわけですし  癌、認知症 老衰でも 
ある程度先が見えてきたら、省エネモードに身体が入って来る  
省エネモードを邪魔しないで温かく見守る
 
必要なこと 例えば痛いとか、は苦痛だけは取ってあげる  緩和医療で取ってあげる  
それが本当の医療ではないかと思う
楽しく生きる その結果として一番最後には楽しく死ねると言う事がある   
末期がんのひとでも平穏死では食べて1時間後位に亡くなる
中々信じていただけない  そんなわけないだろうと思われている
サポートしてくれて見守る医者、看護師さんがいるかどうか (癌の末期、老衰に関して)
家族の問題が大事、  家族は救急車を呼ぶ(救急車を呼ぶということは延命処置を施すと言う事) 
ほっといてくれと遺書でも残しておくことも必要  
延命治療は要らないと、死ぬまでの処置の仕方を遺書にしておく  
リビングウイル  終末期に対する自分の意志を文書にしておく
公証役場では煩雑なので日本尊厳死会 団体に入ると元本を管理してくれる 2000円/年  
入会することも大事だと思う

法的に或る程度は有効だが、不透明な部分もある  倒れた場合家族が運んだ場合 
医者がそのカードを観ても延命治療をしてしまう場合があるかもしれない
家族が医者を訴える可能性があるかもしれない  延命治療をしなかった 延命治療を中止したと言う事で医者が書類送検されてきたという歴史があるので、延命処置をしなかったという事で
逮捕されるのではないかという恐怖が医者の側に有る

終末期の患者の意志を尊重する法律を国会の中で尊厳死議連 8年前から検討されている  
終末期、リビングウイルが有って終わりが近い 2人の医者のがいて判断して、逮捕されることがないという法律が検討されている
日本老年医学会  患者の終末期 患者の不利益が多い場合は 中止してもかまわないと
言うガイドラインが出ている
法が整えば日本の終末期医療も変わって来るのではないかと思う
「平穏死 10の条件」執筆  救急車を呼ぶ意味を考えよう  癌の末期で家で死にたい と
1日、2日だと  呼吸が止まった 救急車を呼ばれる

そこでいろんな処置をされる   本人の意志と違った事に成ってしまったと言う事がある
家で看取りと言う事に成れば救急車を呼ぶこともない  
救急車を呼ぶ云うことは延命処置をするという事に成る
胃糧(いろう)  本来は子供のための物だった(お腹に管を通して直接胃袋に栄養を与える道具) 使い方の問題 
食べれない人がもう一回食べれる様にするのが本来の使い方  
嚥下のリハビリ そしてもう一回たべれるようにする
アンハッピーな使い方 意志疎通が出来ない植物人間 飲み込みが出来ない 自分の唾さえ誤飲してしまう  本人は嫌がっている かわいそうな使用方法 

認知症は増えていて、段々食べれ無くなる 欧米では胃糧しても延命効果はないと認められた 
終末期に胃糧を入れることはない 
日本ではいろいろな意見がある  日本は胃糧が作り方、管理がうまいので延命に効果があると
も言われている
ハッピーな使用方法にしたい  胃糧を止めたいとの相談が一杯ある  
訴えられる事があるので止めることは難しい
今後は超高齢社会が来るのでどうしたらいいのか 課題がある
死はみんなやって来る  考えたくないことではあるが 少しは考えようと  リビングウイル 
自分の最後について或る程度考えておく 具体的に、実行しておく  自分だけでは完結しない 家族、医者 自分によりそってくれる理解の有る先生
を探しておく    ブロックして呉れる家族、外に表明しておくことが大事ですね