2013年1月1日火曜日

観世清和(53歳)        ・世阿弥生誕650年伝統の重みを受け継いで

観世清和(53歳) 世阿弥生誕650年伝統の重みを受け継いで
2013年は日本の伝統芸能 能楽の基礎を作った観阿弥の生誕680年 世阿弥の生誕 650年の
記念の年に成ります
最近ではこれを記念する本や雑誌を発売されるなど、能に関する関心が高まっています
観世清和さんは観阿弥 世阿弥の流れを汲む観世流の26世宗家として現代の能楽界をリードする
お一人です
国内はもとより、フランス、アメリカ、中国、ドイツなど積極的に講演を行い、フランスの文化勲章なども
受賞しています
観阿弥、 世阿弥 の子孫たる私達がお祝いできるのは大変有り難いことだと思います
観世会の特別講演が有る  ちなんだ演目を上演します  
元日には歌い初め  弟子たちも集まって歌い初めを行う  
徳川将軍家の時代に歌い初め式の名残りなんです
「老松」 「唐木」 「高砂」 舞いはなく 歌いだけを行う  芸道に精進して行こうとの思いも有る  
めでたい演目(徳川家は松平 なので松にちなんだ)世阿弥 
大天才 舞い、歌いも凄かった 顔も美しかったと言われる
心の優しさ 地獄に落ちた亡者が生きていた人生の中で、一番キラキラ輝いていた一瞬の時間を
もう一回地獄からひきあげてやって、もう一回舞台でそれを開花させてあげる
最後は成仏させてあげる  そういう優しさ、人間そのものを描き出したかった 
 
それが羽衣の天女、高砂の住吉明神であったり、地獄の釜の鬼の番人であったり 形は変わるが 
そういう人物像を使って矢張り生身の人間とは何ぞやと描きたかったんだろうと思います  
現代に通ずるテーマ
普遍的なテーマ 人を恋することだとか、愛だとか、戦争の無い平和な世の中が続いてほしいとか、
全編を通して何か祈りの心と言うのでしょうか
そもそも能学は鎮魂の芸術と言われている
観阿弥 「じねんこじ」  足利義満のまえで踊る 12,3歳の子供が踊るごとくに踊った
観阿弥は一体どこで勉強したのか 幼少期から世阿弥を仕込む 
(モーツアルト親子に似ていると比較される)

舞台人としてやって行くためにはパトロンが必要  マネージャー的なこともやっていた 
足利義満 17歳だった その出会いが能学を変える大きな瞬間だった  世阿弥が12歳  
この出会いが無ければ、将軍でありながら
文化的教養のある人でなかったならば、能の発展はなかったと思う
次の代 足利義持 非常に禅の世界にも傾倒されていた方で、京都の相国寺に観音羨望 
宗教儀礼が有り 長いお経の中で坊さんが二、三行飛ばしたのを指摘した
世阿弥も禅にたいして必然的にやらざるを得なかったのではないか
8代将軍 義正の時には装束をプレゼントして貰った(音阿弥元重に)   
「ともなが」(源義朝の子供の話) 観音羨望 その衣装を使った
子供の頃の稽古は余り言ってはいけない  童の純朴な気持ちを伸ばしてやらないといけない 
風姿花伝」 稽古の仕方の記述  解りやすいし、厳しい事が書いてある

自分の実体験と照らし合わして 日常の稽古に臨む 舞台に臨む
「初心忘るべからず」  初心 物事のスタートの時点での初心ではない  
スタートをしてしまって未熟な芸をやってた頃の初心 を世阿弥は説いている
いかに慢心してはいけない 天狗に成ってはいけない 
常に初心を忘れてはいけないという事は 如何に己が未熟であるかというその初心を
忘れちゃ行けないという戒め  幼少時のスタートだけでなく各年代の初心と言うか未熟な事を 
自分で自覚しながら次のステップに臨む
如何に己が未熟であるかという謙虚さを忘れてはいけない  特に芸に携わる人は   
一つ出来たからと言ってそれに慢心してはいけない
「離見の見」 能の舞台で泣く動作  「しより」  どういう格好で泣いているかを観れる冷静な
第三者の目をもっていなくてはいけない
己がどんな格好で泣いている姿をしているかという事を冷静に客観的に見れる目をもっていないと
駄目だとう事(どっぷり浸かるのではなく醒めた目)
禅の世界と共通する様な事 
  
こべしみ  世阿弥の衣装が現存している   先祖に対する生々しさを感じる
能 日本の古典文化は能に限らず、裃を脱いで頂いて能楽堂に足を運んで貰いたい
敷居の高さを出来るだけなくして行こうとしている   
日本人たるもの 何か一つでもそういうものに興味をもって貰いたいと思っている
若い人にもやっていただきたい  歌いの稽古  座ってやるのが厳しいと言われるが 
普及の方法をどうするか考えている
能楽堂でイヤホーンガイドをやっている  能学を鑑賞するための一つの手引きの手伝い  
(初心者の方に理解して貰う為の手段として)