2013年1月25日金曜日

諏訪内晶子(バイオリニスト41歳)   ・新たなステップ芸術監督への挑戦


諏訪内晶子(バイオリニスト41歳)    新たなステップ芸術監督への挑戦
バイオリニストの諏訪内さんは1990年 18歳の時に最年少でチャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門で優勝しました
以来20年余りパリを拠点に演奏活動を繰り広げ、日本を代表するバイオリニストとして活躍しています
その諏訪内さんが10年以上温めてきた企画、国際音楽祭でみずから芸術監督を務める事になりました 
これはこれまで演奏家として培ってきた音楽体験を若い芸術家と共有すると、ともに音楽を社会の為に生かそうと言う試みです
新しい音楽祭の名称は 「国際音楽祭 日本」です 今回は横浜を中心に東日本大震災で被災された仙台でも行います

今年は国際音楽祭が始まるのでそのための準備をしている 10年以上温めてきた企画  20代後半の時に ソリストとして活動してゆくだけでいいのかと思い始めた
自分で何かできることは何かと考えてきて、10年経ってこの様な音楽祭を開催する事が出来た  日本でズーっとバイオリンをして育ってきて何の経験もなく国際的な評価を頂いたので、 20数年海外で活動してきたが、矢張り日本にいろんな機会を頂いた  
事、活動出来てきたことに対して、日本の社会、日本のかたがたにお返しが出来ないかと 、しっかり目を向けて活動したいと思った

音楽祭で3つ大事にしていて 、
①もう少し私達が出来る事は何かという事で同じ世代の現役で活躍している演奏家と一緒に共演をして音楽祭をしてゆく
②作曲家と演奏家が別れてしまったので、中々日本では現代音楽は難しいと言われていますが、現代作曲家の新しい作品を紹介する
(どういう意図で作曲したのかという事を含めて紹介したい)  
現代作曲家と話すことによって逆にその前の世代の作曲家の事も判る様になると思う
作曲家が演奏会に出ることによって曲が変わって来ることが有るので楽しいと思う
今回はエサ=ペッカ・サロネンさんというフィンランドの作曲家 元々は指揮者として活躍された方  その方の指揮で行う
普通の演奏会とはちょっと違った演奏会が出来ればいいと思っている  
シビルイウスの作曲したバイオリンコンチェルトを演奏して第二部にサロネンさんが演奏

③教育的な部分もある マスタークラスを一応企画 ちょっとしたアドバイスは自分を振り返るきっかけに成るので 入れたかった(小学生~25歳以下が受講)
培ってきたものを子供達に機会を与える  仙台にも伺う  被災者の支援を含めていく
美術館でも演奏会をする  港みらいホールで主におこなうが、近くに美術館が有るのでコラボレーションを考えて美術館の中でも演奏を行う事になる
マスタークラスに受講した人にも演奏をして貰う  

1990年 18歳でチャイコフスキーコンクールで優勝  モスクワに留学したかったが出来なかったのでコンクールにいけばモスクワにいけると思って参加した
1989年ベルギーでバイオリンコンクールが有り、東西冷戦の時代であり それまで13年間ソ連のバイオリニストは来ていなかったが今回来ることになった
当然1,2,3位を独占するつもりでソ連は来たようであった 
その時に私が2位に食い込むことが出来た
1990年 審査員が15名いるが8名がソ連人 残りがほかの方々  15名全員の評価を得て優勝することが出来た

その後勉強期間に入る  桐朋学園大学 ジュリアード音楽院 コロンビア大学 ベルリン芸術大学 4つの大学で勉強する
長い期間 活動したいと想いが有って そのまま演奏活動をするよりも自分の時間を取った方がいいのではないかと思って充電期間を設けた
コロンビア大学では政治思想史を勉強した (音楽とは全然違う分野) 
先生が広く勉強した方が人間として豊かになるとの話が有りそういう選択をした
人間としての土台を作ってから活動したいと思った  見えて来るまではいろいろ悩みが有った
10代の頃はいろいろ良い先生に恵まれた 日本に居ながら世界レベルのテクニックを短期間に学べた 
明確にいろんなコンクールに行く為の目標を与えられた
20代は いろんな国で文化を吸収しながら勉強できた アイザック・スターンから1年に一度ぐらい指導を受けた 
スターン先生から音楽家だったら新聞を隅から隅まで見なさいと 言われた 世界で何が起こっているのかを理解しなさいと言われた
30代は自分の拠点をニューヨークからパリに移したので ヨーロッパで寄り活動の幅を広げていろいろな演奏家と意識的に交流を深めるようにした

17歳の時に演奏活動もしたのですが、ヨーロッパの歴史、重み、深みみたいなものに何となく自分には重すぎて仕舞って、何故重すぎてしまったのか
と言うと、そこに立ち向かうだけの物が自分になかった  
アメリカでいろんなことを吸収した後にヨーロッパに行って活動していきたいと思った
いろんな国が有るので言語、文化も違うし、ヨーロッパならではの難しさを沢山実感した
いろんな方、いろんな機会を頂いて、自分のなかに納めているだけではなく、自分の出来る範囲内で恩返しできたらいいと思って音楽祭で、活動出来たらいいなと思いました
 
自分で企画することによって、ただ演奏して自動的にいろんなことをするのではなくて、伝えて行きたいメッッセージをより明確に伝えたい
いろんなところでしてきたことに、日本の皆さんに伝えられればいいなと思ってきました  
20代の終わりころから頭に浮かんでいたことを実現出来れば良いと 思っていて、継続していきたい 隔年出来ればいいと思っている
自分の演奏活動を通して寄附する予定 (東日本大震災の被災者に対して)