天野祐吉 隠居大学(早坂暁)
四国・松山中学の天野さんの4年先輩 中学は5年生 旧制高校3年 その上に大学が有った 平賀源内を主人公にした ドラマが有ったが 現代の時事問題を織りこんだドラマで画期的だった 散歩の達人 心臓をやられて倒れて医者が 貴方は余りにも運動不足だと言われて、始めた
散歩はつまらないと思っていた
猫がいると思って、猫に会いたくて散歩を続ける様になった 心筋梗塞から始まって 余命2~3年と言われた
朝から肉が好きで 肉ばっかり食べ、仕事をめちゃくちゃやっていて、夜も寝ないで仕事をして、終わると麻雀で遊んで、酒を飲む という生活をしていた
「夢千代」の途中だった 病院で書いていた
1時間ドラマだったら4時間位で書いてしまう
野良猫を集めて、100匹位世話をした 旅先で猫を見つけて、連れて歩いていた
貰ってくれる人を探して 中々貰い手が無く苦労した
殆ど猫に名前を付ける 「あまてらす」という名前を付けるがこの猫がいると回りが旨く行く
猫は死ぬ前にいろいろなところに挨拶に行く
生前葬を行った
病気ばっかり50歳からしており、今度死ぬかと思うと怖いので 見せまいとして 強がっていたが化けの皮が剥げて来て、本当に苦しくなってきて、もう1年か あと3カ月かと思って あんまり苦しい物だから 先に死んでしまおうと思った
生前葬をやった お坊さんも呼んで、やって貰った やってよかった
何が良かったと言えば 香典が沢山貰って自分で使えるのが、良かった
3回忌 7回忌とか やる 弔辞を読んで貰った
貶すことは無い 自分がどのぐらいのものかを弔辞で評価して貰える
正岡子規が死ぬ2日前に作った俳句
ユーモアのセンスが有る
「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」
「螽焼く爺の話や嘘だらけ」
「渋柿は 馬鹿の薬に なるまいか」
俳句というのはユーモアを大事にするものでは、自分の命も 自然の中の一つとして、特別なんだけれど そこに飛んでる蝶とかトンボだとか と同列に見て詠む物ですからユーモアが出て来る
そういうところが俳句の面白さだと思う
戦争で帰ってきて、広島の惨状を見て 悲惨な思いで家に帰ってきたら、句会をやっていて なんだこの人達はと思ったが やっと戦争は終わったと感じた
「生きたくば 蝉の世になけ 八月は」 人の命と蝉の声が同列何ですね
人間が威張り腐っていると言う事ではなくて、小さな虫、トンボ、蝶 そんな弱い者と いたいけのものと 人間の命が同列にして ろんぐり引いて読むものですから 非常にユーモラスな光景に成ることもある
元々物書きになろうとは思わなかった
親戚の医者の後を継ごうと思っていたが、手術等は嫌いだった
受験受験は無かったので、旧制高校は青春を謳歌した 渥美清 小沢昭一 友達だった 海軍兵学校を出たが乗る戦艦はもうなかった
医者の道は嫌だった、東大、東京医科歯科大学 慶応を受けた
全部落ちて、日大の演劇科に入った
郷里に芝居小屋をもっていたので、演劇界に入って行った
役者になるのはむかない様な気がして、途方にくれる
雇ってくれるところが無く 駄目な人間だと思い知らされる
翻訳をやることになる 広告を取って来るように言われて、行くが全部断られる
見下していた連中が広告を取って来る
自分のみじめなところを見せたのが(その時にはずぶぬれでみじめな状況だった)
広告を取ることが出来た 東京に来てから食う事には困った