| 観世清和 ・世阿弥生誕650年伝統の重みを受け継いで |
| 「命には終わりあり 能には果てあるべからず」 一生勉強 一生修行 の事 ここまでやれば悟りの境地と言うのはない |
| 肉体も精神も20代、30代とは違ってくるし 同じ演目をやっても違ってくる 曲に対する解釈が違ってくる |
| 能をやる時に歌いもやらなくてはいけない 絶対不可欠の事 20代、30代の頃は一曲のお能を2~3日あれば丸暗記が出来たが 50歳を越えると |
| 2~3日では駄目 年をとっても一生 歌いはやらなくてはいけない |
| 1990年に家元を継ぐ 初舞台は4歳 紋付袴で 舞いを舞った 牛若丸を題材とした「鞍馬天狗」の花見のちごの役 |
| 源義経と同時に成長した ほとんどが牛若丸の役をこなしてきた それぞれの年齢と並行して役をこなしてきた |
| 牛若丸の人生と同じに生きてきた(配役) 12,3歳で子方を卒業した |
| 父が意外と身体を鍛えなければいけないとか、海に行って来いとか スキーに行って来いとか 体力作りをする様に言われたので意外と自由にできた |
| 先代は8歳で家元を継いでいるので、苦労した部分が有るのでしょう 自分が元気なうちは体力作り スポーツ奨励だった |
| 帝王学的な言葉は一切なかった 住み込みの内弟子と寝食を共にした |
| 31歳の時に宗家を継ぐ 父が60歳 還暦で亡くなった 舞台に穴をあけてはいけないと言う事で 父の舞台も私が勤めました |
| 2つの演目はやったことが無かったので親戚に頼んだ |
| クラッシック音楽、歌謡曲も 音楽は大好き ワーグナーの音楽に魅了されている ワーグナーも生誕200年 ワーグナーと共通点が有る |
| 金閣寺を作った足利義満 世阿弥のパトロン的存在 ルトビッヒ二世 ワーグナーのパトロン的存在 ノインシュバイン城を作った |
| 国、時代が違うが文化的融合性を感じる |
| 次の代に繋いでゆく使命がある 子供が中学生に成る 部活で体力作りをしている 学校の勉強 友達をたくさん作ること 家業 バランスを |
| 取ってやる能舞台 じゅうたい8人 こうけん 2人 お囃子 4人 わき きょうげん おして お連れ(しての連れ) 20数人で一曲をやっている |
| 楽屋にはそれの倍に近い人数がいる 人と人との繋がり 行き会う 想いは通わせることは絶対必要になって来る |
| 能楽は総合芸術なので思いやりの心をもつことが大事だと それを最低限であって 豊かな人間性を養ってゆく |
| 現代に通じる能 能楽の入門講座を開設している 復曲(現代に昔やっていた演目を復活させる) 新作能 |
| 上演されたのも定かでないもの 演目を 上演した 「阿古屋の松」 山形市で7月に上演予定 鎮魂 癒しの心 捧げさせていただく |
| 聖パウロの改心 林望 禁教令が出るまでは日本にも沢山の宣教師がいた キリシタン能 演能していたが資料がすべて無くなってしまった |
| ユダヤ教だったのをキリスト教に改心する内容 能の技法 定形によって行うが、 イエスキリストが登場する時にオルガンのメロディーに併せて舞う |