2013年1月26日土曜日

絹谷幸二(画家70歳)     ・古事記というテーマに挑む

絹谷幸二(画家70歳)         古事記というテーマに挑む  
去年は古事記をテーマにした大作を描き精力的に活動しています  
古事記というテーマに挑むことで故郷奈良の新たな魅力に気付かされたといいます 
純然とした空の青を背景に、限定された形の中に明るく躍動的な色彩で描かれた人物などが特徴とされる。アフレスコという壁画技法の国内第一人者でもある  

奈良県立美術館から記紀、万葉の絵を描いてほしいとの依頼が有った  
200号にして20点以上が必要 館内に半分の面積を依頼された
片方で又新作展覧会が予定されていた  
パリ、ロンドンに飛んだ アフリカ等の原始の時代の絵が展示されているので、参考にするために出掛けた
熊や鹿の着物を着ていると、地面にもごろりと寝ころんでも大丈夫だし、雨の時にも大丈夫  
古代の人はどんな感じだったのかなあと想いをめぐらした
大和にも高天原が有る 奈良に有る  葛城山のふもとに有った  
昔の時代に自分が移った様な感じで考えると 綿の着物よりも 、毛皮だと思った
古事記に出会って、奈良というものがいかに 素晴らしい処かということに気付いた 
奈良は青柿山に囲まれた狭い盆地だと思っていた 
 
大阪平野の方が広いだろうと 関東平野の方が広いだろうと 思うが、大きな誤りだと思った 記紀 万葉の時代 どの程度 人間の数がいたでしょうか  
奈良時代 奈良が一番人口が有って 最大見積もって20万人 7万人程度と言われる  
記紀の時代にはもっと少なかった  
もっと少ない人数で 筑後川を制御できるか、今平野に流れている川をちゃんと安全に堤防を作って出来るか、とても平野として使えない そうすると人はいけない  
奈良の田原本 大和高田 このあたりの傾斜が非常に米作りには適している  
川は大きくなく 氾濫がおきにくい 糞尿が下の方に流れて行くので(病原菌が)健康が維持される 
吉野は遠いと思ったが、一つ山を越えればすぐにたどり着く   
丘の上に住むか、山の上に住む  はえもいない 蚊もいない
インカとか、ああいう人達は何故高い山に住むのかなあと思ったが、病原菌から避けるために高いところに住んだのではないだろうか
当時の人はやまさちひこ うみさちひこ 天と地に広さ 
20m位のところに住むサメは小さい サメの話が出てくる
昔の旅は そのまま歩く 夜も歩く  絵描きは時間の観念が余りない  
フレスコ画家(壁画) 壁が乾かない状態で書かなければならない
最近の旅は8~10時間 私は(絵描きは)24時間働く  昔の人は余り死を恐れてはいなかった 
宇土神社は凄いほこらがある 天照大神がほこらに隠れる 真っ暗になると色彩が無くなる  岩戸が開けられると色彩が復活する 
全体に渡って見渡すような思考が現代人には無い (専門化しすぎてきているため)  
昔の人は足の裏で見ていた
天孫降臨  奈良の高天原がふさわしいと思う  故郷はその人そのもの   
自然は美しくなければいけない 自然とは一体
故郷と私達 風景と自分  故郷の物を食べている様な循環方式がいい