2013年1月29日火曜日

平良とみ(女優85歳)      ・沖縄芝居の心と方言


平良とみ(女優85歳)      沖縄芝居の心と方言  
沖縄の石垣島で小学校6年生の時に劇団に入りました 以来70年 夫の平良進さんと一緒に沖縄芝居の心と方言を次世代に伝えようと励んでいます
平成13年NHK連続TV小説「ちゅらさん」で沖縄のお婆さん役を行い、大ブレークしました

小学校4年の時に、母と一緒に石垣島に行った  
貧乏侍の家だった 食べ物はいも、野菜等問題は無かったが、貧しかった 
6年生の時に芝居に入った(貧しかったから その頃自分と同じくらいの生徒が夜お芝居して学校に来ていたので自分でもできるのではないかと想い)
女学校ができたが、そこにはいけないと思い、高等小学校はでたいと思った 
お給金を貰えればいいと思っていた(芝居が出来るかどうかは解らなかった)
最初に5円を頂いた 座長も苦労人だった 
 
当時教科書はお下がりだったが、参考書まで新しく本を購入出来た 
昼間は学校に行って夜は掃除したり、幕を引いたり、お茶を入れたり雑用をしていた
身長は130cm位 (小さい頃に脊髄を患ったため)  初舞台は踊りだった 背の高いきものだった 幅は大きいし、高さも余ってしまう着物だった
今思うとよくこういう事が出来たと思っている 
かつらをかぶったら、額の下の方に来てしまっていた 化粧も自分でやらなければいけなかった
鏡を見たら、泣いてしまって 目は真っ黒になるし、自分の顔がひどくて 座長に叱られて、出たものの、笑い声で一杯に成ってしまいどうして入って言ったか解らなかった   
辞めますとは言えないで、続ける  方言が使えない劇に成ってしまった
(戦時中だったので 規制が出た)  
大人たちは標準語が出来なくて この頃から子役として使われる様になった  
石垣島はマラリヤ蚊が多くてマラリヤで亡くなった人が多かった  
戦火にはしのげることが出来た
戦争が終わって喜んだ  座長が慰問をして、一緒にやった

大島劇団等が沖縄に来ていて公演していた  露天の芝居小屋が出来た  
沖縄は芝居が好きだった 20数劇団が有った
沖縄本島に出て来る 露天の芝居小屋で雨が降って来ると舞台まで大変な水浸しになったが、当時の娯楽は芝居しかないのでお客は帰らなかった
お客はやっぱり情の世界 先輩を敬う 親に孝行  一度会えば皆兄弟(沖縄の心) 
「いちゃればちょう」と沖縄では言う
優しさを若い人にも伝えたい だからあえて沖縄芝居をやってほしい 
そこに人情とか、人間の優しさ 悪と善 がある

沖縄の言葉は沖縄の文化  沖縄の自分の島 国の言葉を忘れたら、親も思う大事な心だと思います
ちゅらさんで一躍有名になった  おばあ おばあと呼ばれる 方言で読んでくれる
昔はおばあと呼ばれると嫌だったらしい  
映画「ナビーの恋」でおばあ役をやってブレークする   
30代ぐらいからおばあ役が多かった
沖縄でも方言が一杯ある  首里(主都)、那覇(庶民)でも言葉が違う  
方言について教えている 方言口上とちょっとした芝居をやっている
言葉には歴史が有る   遊びながら言葉を教える その方がいい
沖縄は癒しの島 家族、血縁関係を大事にする  
お盆でも従兄、兄弟 とか挨拶言ったりするが、段々若い人は薄れてきている
ご先祖様が中心に成っているが薄れつつあるので、薄れないようにして貰いたいと思う