2013年1月19日土曜日

加藤隆久(78歳)        ・蘇えりの力

加藤隆久(78歳)             蘇えりの力  
生田神社(兵庫県神戸市)の宮司を務めています  
生田神社は長い歴史の中で、災害や戦争で幾度も被害に遭いましたが、その度ごとに復興し、いつの間にか 蘇りの社と言われるようになりました 
阪神淡路大震災の時には拝殿が倒壊するなど大きな被害に遭いましたが,神戸の復興のシンボルになろうと加藤さんが陣頭に立って再興をなし遂げました 
その体験を踏まえ、東日本大震災の被災地の支援にも,取り組んできましたご自身の体験と 復興の想いを伺いました  

東日本大震災の支援、少しでも義援金を送ってあげようと思った  
阪神淡路大震災の時は水も無かったので,タンクに一杯水を持ってきくれた経験から,水を贈るような対応を取った  
地震に遭って苦労した水に有り難さを感じた       お宮さんの支援も考えた  
宮城県女川町 白山神社が被災されていることを聞いて若いメンバーを行かせた  
多くの死者と壊滅的な建築物の被害  津波に流されてしまったり、原発の問題 これが非常にお気の毒だったと思った
孤独死 絆を深める 年寄ばっかりではなく若者を隣に住まわせることが必要だったと思う
父親は滋賀県多賀大社の大造営を担当して、造営ノウハウを体得する  
之から神社のお勤めを遣って行こうとした時に 岡山の吉備津彦神社が焼失する  
そこへ復興に行く事を人選した処,父親に白羽の矢が立ったが、最初は断ったが、神社局から是非行ってほしいと言われた 
復興を成し遂げたら,大きな神社を紹介すると言う事になった 
焼失した宮司が借金をしていたことが判明 自分の財産を持って借金をしていた人に返したらしい  
そうしたら翌日正装した総代がそれを持って、なにがしかを加えて持ってきた 
その話が氏子にも伝わったのか、瓦礫の後始末をするは、エプロン姿の婦人会の人が来て、炊き出ししたりして、起爆剤に成って 瞬く間に 復興に弾みがついて、尊敬される宮司に成った(その時に私は生れた)  
氏子の人から信用されたことが良かった

生田神社 日本書紀にも出て来る 稚日女尊(わかひるめのみこと) 言われて神功皇后によってまつられたと言う古い社
806年に生田の神を守る44軒が出来る  かんべ村 神戸の街が出来る元  
生田川が流れている 六甲山系は水に弱いところが有る
松の木が倒れてきて 祠が壊された 神主が御神体を背負ってここだら水害が起こらないだろうと移ってきた
松がタブーに成っている  
正月には角松の替わりに杉盛と言って 杉の葉っぱで山を作って,そこにすずき(稲穂を象徴する)とさかき  平年は12本閏年は13本を張り巡らす  水害に懲りてきた
   
昭和20年6月5日 B29から焼夷弾を落とされて石の鳥居を残して 一木一草焼失する  
父は御神体を移す 防空壕も駄目  さまよっていけに有る弁天様に移して 本人は池に入って助かった
母親と姉は防火用水(何故か父親がその防火用水に6/4日に水を張っておいた)に入って助かった 
境内に野菜やサツマイモ、ジャガイモを作りながら、復興という事で お粗末な社を立てながら、過してきた  戦後で困っている時期
神社の寄付を募った 
神社の復興のために何度も何度も足をはこんだが断られたが、ある時にそこの主人が許してくれ 私の考えが間違っていた
私は自分の利益の事ばかり考えていた 

それに対して貴方は自分ことでは無しに、神様の事を考えていると言って 希望して多額の10倍の小切手を渡ししてくれた 
それを元手に昭和24年に立派な朱塗りの社殿を作り上げた  
神社の復興も一遍や二遍で諦めるのではない事が必要と思った
阪神淡路大震災の状況 揺れの恐ろしさは言葉では言い尽くせない  
拝殿は崩れて落ちてしまっていた 楼門も傾いていた
本殿は崩れていなかった  石の鳥居が根元から崩れていた(戦争では大丈夫だったが)  
神戸の街全体が崩壊してしまった

その時に 父親の声が聞こえてきた 貴方は何しゃべってるのだ 
私の神社の造営ボーイと言われた 神社を復興するのはお前の使命だと 言う声
柱は鋼管 強度のコンクリートを入れて そこに木造の社殿をつくろうと思った  
平素からまさかの時にと言う事を考えていて 営膳費蓄財していた
又氏子の有力な方が 神戸の氏神をそのままにしておくわけにはいかないと言う事で 立ち上がってくれて、又全国の神社の支援も有った
鳥居は伊勢神宮からの寄付が有りそれを石の鳥居が有った所に設置することが出来た 
(木の鳥居)
地震の時に困ったのは水 川は埋めたてられてしまって無くなっている  
川を作ろうと 森の中に80mの井戸を掘ったら、水が出てきた

池のところにもポンプを作ってまさかの時の為に消火栓を作った 常に備えようと思った
神戸の街の中心であるので 復興のため 芸能関係の人達 が来てくれて 舞台を作ってくれてそこで公演してくれて 皆が喜んでくれた
お祭りはそれぞれの役割が有り、役割を旨くやって行くのがお祭り  一つの纏まりとなる  
祭の心が大きな力に成っているんじゃないかと思います
祭はお互いが助け合い、絆を深め、そこで一つの心になる 
 
お祭りは大切なものだと思う       心の復興に成る
挫折は誰にでもあり その時に自分は駄目だと思ってしまうのかそれとも それを苦しい時、ピンチ挫折をしたときに如何に良い方に乗り越えて行こうと言う風に,心の持ち方を転換してゆくか 口で言うことは簡単だが中々出来ないことだが 清く明るく正しく直く神道の心でもあるわけですが 落ち込んだ時に前向きのやろうと言う活力 それを転換することを常々皆さん考えていただきたい