2013年1月7日月曜日

横山秀夫(作家55歳)      ・再始動警察小説の旗手 2



横山秀夫(作家55歳)     再始動警察小説の旗手
少年時代 東京  活発、運動神経抜群だったがクラスの人間からはうとまれていた  
どこの家に遊びに行っても 後でと母親から言われていた  
遊び友達も居ないために、図書館で本を借りて読むようになった  
本が余りにも面白かったのでキズがつかなかった様だ
兎に角図書館に有った本は手当たり次第読んだ   
小学校時代からノートに書いて、友達に読んでほしいと言ったりしていた
中学、高校は体育会系の方に行ってしまった (陸上、サッカー 大学は空手)  
中学の時には文学全集など父親が持っていた本を読破した
書くことは得意だという意識はあった 
 
週刊誌の論文募集があって、4本出したが、4本当選した
TVニュースは見るようにした 書く事イコール新聞記者の様段々に思っていた  
上毛新聞を受けて受かることが出来た
地域に根差した新聞だった  本の内容として地方の県警が舞台に成っている  
地方を舞台にした方が書きやすいと言う事もあるが、地方から見た東京と言うのはあまり書く気がしなかった  
群馬県で仕事をする 青春時代を過ごした(親の庇護の下での、青春時代と自分で稼いで  
過した青春時代の方が 吸収しやすい 第二の青春時代) 方に愛着を感じる

事件記者 現場に行く仕事  自分の時間等は中々取れない時代だった 
夜、家に帰らないような生活を365日やっていた
ミステリー作家 自分にとって記者が合う、合わないと言うよりもジャーナリズムに対する絶望感とか、敗北感、そういったものが辞めてから思う
広い深い川を渡って、ノンフィクションからフィクションに移ったつもりだった  
だから人との職業を全うできなかった 記者を12年で辞めてしまった、と言う事にたいする負い目、敗北感を強く持っているのでノンフィクションに負けない強い気持ちがありますね
 
組織と個人を描き続けると言うのも 組織人としての12年間と組織を辞めての 7年間のそこでの思いが組織と個人を描き続けるエネルギーに成っていると思う
テーマとして書きつくせないのか? 今の自分が組織に居て 今の自分はかりそめの姿だと 
本当の自分はそうではなくて、もっとこんなことが、思っているんだ 言えるんだ やれるんだ 
と言う様な事はわたしなども持ったことですけれども かりそめの姿で 違う場所が自分にとってあるんだという そういう幻想というのが 会社を辞めて7年間で無くなったという 組織の中でいろんな自分が喋ることも やることもすべて兎に角丸ごと、自分自身そのものだと そういう事を前提に貴方はないをやるのかと私はなにをやるのかという事を私は書きたい
 
組織と個人とから離れられない  外的ないろいろな要因が有るからに逃げ場が用意できる 
逃げ場を全部小説の中で潰してしまって、 お追徴してしまった 
情けなく頭を下げている自分 すべて自分なんだよと いう事を認めたうえで 矜持のかけらを掴んで何かの人らしさを見せてくれ そういったことを書いてみたいと思っている  
外的要因を馬鹿にしてあまり重要視していないで 内面から起こることを人間は信じようとするが、外的要因によってその人間がどういう風に思うか、どういう風に行動するか と言うのは
実は非常に人間の本質を表していると思っている
 
だけど逃げ言葉で、何かこの瞬間は自分ではないと言うような仮説の建て方が好きではないので、そこは丸ごとすべて自分だと言う風に認めたうえで貴方は何をするのかという風なことを書きたい  厳しいが  
主人公には逃げ場が無いようにつくって、そこからどうするのと 話を描きたい
過去、風化と言われるが、自分の周りでざわざわしてるぞ、と 過去とはそういうものだぞと言う風に 過去イコール現在とまでは言わないが  今と全く直結していると思っている 
事件とか大きな出来事に付随して自分の記憶がまざまざと鮮明に起こることを考えると 
本当にちょっと離れて置いてあるだけで過去は近い、身近なものだと思っている

事実を掴んだと思った瞬間に 自分が取材している、その前で事実がするりと抜けてゆくような その様な感覚がずーっと続いていて だから 後輩たちと話をしていて、 間違っても事実を掴んだとは思わない方がいいよと、良くいう 相手にとっては次の時間が始まっていて   
そういうのをひっくるめて事実と言うわけですから、どっかを切ったことによって事実が真実に成りうるわけがない
人間は誰かに相対した時には必ず演技をしている  
だからこそその瞬間を事実と、とらえたからと言って、真実とは思わない方がいい
「ルパンの消息」 15年してから出版された  舞台に成っている昭和50年  平成2年というバブルがはじける前の空気感が あの時代はこうだったんだと
フィクションは描ける (可能性としてある)  悩みながら描いた小説   
佳作であったが、残念に思う

作家に成って14年 そのうちに7年は休んでいたのかと思うと 7年間は充電ではなく 
放電していたと思う
書きながらでないと頭に浮かんでこないので 次に何をやるかはこれから書きながら考えてゆきたい
現在の社会環境は閉そく感が有るが?  
情報としては捉えて書く気持ちはない 自然にその様な状況は取り込まれてゆくと思う