堀内正美(俳優62歳) 支え合う心を忘れない
神戸市在住 NHK連続TV小説「純と愛」で主人公の相手役の町田いとしの父親役で出演しています
阪神淡路大震災時にはいち早く被災者の救済に取り組み、現在被災者支援活動を展開する認定NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」の理事も務めていらっしゃいます
あの時の心を継いでいこうと続けられる18年目の被災者支援活動と役者としても活動の中で込められた支え合い、人とつながる想いを伺います
純と愛 評判だが、どたばたした劇であり、賛否両論あり
検事としての役 家庭に居る時には男たちは気使う 演じていて違和感はない
純 実際に朝8時~夜遅くまでみっちりとやっていく中でボロボロになっているが、笑顔を絶やさない 半年間あるので擬似的な家族が生れて来る
控室でもクールにしていたり(演技の関係で)している
32歳の時に神戸に引っ越してきた 22歳で俳優デビュー
最初演出助手だったが、装置を治したり、俳優に演技付けたり、しているうちに民放のTV局 で原作が夏目漱石の一高生の暗い俳優を探していたが、オディションでも見つからなかった
ちょうどその時に 裏方で雪駄を履いてやっていたら、監督から口説かれた
父が映画監督 堀内甲 伯父が堀内完(日本におけるモダンバレエの創始者)
俳優として 人の前で何かやるのは苦手だった
若い頃は暗くて屈折している様な役が多かった
60年代 学生運動が盛んなころ 社会を真っ直ぐ見ないような青年時代だった
人を泣かせる芝居は楽だが、人を笑わせる芝居は難しい
今回の役は晴天の霹靂 今までと違った役割で ちょっとひょうきんな感じを出している
三里塚闘争 一緒に入っていて運動をやった お爺さんがつぶやいた 行き場所が無い
お金を貰ってもお金などは欲しくない ただただこの土がようやく作物が実る様になった
自分としてはこの土に帰りたい、と聞いたときに 農労学市民の連帯 自分達も革命運動に、みたいな気持ちでいたんだけど何だったんだろうと そこで照合した
自分が考えていた革命 社会を変えるとう事が非常にガタガタと崩れてゆく
それまではどんな論争しても負けなかった
自分でも強くいれたが 、その時はお爺さんの一言で見事に崩れ落ちて、三里塚から逃げ帰った どう生きたらいいんだろうと 映画館に行って、喫茶店に行ったりしたが芝居を友人から行かないかと言われた 蜷川幸雄さんの舞台だった
こんな生産的でない物が有ったのかと思った
であればこの世界(虚構の世界)にもぐれるのではないかと思った
最初のころは何にもできなかった ちょっとうつむいててくれればいいと言われた
二本目 山田洋二さんからぼこぼこに怒られた
練習します と言ったら 練習すればいいというわけではないと 言われてしまった
10年やって矢張り俳優は無理だと思って 東京から神戸にきた
(その時に結婚、子供が出来ていた) 兎に角東京を一歩離れて見ようと思った
神戸 山が有り海が有り 適度に都会的で、来る者拒まず 去るのも追わずと言うようなところだった
阪神淡路大震災に遭遇する 家は倒壊しなかったが一部損壊 これで死ぬのかなと思うぐらいの揺れだった
床下から思いっきり突きあげられて 淡路島の方角から地底を巨大な鉄球がごーーーーとそしてその音が家の真下にくる
そうすると家がバリバリバリと揺れるわけですよ
真っ暗な状態で、シェーカー状態に成っている 家族4人とも何でもなかった
早朝から安否、透析の病院 水の場所等の放送した
2日間やっていたが、震災から1週間後に自分達が出来ることは自分達でやろうよと
「頑張ろう神戸」を立ち上げ 受け入れのプラットホームを作った
来てほしいので神戸市内、看護師、大工、料理屋さん とかがお手伝い出来ると 、米なら送れる赤ちゃんのおむつかぶれ シートが欲しい とか欲しいものの 掲示 提供できるもの 等の掲示 幼稚園に赤ちゃんのお風呂場製作
希望者の情報提供 旨く情報のコーディネートして有効に提供した
「頑張ろう神戸」 は発展解消 「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」を立ち上げる
凍りついて時計が止まってしまった方、うずくまっている人 家族を失ったり 、仕事を失ったり絶望しているまさに非歎にくれている人達をどうしたらいいかと、思った時に 死という事 喪失を見て行く事を通してどうやって新たな再生をするかという仕組みを考えなければいけなという事で NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」を立ち上げて12年目です
モニュメント 「希望の灯り」 碑文の文字 皆の声を書きとめておいたのを繋いだだけ
震災が奪ったもの(上の句) 命 仕事 団欒 街並み 震災が残してくれたもの(下の句)
優しさ 思いやり 仲間 絆 (そして上の句と下の句の間に)
たった一秒先が予知できない人間の限界を描き入れた
予知出来ない 誰にでもありうる災難 新たな喪失、さまざまな非歎 希望の光は 寄り添っていてくれれば ちょっとだけぬくもりを感じて、そういう仕組みを作っていきたいと思った
依存すると言う言葉が母子依存薬物依存 アルコール依存 マイナスのイメージで依存を捉えているが、河合速夫 自立とは 他に依存していることをしっかり自覚することである 自分がこの人の存在によって やってくれたことに対して助かっている
ありがとうという気持ちを持った時には 自覚していれば 依存というのはとっても良い言葉なんだと認識するようになった
「純と愛」 破壊と再生のドラマ だと思っている
喪失 悲しみ 絶望 非歎 が有り、その中でどう新たなる再生をしてゆくのか
大きなテーマだと思う
東日本大震災 支援 どこまでできるかが有ったが、動き出した時に 阪神淡路大震災の時の失敗であり、また繰り返しなのかという事にあきれる
現状が見えた 市民の物は要らない 国が、行政が 事業者を活用してそういう事をするから市民は来ないでくれ、物を送らないでくれ、それは無いだろうなと思った
阪神淡路大震災の時には 飢えと寒さは出てこなかった
全国から送られた者の中にくるまれば暖はとれたが、食べるものもいろいろ届いた
しかし 飢えと寒さ が有った
国は事業者に依頼して送るからと言ったが最初の1回 2回だけであとは自分達でやらなければいけないように成って行って、という事に対して 阪神淡路大震災の時に 正直全国から送って貰ったものにあとで ゴミに成ったものが有った
かといって初動にはどんものでも必要 送れる仕組みが無ければいけない
仕分けも大変 ごみで現地で出さない
経験を整理すると 被災地で仕分けをしない ゴミを出さない
被災された人が最初に探してほしいのは思い出(アルバム) 預金通帳、貴金属 現金 という人はゼロでした
アルバム、賞状だとか まさにアルバム 思い出なんです
たすきプロジェクト 自分と等身大の人 に送る(着物 自分の好きだった物手紙も入れる)
そいうバッグを4万5000バッグを全国から募集して送った
落ちついてくると皆さんが提供してくれた人に感謝の手紙 獲れたもの等(さんま、リンゴ等) を送ってくれて 繋がりが出来てきている
自分だったらどうなんだと 社会的な出来事に対してたえず そういう目で見るし そういう視点は大切なんだと思う
依存 そこにありがとう が有ればいい ありがとう 何いってんの お互い様じゃない
日本の社会で どうやって支え合っていくのか、この二つのキーワードに展開して行ったら国難というか これからの時代を乗り切れるヒントが有ると思う
歴史に学ばなければいけないと思う