奥澤武治(67歳) モダン結城を世界に
慶応大学卒業後 京都の老舗と奄美大島紬の勉強を経て、実家の結城紬の販売会社に
入社しました
現在は専務取締役で合わせて結城紬染織資料館長を務めています
伝統的処方の結城紬は昭和31年に国の重要無形文化財に 2010年には
ユネスコの無形文化遺産に登録されました
結城の街は鎌倉時代から明治に至るまでの古い城下町で 特に明治に成って火災に強い街にすると云うので 店蔵という蔵作りにした建物が31軒 今も残っている
古い街並みが残っている ユネスコに結城紬が登録されたと言うので幟が建てられたりしている 世界でも絹織物の中でまれに見る織物 原始的でその原料の糸は真綿から手でつむぐ、
世界に類を見ない 空気をたくさん含んだ よりの無い糸で 織る、それもじばた織りと言って世界でも一番古い織り機で織る そういうところが認められた
手織り資料館 (「手緒里」資料館 鳩子の海で結城へ来て結城の勉強ながら機織りの店を出すそれが 手緒里 という資料館の名の由来)
着物の事を一から勉強しようと思って、京都に行った
大島紬は何十台という機械で織っている 友原さんの家でも勉強した
紬と普通の絹織物の違い 着物には先ず2つある 後染めと先染めがある
後染めは振りそで、友禅、小紋 白い生地を織ってからあとから模様を作る
先染めは糸の段階で先ず絣と言って糸の段階で模様を作って、織って、模様を織りなす
紬は糸を手でつむぐ 生糸は繭から細い糸を取りだし 1400~1500m 3デニール (糸の太さ) それを7本 なら7本 1mにつき350回転によりを掛けて1本の糸を作り それを用途によって
7本 (7×7本 49本)の糸を作る
結城紬の場合は 繭から真綿を作る そしてそこから手で糸をつむぐ
全く違う性質の糸が出来て来る そういう商品です
生糸の場合は糸をよるという作業を何回もやるので、空気を排斥してくる
結城の場合には真綿から手でつむぐ 唾液を付けながら固めてゆくというか
よりの無い糸 世界にこれしか無くて よりが無いために軽くて温かいこれが結城の最大の特徴ですね
絹織物は弥生時代に大陸から渡ってきて、養蚕が生れて、織り物が生れる
綿は新しくて江戸中期 栽培が楽だったので全国に広がる
その時に綿花 綿は本当の綿は弥生時代からあったので 真の綿 真綿と言う名前が生れたと思う
植物の繊維を繋いで織ってきた くずふ、しなふ、あさとかが最初 弥生時代が絹
綿が江戸時代 それまでは麻が中心
良い繭 お湯の中で煮て 糸口を探して それを引き出して何本かをよりながら1本の糸を作るが出がら繭 玉繭 染みが付いた繭 捨てるのがもったいないと言うので お湯の中で煮て盥の水の中で冷やしてから 指先で穴をあけて引っ張って 袋にして それを指先に5個ぐらい重ねて真綿を作りだした
最初は軽くて温かいから寒さから身を守る道具に使ったのではないかと思う
こんなに軽くて温かいのなら自分達の着る物をつくろうと思ったのが 全国の紬の起こりだと思います
最初は普段着に着るものとして生まれてきたと思う
地ばた 世界で一番古い織る機械 世界手織物博覧会 結城紬の実演をしてほしいと言われたやった 高幡でやったのは 大島紬 西陣織り 地ばたでやったのは結城紬だけだった 日本はハイテク産業国なのにこんな原始的な織物が残っていたのかと吃驚していた
地ばたは自分の腰で縦糸を固定して、そして足、腕、手、目、全身を使って織る
織り子さんが織機に成って織る
高幡の場合は 縦糸ははたに固定されるので常にぴんと張っている
織り子さんの身体と一体となって縦糸が動くのが地ばたの特長です
縦糸がピンとなったり緩んだり、して難しい織り方ですが、糸に優しい織り方
原始的だが上手にできている
地ばたで日本で残っているのは 小千谷縮 越後上布 結城紬 あと東北で裂き織り
津軽裂き織り 南部裂き織りで一部有る程度 地ばたで織る人は 100軒近くある
一人で一反 最後まで織る そうしないとムラになったりするので
一反の縦糸横糸を作るのに 16km、 横糸で14km 30km作る必要があるので 数人で行っている 結城だけは小麦粉の糊で補強して織る
湯通しといって何回か糊を取る工程がある それを終了するとふわっとした物に仕上がる
手作りのものは、みな出来た時が良いのではなくて、大切に使っているうちに 物の良さが出る
それを着る人と物との間に心の交流が始まる これが手作りの本物の良さだと思う
モダン結城 世界の人に認めて貰いたい
昨年9月パリ プルエービレン 世界最高のテキスタイル展が有るが 出店することになり
世界に埋もれている 手作りの技だけを集めて別コーナーを作りたいと言う事でそこに実演も兼ねて展示した 吃驚する
2反依頼があり、パりコレにメンズのイブニングスーツで作品がでた
70cm幅までできるが、新たに90cm幅のものを作成した
洋服にどうかとチャレンジしている 手ばたで90cmは中々出来ない 動力を使ったものも今後検討してゆきたい
衣川→絹川→鬼怒川 へと名前が変わった
結城紬は男物(武士と町人) 明治に成り洋風化が進む中で男が洋服を着だして、
それから女物の縞や無地が出てきた (パリコレでも男物で行う)