2013年2月1日金曜日

土肥美智子(英語翻訳ボランティア)  ・盲導犬と歩んだ50年

土肥美智子(英語翻訳ボランティア83歳 )       盲導犬と歩んだ50年  
昭和38年女性として日本で初めて盲導犬を利用された方 現在7代目の「ニルス」と共に暮らしています  
1歳の頃はしかの高い熱が原因で視力を失いました  
昭和12年日本を訪問したヘレン・ケラーが来日した際に、記念写真撮影の時に彼女の膝に抱かれた記憶が今も土肥さんの宝物として残っています  
戦後再び日本を訪問したヘレン・ケラーと対面し、その公演を聞いて英語の通訳をすることを決心します    
願いが通じ、アメリカ留学の費用を負担してくれる人も現れ、アメリカで5年間教育学などを学びました 帰国後、英語の通訳や点訳ボランティア等の仕事に携わります
80歳まで週に1度は電車で大阪に行き、英語の点字本の製作などに係わりました
盲導犬のお陰で生活の自立が出来、世界が広がったという土肥さんに伺いました

ニルスは11歳になる どこへ行くのにも一緒 道は指示してゆく 
英語で指示する 訓練はかなり厳しい 子供のころに性格が出てきて盲導犬に合うか判断
1歳で成犬に成る 後は1年に5歳ずつ歳を取って行く  
1,5歳に成って盲導犬の事を知る  父が盲導犬を連れている姿を見た(軍人だった)
アメリカ留学に行って、初めて盲導犬に接する   
戦前昭和12年(8歳)にヘレンケラーに会う 講演に聞きに行く 岩橋さんが呼ぶ
その時の記憶に一緒に写真を取って貰った 
膝の上に乗せていただいたのは覚えている  

目が見えず、耳が聞こえず、話が出来ない 
三重苦の人で其れを克服して世界中を講演する
自分では聞こえないので解りにくいので 英語に通訳する
(トムソンさんに言いながら手のひらに文字を書く) それを日本語に更に通訳する(岩橋さん) 戦後も昭和23年に来日 当時18歳に成っていた 
通訳をやっている姿(甲斐さん)を見て感動して、その様になりたいと思った  
どのような巡りあいが有るか解らないので人生は楽しい(若いから怖いもの知らずだった)
22歳でアメリカに留学 お金がかかるが、テキサスの牧場主(80歳に成るかどうかの高齢の方)が支援をしていた 中国の方をお世話していた

中国は戦後、共産国なので支援することが出来なくなり、日本にいる人を探していた  
行くかと言われたので、即刻行くと返事していた
船で12日掛ってたどり着いた 
カリフォルニア、ロングビーチについて、そこから汽車でテキサスに行った  
エルパソに着いた(西部劇に良く出て来る街)
最初何を言っているのか解らなかった(訛りも有るしメキシコも近いので)  
テキサス大学ウエスタンカレッジ分校に入学する 戦争を戦った国なので、対応は? 
ボストンに行ったが誰とは無しに助けて貰った
ボストンでは教員養成課程があり、とらせてもらった  
中国、韓国、インド、ノールウェー等から来ていた 

27歳で日本に帰って来る ライトハウス (岩橋武夫 が設立した視覚障害者の福祉施設)で働くようになる
本の出版(日本語の点字) 等  図書館に納める  ニルスは歳の時に来る  
最初のころは喫茶店にも入ることはできなかった
列車に乗るのに1週間前に申請することが必要だった  
クリスは訓練を受けてないのに電車、エレベータなどにも乗ることが出来た
若い時から、一人で出来れば、それだけ自分が豊かになるので 盲導犬は欲しかった
最初シェパード 3か月の犬が来て7カ月頃になると手に負えなくなって、一旦協会に返して、訓練をし直して貰った

いろんな所へ行きたかった  いろんな音が聞こえるし、いろんな話声が聞こえるし、いろんなことをしているのが判るし、いろんな人に会えるし、視野が広がる 
いろんな出会いが有るので 色んな事に出っ食わすし、一人で出掛けることが嬉しい  
今どこを歩いているか解らないと駄目、自分で道を指示で来るように成らないと、盲導犬を使えるように成らない
パートナーとの阿吽の呼吸がないと駄目     私は本当に恵まれていると思う  
何でもしたい事をさせていただいた
留学をさせていただき、盲導犬と一緒に歩きたいと思った時に歩けたし、障害者向けの事をすることが出来たし、いろんな出会いが有った
出合いは素晴らしいことですね 外に出ることによって出会いが有った