2016年7月3日日曜日

千々松幸子(声優)       ・時代を創った声(6)

千々松幸子(声優)       ・時代を創った声(6)
1979年~2005年まで放送されたドラえもんののび太のママや、シャツの中の蛙が活躍する、ぴょん吉などで知られています。
実はアナウンサー志望でアナウンススクールにも通ったそうです。

26年間、毎週一回スタジオに集まりますが、体調がどうかなあとか細かなことまで感じられるし、又口には出さなくても、スタジオに入るとホッとします。
私は子供の声が多かったが、ドラえもんののび太のママの役は、私でいいのかなあと思いました。
始めた当時は二番目の子供が1歳位の時でした。
のび太を叱る役だったので、どういう風に言ったら親が子供を叱るのに、どういう風に叱ったら判ってもらえるか色々考えました。
ピョン吉の場合は下町っ子なので、逞しいひろし君のシャツに入り込んだので一緒になってべらんめい調で行かなくてはいけないと思った。
蛙がしゃべるという、転んだ拍子にシャツに張り付くと言うこと、台本を見たときには仰天しました。
蛙らしい声でないといけないのかなと思って悩みましたが、結局できるのは私の声しかないと折り合いを付けました。
一生懸命やっているうちに過呼吸になってしまって貧血を起こしてしまい、皆さんにご迷惑をかけたこともありました。

声自体が好きでした。
児童劇団にも入っていましたが、声に魅かれていました。
声の仕事がしたくて、アナウンサースクールに通いました。
通い始めて4~5カ月したころに、CMを番組の途中に入れて、アニメーションでの男の子の声を探していると言う事で、それに出演することが決まりました。
その後TVの色々なCMに出演するようになりました。
ラジオドラマなどもやったりしました。
子供の声がほとんどでした。
子供の声ではアナウンサーとかナレーションにはなれないよと、言われてしまいました。
声で自分のやりたいことなどを表現したいと思いました。

アニメの一番初めは、魔法使いサリーの役を探しているので受けてみたらと先生から電話で言われて、結局弟役をさせて頂きました。
地のままで割合出来た気がします。
子供を観察してどういう風なしゃべり方をするのか等勉強しながら、やってみるしかなかった。
どんな声をだすかは、すじの中で感じながら体当たり的にやるしかなかったです。
周りの役者は舞台をされている方たちが多くて本当に辛かったのではないかと思います。
野球の実況中継でのCMでは時間を伸ばす様にとか、急ぐようにとかの指示があり生放送のCMなので対応に苦慮しました。
両親が別棟でいましたので、子供を預けることができたので助かりました。
出産後2週間余りしか休まなかったのですが、休んでも結果的には消耗していた様で、声が丸っきりでなくなってしまって、スタジオに行ったが、それで何ができる休め、と言われてしまいました。
下の子は帰ると絵本が積んであって、それを全部読まないと寝てくれなくて、それが帰ってからの私の仕事でした。

私の時代には本当に色んなことがありました。
今は需要も物凄くあるし、色んなものが決められていて規制ができていて、それはとっても大変なんだなあと思います。
自分の感性を磨いてゆく事は大事だと思いますし、何にでもいつも興味を持って欲しいと思います。
沢山希望があると思いますが、希望を一つでも、二つでも大事に持って、行かれると凄くいいのではないかなあと思います。
短歌も趣味でやっています。
「我が声に心たくせりよわの夏」
「みじか夜や声をつむげり深夜便」
「みじか夜や共に心の糸つむらん」