2016年7月1日金曜日

佐藤勝利(「毘沙門屋」18代当主) ・祈りの山・富士

佐藤勝利(御師「毘沙門屋」18代当主)    ・祈りの山・富士
吉田口登山道は7月1日に山開きを迎え本格的な夏山シーズンを迎えます。
多い年には 30万人を超える登山者が富士山を訪れますが、最初に大きな登山ブームが起きたのは江戸時代でした。
富士山を神聖な場所と考える人々が修行や巡礼の為に訪れたのです。
そうした富士山信仰の人々を支えてきたのが御師です。
訪れる人々の道中の無事を祈り、食事や、宿泊の世話をするのが役割でした。

2013年に世界文化遺産に登録され、街も活気づいています。
一番最初は富士浅間神社がスタート地点になっている。
富士浅間神社の本殿のわきに登山道の入口がある。
初めて登ったのが中学3年位の時でした。
8合目で野宿して、楽しかったです。
子供の時からずーっと見てきて富士山というのはいつ見ても素晴らしいです、美しいし魅かれます。
平安時代になると、富士山は修行する山という事で、登って神様に会いに行くと言う様なことが盛んになってきた。
江戸時代には本当に沢山の修行者が増えてきて、山岳信仰「講」という事で自分達でお金をためて、今年はだれそれらが何人で行くと言う事で関東一円からグループで大勢、山岳信仰という事で訪れた。
御祈祷師と言う事で講者を泊めるのが、御師の家という事です。
家は400年くらい経つ大きな家で100人ぐらい泊めていまして、先代は神職で家にも神社があります。
道中の安全祈願の御祓いをしてから登山することになる。

400年くらい前は86軒の御師の家がありましたが、今は14軒位しかないです。
大きな家なので住みにくい、冬は寒いし、最近は隣に近代的な家が建ってそこで生活をして、家は構えているだけという様な形です。
表通りから奥まったところにあり、細いたつ道があり、神社から流れてくる間川(やあながわ?聞き取れず)と言います。
そこの水でみそぎをして家に入る。
玄関が3つあって、講者のリーダーは正面から入る式台玄関、他は中口、弁当を作ったりする人手伝う人達は勝手口から入る。(身分によってはいるところが違う)
式台玄関は天井が低くなっていて、頭を下げないとはいれないようになっていて、武家屋敷的な作りになっている。
奥には神様が祀られ、御祈祷したり、お札を持ち帰ってもらったりする。
世界遺産になった時には200人位来ました。

うどんは色が白くて、身を清めると言う意味での御師の料理の一品になっています。
牛、馬、豚は禁止になっています。
鳥肉、鯉、野菜、海藻、豆腐、小麦、大豆、は食べます。(精進料理)
若い世代の人たちがやってくれないかと、という事でいろいろ話をしています。
場所が判る様に「毘沙門屋」 「・・・屋」があると言う事が判る様に提灯をだしたりしています。
「吉田の火祭り」(日本三大奇祭) 素晴らしい祭りだと思う。
胎内祭(狭い洞窟) 少人数でやっていたが、世界遺産になってからは全国から神社の祭りに集まってきました。
胎内に入って生まれ変わって山に登る。
日本橋からスタートして富士山に登る行事もあります。
若い人達がぼつぼつと色々な行事に出てきていて、今後次の世代へバトンタッチ出来るものと思っています。

富士山の形、上が細くて裾野が長くて、形が素晴らしい。
やはり雪の富士山が素晴らしいと思います。
白装束で「六根清浄」と言いながら登る、富士講の方がいなくなってしまうと、祈りとか信仰とか何の山になってしまうのかなあ思います。
苦労して登ってきて、富士山で登ってくる太陽を見て、手を合わせたり、感動している若者がたくさんいます。
心に何かがひきつけられていると思う。
現代富士講といってもいいのかもしれません。