2016年7月27日水曜日

栗山民也(演出家)       ・時代を映す演出を目指して

栗山民也(演出家)       ・時代を映す演出を目指して
演劇やオペラの演出をする方わら今年の3月まで新国立劇場の演劇研修所の所長を務めるなど、現在最も忙しい演出家の一人です。
最近では17世紀エリザベス朝時代のイギリス人作家の演出をしたり、この8月には井上ひさしの作品を手掛けるなど幅広い活動を展開をしています。
栗山さんは早稲田大学の演劇学科を卒業した後、俳優の小沢昭一さんに師事して演劇の道に進みました。
1995年「ゲットー」という作品の演出で芸術選奨新人賞を受賞した後、その後も様々な芸術賞を受賞しています。

井上さんの作品は何年たっても新作という感じがする。
3年前にやったはずが凄く新鮮な言葉が生き返ってきます。
演出家の仕事の発注は4~5年前に来ますので、急にあわてて作品に取りかかるという事はないが、一度に10本位の作品が頭の中で並行移動してゆく。
多い時は年に12~13本をやっています。
ヨーロッパでは1年間をずーっとやっているとか、日本は兎に角旬のものという事で、やってしまったらそれでおしまいとか。
「哀れ彼女は娼婦」 17世紀エリザベス朝時代の作品 シェイクスピアの22年後に生まれたジョン・フォードの作品。
内容は禁じられた兄と妹の愛と破局の物語。
古典の作品に対しては、歴史と現在がひとつの劇場で出会う、それが演劇の方法だと思っていて、そこに何かが必ずそこに生まれるので、そこが面白い。
近親相姦、物語の中核ではあるが、丁度そのころ、イギリスのエリザベス女王が死んで、暗国の時代になってゆき、混沌としてきて、秩序も何もない、不条理だけが先行してゆく。
複雑な要素が絡み合ってくる。

新国立劇場の芸術監督が7年間、演劇研修所の所長を11年間勤める。
国際交流を含めて、誰でも入れる劇場、人材育成が物凄く遅れている。
研修所を熱望してなんとか開所しました。
スターと呼ばれる人と稽古をすると、見事にスターだが、スターとは何なのかというと、日本の場合は賞味期限がある。
歩いてみる、台本を読んで声をだしてみる、これができない。
ヨーロッパの発声訓練は悲しみをセリフでしゃべるとどういう声になる、その訓練をする。
感情が言葉にどう反映された時に、どういう声を使って、どういう強度で、どういう方向性で誰に向かってぶつけているのか、ということの訓練です。
自分には無数の声があるという事を自分の身体で知ること、声をだして教師が選択してもらい、それを自分で知るということが先ず俳優への道だと思います。
それが基礎教育だと思います。
日本では或るときスターと思われるが、何時の間にかいなくなってしまう。

鶴見俊輔さんの教育に関しての本で、セーターを編む、ほどくという章があり、セーターを編むことを教えて、既製品のセーターを編む、編み上がったら全部毛糸をほぐす、自分の為のセーターを編む(自分の体形にあったものを編む)、これで教育は完了するという、自分を知るという事がいかに教育の中で中心であるかという事です。
俳優は先ず自分を知った上で、この役にどう向かうのか、を考えてもらいたい。
歌舞伎役者は基礎が全部できているので、あーっこういう解釈でやるのかという面白さがでます。

父は戦争で捕虜になって2年間イギリス軍の管理下で、捕虜生活の中で、芝居を書いて舞台装置をやって、その資料が残っている。
本がいっぱいあって他にファイルがあって、小さい頃から、何だろうと思って見ていました。
音楽と美術は好きで、先生から芸大に生きなさいと言われたりした。
高校時代、ドストエフスキーの文学に出会ってのめり込んでしまいました。
早稲田大学が受かって、ロシア語を取って、学生運動の末期で学校にも入れなくて、同級生がインドから帰ってきて、インドの話を聞いているうちに3カ月後にはインドに行き、3カ月いました。
そして人間が、がらっと塗り替えらて、専攻科に行こうとするが、演劇科しかなかった。
日本演劇史のゼミで、先生から能が好きかと言われて1枚の切符を呉れた。(6000円だった)
櫻間道雄さんという明治の名人(人間国宝)、で喜寿の祝いの能だった。
ものすごい良い席で、席を立てなかった。 30分ぐらい観終わってボーっとしていますた。
「姨捨」 人間国宝クラスの人が一生に一度しか舞えない能だった。
その次の日から毎日能楽堂に2年間通いました。(最初に見た能に勝るものは無かった)

卒論の先生が郡司正勝さん、歌舞伎の優れた学者で、進路について問われて、とっさに能面を彫りたいと言ってしまった。
その後、先生から小沢昭一さんを紹介された。
小沢さんは日本の放浪芸にも興味を持っていた。
1980年 初演出、 「ゲットー」で芸術選奨新人賞を受賞。
小沢さんの劇団、5年で打ち切るという事を決めていて、最後にやる作品は井上ひさしの新作品で、木村光一さんを文学座から呼んで、小沢さんが主演で、演出助手をやることになる。「しみじみ日本・乃木大将」。
井上さんは日本の上空3000mから日本を俯瞰して、日本の状況をみて、その中から一つの芝居を選択してゆく、演劇の枠を自由に遊んだ作品。
重層的な構造が生まれてくる、言葉の精度がより磨きがかかってくる。
東京裁判の3部作を企画して、井上さんに書いてもらって、井上さんが求めているものは、一人ひとりの人間はかけがえのない存在、かけがえのない存在を或る権力が断ち切ってしまう、断ち切った命に対してもう一度再生の力を与える、これが劇作家の使命だ、と思っている。
戦争で死んで、その青年はこれからもっとこういう事をやりたかった、こういう事を言いたかった、こういう恋をしたかったという事をもう一度青年に生命を与えて、演劇はそういう事なんだと思う。

井上さんは答えをだす作家ではなかったが、力強い。
人間の業、欲望、など、不条理さの面白さ、悲しい時に人間は逆に笑おうとするのか、それは人間の生命力ですよね。
人間の謎の部分を色々追及してきた、常に問い続ける。
「頭痛肩こり樋口一葉」
「木の上の軍隊」
いまの沖縄を見つめているラストシーンにしたかった、何も変わっていないじゃないかという、70年経った今もそのままの風景が沖縄にそのまま居続ける。
井上さんは、最後にその作品にポロっと一言「二人とも木になっちゃえばいいなあ」といったが、
その言葉は鮮明に覚えていて、どういう事なのかなあと問い続けながら作品の稽古をしました。
私としては答えは、兵隊がじーっと沖縄を見つづけることなのかなあと、魂はガジュマルの木の上にいるんだと、思っています。