2016年7月14日木曜日

蜷川幸雄(演出家)      ・演出家 蜷川幸雄さんを偲んで(2)

蜷川幸雄(演出家)      ・演出家 蜷川幸雄さんを偲んで(2)
本を直したいと清水邦夫と二人でホテルにこもったことがあるが、駄目だ駄目だと言って部屋の中を走っていて、あーっ言葉を生みだすためには作家はこんなに苦労しているんだと思って、文字を変えたり人のセリフをいじることは止めようと、それを見て思いました。
兄弟は同じ条件で生まれたのに、違うのだから人間には色んな可能性があるはずだと思って、自分の環境、性格を絶対視したら、理解できないけれども、自分が違和感を持つセリフがあり得たかもしれない私だと思えば、解決出来るなと思ったわけです。
セリフを変えるのではなくて、僕の想像力で、このセリフをこっちが埋めればいいんだと、思った訳です。

地元の学校にいった友人たちはわいわいしながら帰ってくるが、開成の制服を着て帰ってくる自分にある種の後ろめたさが強く有って、それと似てるのですが、演出する自分は傲慢と言えば言えるんだという恥ずかしさがあって、恥ずかしくない様にするためには演劇がエリート臭くなりたくない。
普通の目線で、俳優を見たり、思想を検証したいと思ったり、豊かな舞台を作るために、僕はエリートぶるこっち側にいる自分を消したいと思った。
一人こっち側で見ている私、人に指示出す私は恥ずかしいと、今も普段もあります。
普段はなるべく普通にしていたい。
日常生活に抱いている感情や関心をお金を払ったんだから劇場に来て、劇を一緒して忘れさせてほしいと思っている。
日常から非日常にお客さんの気持ちをかっさらうんだ、その場を用意するんだ、といっている。
自分の意志と労力と手間をかけてくるお客さんに、満足していただけるようにできないかなあというのが最低のルールだと思っている。
歳を取っていろんな人生にであって、ある認識していって、深い喜び、悲しみを知った人間が経験を演技や技力に反映されない様な演劇は、やりたくない。
認識してきたことが生きてくる軌跡というものが演技に現れる事を組織する演出家になりたいと思った。
他人の想像力と混じった時にふっくらと豊かになってくる。
皆が持ち寄る方が多分いいだろうと思って、それをやれやれと言っています。

ギリシャ悲劇が本場ギリシャで満場の拍手。
成功したからと言って嬉しくはなく、なんとなく肌寒い。
楽しくなくて、ぼんやりしていて、達成感を感じなかった。
ギリシャから帰ってきた翌日に、国立劇場でピナ・バウシュが来てダンスの公演をして、それを見に行ったが、平幹二朗さんと、僕とプロデューサーが偶然会った。
如何に自分達のやった仕事が世界のトップレベルの人達と同列に並ぶような優れた物かどうかが気になっていたんだと思う。
自分達が世界のどこにいるのか、位置を知りたがっていたんだと思うんです。
軽い鬱症状のような感じで、胃薬をぽりぽりかじっていました。
良い気になっている様な自分に見えることが恥ずかしいんだと思うんです。
外国で評判良かったり、その作品が受け入れられると、嬉しいけれどそんなに浮かれている自分がいなくて、そういう風に思われることが恥ずかしいという事は何かあるんじゃないかと思うんです。
光が当たることにたいする恥ずかしさ、そういうものに対して警戒心というか、それが嫌だと言う。

眠らなかったりして妄想の世界で、真夜中にイメージがでてきて、慣れてくると何日後にでてくると言う事が判る様になる。
身体を追い詰めてゆくと、自然に頭にイメージが動き出す。
体を痛めつけてるから、ピークに吐血したりして2週間物が食べられない様な状況で仕事をしている。
そうして生まれてきたものは、いいものもあるが今考えるとふくよかさに欠けると思う。
嫌なことを言ったりするので、嫌なことが帰ってきたりするが、人間関係が一番大変で、人とどういう風にコミュニケーション出来るのかとか、自分の思いが人に伝わらなくてギスギスしたり、稽古の前から気になっていて、それも段々自然にできるようになった。
無理しないと人とコミュニケーションはできない。(演出家としての自分の時は自由だが)
芝居って、人と人がどういう風に出会って行くか、それに尽きる様な気がする。
やり直したい人生っていっぱいあると思う。
芝居って、自分で思っていない自分に出会ったり、世界はこういう風に見えるんだと、気付かなかったことを発見するのが面白い。

24時間点滴で寝ていても、あの作品はどうしてもやりたいなあと思ったりする。
演劇は或る日或るとき或る場所に、自分が選んで行かなければ生ものに出会う事が出来ない唯一の媒体だと思う。
実演の魅力に出会ってゆくと、パネル、ガラス面からくる情報と違って、生身の人間が生身のリアクションを見ながらはじめて成立するメディアだと思う。
一番人間的なメディアが演劇だと思う。
演劇的な想像力を生々しい手作業に依って行われるという、限定つきなものでやりたいと思っている。
中心的なテーマを語ることすら無意味、恥ずかしい、もう大きな中心的な課題が消失しているのが現代というふうになってゆくわけですから、どんどん集団も思いも細分化されてゆくわけです。
新しい理念を皆が作らなくては行けなくて、優れた人達、そうでない人もそれを事実感じて、切望していると思う。
世界中がどこにも新しいモデル、理念を発見できていないが、それは十分承知の上で、新しい思い、新しい希望について語らざるを得ないが、個人の思いの中では果たせない。

討議し実験できる場を用意してゆく、我々が作りだし得なかった理念を後の世代は作っていけばいいと思う。
考える場所として劇場のスペースの確保、劇場の時間、空間を確保してゆく。
新しい理念を探ってゆくというのが、まだかすかな希望として残しておくということ位しか考えられないかな。
新しい理念を探し続けると言うのが、唯一の希望、放棄しない。
僕は自分自身、羞恥心が核の様な気がするんです。
他者って遠いよなといつも思って、近づきたい知りたいと思って生きているから、そういう感じは消えていない。
100年後の未来について烈しい希望と不安を感じているチェホフの戯曲があって、チェホフが願った様な現在じゃないなあと思ったが、僕自身の100年後、美しい未来で、豊かな日々で優しさに包まれた人間的な世界で有ればいいなあと思っています。
そのために僕らの苦闘もあって、日々がどういう思いの上に成り立っているのか、歳を取るとそのことを痛切に知らされるわけです。
穏やかな優しい日々が100年後に実現されたらいいなあと、これは僕の願望です。