2016年7月2日土曜日

佐々木 閑(花園大学教授)   ・私の“出家的人生”

佐々木 閑(花園大学教授)   ・私の“出家的人生”
59歳 2500年前に釈迦が開いた仏教の原点を究めようと研究を続けています。
佐々木さんは釈迦のことを良く生きるとはどういうことなのかを問い続けた人だと言います。
釈迦が悟りを開くために入った出家と言う世界は僧侶だけのものだけではなく、現代社会においてもにあちこちに存在していると考えました。
出家的人生とはどういうものか伺いました。

釈迦は国王の息子、王子として生まれた。
幸せな人生を送れるはずだったが、名誉、お金だとかそういうものに人生の本当の喜びがあるとは考えなかった。
普通の生き方では満足できない、自分の心に決めた生き方を目指して、もう一度人生をリセットする、それが出家。
仲間に呼びかけて、一つの集団をつくって、それが仏教になってゆく。
釈迦の人生を考えて調べてゆくうちに、お釈迦さまと同じような生き方をしている人が宗教以外でもたくさんある事に気が付きました 。
生まれついての世俗の生活の中で満足できない、価値観が違う価値観を持っている人が自分独自の価値観を追及するために、世俗の様々な喜びや利益を捨てて自分の新しい人生をもう一度リセットする事、これが出家です。
何を捨てて何を取るかというのがそれぞれの出家に生き方の違いになってくる。
私はたまたま色んな御縁があってうまくいかない人生を積み重ねて行ったら、気がついたら出家した様な状態になっていた。

出家というのは日常的な活動を捨てるので、稼がずに生きてゆく事になる。
食べられないので、出家した人をサポートする周りの人達がいなければならない、品物、ご飯、着物などあらゆるサポートの為の物資の事をお布施といいます。
出家者は朝から晩まで修行をする訳です。
野球は玉遊びで、遊びが段々と熱中する(出家者)と、素晴らしい技術を持った人が現れ、見ると言う楽しみができてくる。
そうすると応援する、入場料、応援団、これはお布施になります。
喜んでやっている姿にたいして、皆さんがお布施をあげるので、誰もつらい思いをしている世界ではない。
違う生き方を願う人達が世俗的な生き方を捨てて、自分のやりたいことだけを追及する様な道を自分で構築していこうとすれば、それは出家です、代表的なものは科学者です、純粋な科学を念頭に置いていただきたい、ビックバンの研究とか、研究したいと言う人がいるわけです。
私たちは税金で応援している、税金が科学者にたいするお布施です。

私の様に仏教学もそのままでは世の中の役には立たないが、探究している姿はそれなりに意味があると思っている人達から給料をもらって、暮らしているわけです。
政治家も、出家者です、この社会がよりよく平和に皆が楽しく幸せに生きてゆく事を実現するのが私の人生の目的だというのが、本来政治家が考えねばならない立場なんです。
それぞれの立場の人がしなければいけないことと、してはいけないことが非常に明確に見えてくる。
出家的な生き方は、日常な暮らしをしていても、いくらでも探せる。
今の私の人生は100%幸せかを自問してゆき、このままで幸せなら出家する必要はない。
お金が無いのが不満という場合はお金を稼げばそのことは解決するので、出家的な人生を目指すわけではない。
お金が無いことが不満だと思っている自分のあり方が不満だと、お金が無くても幸せだと感じられるような自分になりたいと思うとここから出家になってゆく。
何を手に入れたら私なら幸せなのか、幸せの条件が見えてくる。
例えば一番幸せなのは、周りの人達に喜んでもらえること、私がいることによって周りの人たちが幸せだと思う様な存在になりたいと感じたとすると、その人はそういう事が出来る様な道を探し始める。
ボランティアかも知れないし、社会活動で人の役に立つ事かも知れない。
何を修練して何を勉強して行ったらいいのか、今の生活のなにを犠牲にして、その分をその生活に入って行ったらいいのか、具体的に見えてくる。
今の自分の有り方にたいして自問自答してみることから始まる。

仏教は出家度は100%、全ての生活をお布施に頼って全エネルギーを修行につぎ込む。
10%、20%とかの出家はあるはずです。
家庭を離れた自分の時間(2時間とか3時間とか)を作る。
自分の好きなことに、求めている事に時間をかける、その時のお布施はその周りの家族の情愛、それがお布施になっている。
自分の生きがいを感じることができる充足した人生を送ることができる。

1956年昭和31年に寺の長男として生まれる。
小学2年生の時、詩で日記を書く様に先生が指導、全国作詩コンクールがあり学校を通してだして、2年生の時にちょっとした賞をもらって、3年生で福井県で優秀賞、4年生で全国大会の優秀賞、5年生の時に全国大会の最優秀賞をもらって他に沢山のものを頂き、その途端に詩が書けなくなってしまった。
心の中が物欲で一杯になり書けなくなってしまった。
貰った商品の中に科学図鑑が入っていた。(湯川秀樹先生監修の全30卷)
それを読んで、中学、高校と科学を勉強して、大学を選ぶときに、寺を継ぐように言われて、継ぎたく無くて、父と相談の結果、両方やれるような道に向かえばいいと言う事になった。
火力発電所の建設が近くで有り、公害がでるので、公害を防ぐための研究の方に進めば、将来発電所に勤めながら住職も出来るという事で、京都大学の工業化学科に入ることになる。(1975年)
講座は野崎先生がトップで、直属の先生が檜山為次郎さんという人で二人ともノーベル賞級の先生です。
能力が付いて行かず、挫折してしまって、卒業はしたが、科学で生きていく事が出来なくなってしまって、その時初めて仏教の方に目が向かった。
工学部を卒業後、文学部に移って仏教学の道に入りました。

古代インド仏教、3年学ぶ、特に語学(サンスクリット語など)が大変だった。
博士課程も終わったが、家に帰ろうという気持がなくなってしまった。
釈迦の人物に魅力を感じて、仏教の運営システムが気にいって、それの研究をすることばっかりして、仏教の法律論みたいなものを勉強して、一生やりたいと思った。(出家への道)
釈迦の研究を成就したいと思ってアメリカに行きました。
仏教学の本筋はヨーロッパとアメリカが中心なんです。(植民地時代に仏教学、インド学が盛ん)
一緒に勉強している学生が、自分のやりたい道を追求するために来ている人がいっぱいいました。
大学で仏教を教えるようになって、釈迦という人物にさらに強く魅かれるようになる。
世の中の動きは全て原因と結果の間の因果関係で動いている、という世界観を釈迦は持っていた。
生き物は皆死ぬので苦しみを持っている。
死ぬと言う事を死ぬ前にあらかじめ想定しながら生きているのが人間です。(苦しみの一番の大元)
自分自身を助けるのは、自分自身が変わることによって、自分を助ける、この理念を釈迦は打ち立てる。
仏教は心の病院だと思っています。
釈迦は処方箋を残してくれた。
システムを維持してゆくためには処方箋が正しくないといけないが、2500年間機能しているので、それは正しい。
病院という組織が続いていかなければならないが、釈迦の組織運営としての働きです。
両面がそろっているので、心の病院である仏教は2500年間釈迦以来、今もあります。
色々なところに行って講演をしています。
釈迦が歩んだ出家の道の真髄を理解して、少しでも実践する事で人々は自らの人生、住む社会を豊かにできると考えています。

出家的人生を送っている人は自分の好きなことを追及している人で、人生の全エネルギーを好きなことに追及するので、その人が生み出す成果は、その人ほどエネルギーを使っていない人にくらべればはるかに大きなものを生みだしている。
今まで社会に無かったものを生み出すので、出家的人生を送っている人たちが社会を動かす原動力になっているが、時間はかかります。
100年、200年経って、振り返ってみると、とてつもない社会にたいする貢献になると言うことはいくらでもあります。(レントゲンとか、いくらでもあります)
出家的人生を目指す人を応援しなければならない。
多様性を容認する世界、多様なことをしようとしている人達を皆が支える世界。
出家社会を守っていればやがて、出家社会にいずれ自分が入ることができるかもしれないし、子供が、孫が入るかもしれない。