2016年7月13日水曜日

蜷川幸雄(演出家)      ・演出家 蜷川幸雄さんを偲んで(1)

蜷川幸雄(演出家)      ・演出家 蜷川幸雄さんを偲んで(1)
今年5月12日に肺炎による多臓器不全のため80歳で亡くなった、蜷川さん。
古典から現代劇まで幅広いジャンルを独自の解釈で斬新に演出し、世界の蜷川と言われました。
7年前NHKBSハイビジョンの100年インタビューという番組で収録した蜷川さんの話を振り返ります。
1955年に劇団青俳に俳優として入団、68年に現代人劇場、72年に演劇集団櫻社を創設し、小劇場で先鋭的な舞台の演出を手掛け、そのご商業演劇に転向することになります。

余り人には会いたくないです。
普段は人中に出たくないですが、演出家となると突然羞恥心が無くなります。
台本が3冊、9時間。
文学を演劇にする様なものだと思います。
現在73歳、全ての老いという条件をクリアしながら、共存しながら9時間やると僕の脳はどの位活性化してそれに耐えられるのか、演劇的に新しいことができるか、スタッフ、俳優などにたいして説得力ある蜷川でいられるか、極限までやっておかないと、チェックしておいた方がいいと思っている。
4~5年前から演出ノートを一切付けてなくて台本の書き込みも殆どなくて、即興で思い浮かんだことを指示して、俳優の演技を見ながら直してゆく。
映像の監督たちが瞬間に決定してゆくのと同じようなことをやってます。
昔の演出よりもいいかなと思っていて、瞬間でやっていて、詰まってにっちもさっちもいかないということはないです。
年間10本近くやっています。

満身創痍、開腹手術をしたり、今年6月は脳梗塞で入院しました。
年老いて行って目が悪くなり、身体も衰えるが、それは普通の人間として体験したい、演出家としてプラスになる。
放っておくと、老いがどうやってくるか、自分で判る。
病気になってしまう事は困るが、それはしょうがないかなあと思っている。
十二指腸潰瘍、胃潰瘍、腹部大動脈瘤、脳梗塞、心筋梗塞などをやっています。
脳梗塞の時に、24時間点滴を5日間やっていて、どうしてもやりたい仕事があるのであれをやるまで死にたくないと思う。
自分にしか作れない何かがある様な気がする。
それがやりたくてしょうがない。

開成高校へ、良い大学に入ってサラリーマンになって、それが自分の行きたい道とは違うと言う事はぼんやりあった。
成績が全部発表されて、教室も成績順に並ぶ。
そういうのが我慢できなかった。
ぐれるのは当たり前だと今は思います。
掛け軸、色紙などを入札して、無名の画家たちを援助する様な家だった。
親に連れられて、歌舞伎、オペラ、映画を観たりすることをしていました。
芸大の油絵を受験する。
安井曾太郎さんの絵が好きで、後は外国の抽象画が好きでした。
受験体制が嫌だったので予備校に行かなかったが、夏期講習があって余りにも受験生が上手いのに愕然として、井の中の蛙だと、うぬぼれてはいけないとつくづく思いました。
絵の才能はないと思いました。
芝居は見ていたので、山本安英さんがでていた、「蛙昇天」、木下順二さんの作品を見て、演劇って生々しく強いんだろうと思って、それに衝撃を受けました。
芸大も落ちたし、俳優になろうかなあと思いました。

制服の役が嫌でやりませんと言ったり、貴族俳優と言われました。
俳優としては酷かったが、面白がられて、周りからはかわいがってもらいました。
名優は演出家になれるが、実績のない俳優は、他人を説得する材料が無いので演出家に成れないと言われた。
自分で劇団をやればいいんだと思って、演出家になってみたら何故か羞恥心が無くなる。
演出家だけは楽、自分が思ってることがビジュアル化されたり、中身とくっつきはじめるときに解放されて緊張しない。
イメージは自由に飛躍するから、それが浮かび始めると連鎖して浮かぶようになってくる。
そのために努力するから胃が駄目になり、胃腸薬をポリポリ噛んでる。
身体はズタズタになるがイメージがいいと言う事になれば、子供がおもちゃをもったりするように、おたくになる。
櫻社では毎回満席になるが、ここでも解散することになる。
73年に新宿を撤退しますと宣言をする。

新しい創造力を自分にくっつてけてゆくというのは、自分の力だけではどうしようもなくて、他人の想像力と烈しくぶつかったり、自分の得手じゃ無いものとぶつからない限り、隙間を埋め様としたり、絞り出すように何かを発見しようとするのは、それほど人間は強くはないんだと思うんです。
過酷な条件が自分に課す、課せられる、そうならない限り新しい展開はやってこないと感じます。
新しい視点が無い自分の舞台は嫌です。
得手じゃないものもやっておくと、知らぬ間に感性の幅が広がってやがて、自分の好きなものに戻るときに、その経験が幅を広げているんじゃないかと思います。
自己変革は難しいものだと思います。
商業演劇の演出をやると言う事は、自分自身の新しい変革の契機になると思っていました。
廻りは反対しました。
一緒にやろうよと言ったが周りからは断られ、妻から貴方と一緒に仕事をしたくないのよ、と言われてそれは衝撃的でした。

自分自身が演出して変わって行っていないことの、存在証明をしなければいけないという側面が、僕の仕事の中についてきたんだと思って、一切妥協しなくなる。
そのために仕事を選んできた。
四面楚歌になりました。
映画を見ていたときに休憩のときに煙草を吸っていたら、青年が来て、表に出てくれと言ってきて、外に出て喫茶店に入る。
椅子に座ったら、テーブルの下でジャックナイフをだして、「希望を語りますか」と言ってきた。
「希望なんて無いだろう」と言ったら、「貴方が希望を語ったら僕はあなたを刺すつもりでした」と言って出て行った。
僕の芝居の客席にはそういう思いでみている観客がたくさんいたんだと思いました。
状況が破れ破れて、ここで希望を語ったら嘘だと思っているわけです。
希望を語れるような状況ではなくて、リンチ殺人だとか、問題が一気に噴き出してきている状況で、そういう状況の中で希望を語ったら明らかに嘘だというと、状況が破れていく中での問題点を全て我々は背負って行かなきゃいけないときに、お前は希望を語るかと、語ったら、かばったらそれは偽物だと、だったら刺すぞと言ったんだと思います。
それほどの思いで感情を同化して、演劇を熱い思いで見ている人たちがいることが判りました。

お客さんに与える演劇の影響がこれほどまでに強いものかと思いました。
ジャックナイフを持っている青年たちが僕の舞台を見ていて、お前の変質をしたら許さないぞと言う思いで見ている観客がいるのではないかと(観念の観客)、何かを語る責任があるんだと思います。
イージーな芝居は作れないと言う思いは十分ありますね。