高橋靖昌(2016世界らん展日本大賞受賞者)・家族でつかんだ26年目の夢
高橋さんは世界らん展が始まった平成3年から連続して出品し続けて、26年目の今年悲願の大賞を受賞しました。
おととしは.3位、昨年は2位、今年は1位、受賞した花はパピオペディラム属エメラルドフューチャー、直径およそ16cmの黄緑色の花が上、左右に広がっていて、ギャラクシーと名付けられました。
高橋さんは代々続く花器販売業を世田谷で引き継いできましたが、14年前に山梨に農場を移しました。
現在はお子さんの昌美さん夫妻が農場で栽培をしています。
今回の賞は家族あってのものだと、高橋さんはお話になっています。
突然電話が掛かってきて、賞に入ったのですぐ来てくださいとのことだった。
東京ドームに行って、一番欲しかった賞なので、本当にうれしかったです。(1位になっていることは知らなかった)
10~20の中から息子はこれがいいと言ったが、私は勘でこちらの方がいいという事で決めました。
全体の審査員が150人ぐらいいて、その人たちが見てこれがいいなと思ってくれる花でないと出せない、選ぶのは苦しいです。
妻、子供達夫婦、ここで働いている従業員の人達全員のおかげです。
父親が色んなところに出掛けるのに私を連れてゆき、その間に目を養って、後を継げという事でした。
先輩も良い人たちがいてそのおかげだと思っています。
小さいころから花は好きでした。
色々な花を育てたりグラジオラスは年間100万本を一人で切りました。
朝、4時頃から切り始めて、切り終わるのが3時ごろです。
切り終わる頃には、最初に切ったところが咲き始めて、又切り始めて夜8~9時ごろまで切りました。
祖父母がそれを束ねて用意するが、量が多くて大変でした。
らんみたいにはゆっくり咲いてくれない。
世田谷に園芸組合があり、知り合いがらんを見に来ないかと言われて、一目見てこれは凄い花だと思って、カトレアを始めた。
普通の花にはない色がたくさん咲いていた。
白い花と淡い、濃いピンクを買ってきた。(黄色もあったが売れない)
進駐軍の奥さんがパーティーで淡い、濃いピンクを選ぶ。
胡蝶らんでは白だけだったが、ピンクがでてきて、その後黄色がでてきた。
切り花では黄色が売れないが、なんでだろうなあと思いました。
一番難しいなあと思ったのは兎に角うまくいかない。
葉っぱが大きいから太陽光線で火傷してしまうので、ネットを張ったが、濃いのを張ったため、日照不足になって花がでなくなってしまった。
濃いネットをはずして、陽の通るネットにしたら咲く様になった。
胡蝶らんは濃いネット位で丁度良かった。
種類によって違うものだということが判った。
日本中を駆け回って買い集めて、2日で500株位盗まれたことがある。
2度目に入られて、車を見つけたが、どこかの農家か園芸屋さんに預けたのではないか。
一株5000円だったので大変だったし、大変怒りを覚えました。
当時の5000円は今の1万円以上すると思うし、一回に仕入れにるのが最大10株です。
らん料+交通費です。(関西が多かった)
アメリカ、ハワイ、ロス、サンフランシスコに行って沢山買って、その株を増やして、部屋いっぱいにするのに3~4年掛かりました。
通訳をする人と共にマイアミに行って、そこで買って、ロスに戻ってほしい花を買って、いいものがあったが買えなかった、2000ドル(1ドル=360円の時代)だった。
2年後に行ったら20cm弱のものがあり、一株500ドルだった。
一人一株なので権利をもらって、親株を5株購入した。
らんの水やりは最低5年掛かります。
世田谷では光線不足で上手くいかなくて、光線が弱いと花がでなくて株ばっかり出来てしまう。
14年前山梨に移りました。
東京が暑くなってから、クーラーを使うか寒いところでボイラーを焚くかどうかだったが、電気代のことを考えると山梨にした。
周りからは反対意見がありましたが、自分で選んだ道の方があっていました。
山梨は日照時間が長い、光線が良く当たるところでないと良いものができない。
山梨は水の質がいい、従業員は買った水よりもこちらの水の方がおいしいと言います。
全部屑が咲いてもいいことはないが、たまに良いものが咲くと、やはりこの種類を作っていて良かったと思います。
だいたい何が咲くか判らないのが魅力です。
賞を取れる様な苗を1100あるかなと思うが、良い交配ばっかりだからそういうのを作っています。
花が咲くまで7年ぐらいかかります。
昌美さんも目が肥えてきたのでいいと思います、アメリカ、シンガポール、ドイツにいって株の購入をしています。
賞は入らなくても皆がこれは凄という様な花を、ずーっと展示してあげたいと思っています。
それには自分の目を信じないといけないと思います。
昌美はニューヨークで金賞、サンフランシスコ、ロサンゼルス、マイアミ、ハワイで取って、もう賞荒らしは出来ないといって、アメリカにはお世話になってきたし、今後もお世話になるし、自分たちもいいものをつくってアメリカに置いて来るのも良いかなあと思っています。