澤木万理子(宇治川の鵜飼・鵜匠) ・鵜飼に恋して
42歳 、京都市に生まれ滋賀県で育った澤木さんは主婦で派遣社員として働いていた、2001年鵜匠の門を叩き、翌年に鵜匠デビュー、2004年は鵜匠として一人立ちし日本で3人目の女性鵜匠として注目されました。
澤木さんは宇治市観光協会としても採用され鵜飼シーズンの7月から9月までの3カ月間は二足のわらじをはいて活躍しています。
宇治川の鵜飼に新しいアイドルが登場しました。
宇治で産まれ澤木さん達がそだてた海鵜、愛称ウッディー 去年鵜飼にデビューし人気者なっています。
何故鵜匠になったのか、どんな鵜飼にしたいのか伺いました。
雛の餌はアジの磨り身です。
雛は一昨年から、初めてなので専門家に聞きながら育てています。
成長が早いです、これは6日目で、目が少しだけ見えてきた様な状態で、毛はまだ生えていません、90gです。
56日目の若鳥もいます。
今夜活躍する鵜は宇治川の中州に鵜の小屋があり14羽います。
去年デビューのウッディー 他の鵜よりちょっと小柄。
鵜はくちばしが長くて、先が鍵形に曲がっている。
今夜の鵜飼につれてゆくのは若い鳥だとか、動きの状態を見ながら、毛艶とか、目の色とかで決めてゆきます。
気性は荒いです。
2羽で一緒に行動するので、2羽同士でけんかをしたりします。
鵜飼は全て海鵜で、川鵜よりも体が一回り大きいので、深く川の中に潜ることができるので適していると言われます。
昨年8月 ウッディーは別行動で参加していなかった。
かがり火を怖がったりしていました。
宇治川の鵜飼は平安時代にはすでに行われていたと言われる。
藤原道綱の母が書いた蜻蛉日記の中に宇治川の鵜飼は登場する。(1000年以上前)
今の宇治川の鵜飼は観光の鵜飼として大正15年ごろに再興された。
平安後期~鎌倉時代に宇治川の鵜飼は途絶えていた。(仏教で殺生を戒めた)
今の鵜飼は夏の夜に行われます。
夜の方が魚の動きが鈍くなるので鵜が魚を取りやすい。
夏のアユの解禁に合わせる。
かがり火をたく事で魚が集まってくる。
風折烏帽子(頭にかかるかがり火の火の粉を防ぐ)に腰みの(水を防ぐ)といういで立ち。
一人が6羽の鵜を操ります。
綱が絡まったりするのでそれをほどいてやりながら鵜飼をします。
鳥が好きだったので鳥を扱う仕事がしたかった。
学生の時に鵜飼をはじめて見ました。
結婚後派遣社員で働いていたが、30歳を前にして自分のやりたい仕事は何だろうとふっと思って、鵜飼に辿りつきました。
宇治川でも鵜飼をやっている事が判って、お願いに行きました。
鵜飼の川開きの初日に一緒に船に乗って、見よう見まねでやりました。(上手くは行かなかった)
毎日段々と2羽から3羽と増やしていきました。
ここは世襲と決まっていなかったのでよかったです。(後継者不足は今も抱えている)
悪天候以外は、3カ月間は毎日やります。
最初は自分のことで精一杯でした。
3~4年目でようやく周りが見えるようになりました。
鵜飼、美しさが先ずあります、情緒のある美しさが魅力です。
魚を取る、吐かせることが身近で見られるダイナミックさも魅力です。
4歳違いの女性が入ってきてくれました。
長良川の鵜飼をやっている近所の人で長良川の鵜飼を親しんできた人です。
長良川の鵜飼は世襲制なので宇治川の鵜飼を聞きつけてきました。
皆さんに楽しんで頂けるように説明などもしながら行っています。
海鵜は神経質な鳥で人間が飼育している環境では卵を産まないと言われていた。
一昨年どういう訳か5つの卵を産んで、2つは小屋の中で割れてしまったが、3つ温めた処、1つだけひながかえって、これは日本で初めてのことだったんです。
昨年鵜飼にデビューして名前も公募してウッディーという名前になりました。
去年2羽、今年3羽のひなが順調に育っています。(人工ふ化)
鳥は目が見えてから初めて動くものを親だと思う習性があるので、私たちのことを親だと認識していると思います。
ウッディーは過保護に育ててしまった様で、他の鵜となかなかなじめなかったり、へたくそでしたが、今は他の鵜と一緒に生活ができるようになりました。
昨年はウッディーがデビューして観光客も増えて、7060人の方が来ていただきました。
6羽の人工ふ化で育った鵜は人に慣れて呉れると思うので、綱を使わずに放ち鵜飼をやってみたいと思います。(今の日本では無い)