2016年7月20日水曜日

中村正人(プロジェクトマネージャ) ・パートナーは“あかつき”

中村正人JAXA金星探査機「あかつき」プロジェクトマネージャ) ・パートナーは“あかつき”
日本初の惑星探査機、あかつきが金星の本格的な観測を始めています。
あかつきはプラネットCという名称で、開発がすすめられ2010年に打ち上げられました。
エンジントラブルを乗り越えて、去年の暮、金星を廻る軌道への投入に成功しました。
中村さんは1959年生まれ、専門は惑星大気プラズマ物理学で、金星探査機あかつきプロジェクトマネージャーとして計画の立案から軌道への投入まで、15年に渡る長いプロジェクトを率いてこられました。
あかつきとの15年について伺いました。

金星は太陽をはさんで地球の反対側にいて、光の速度で14分ちょっと、2億6000万kmです。
その周りを楕円軌道していて、金星の近くを11日位で1周しています。
3台の赤外線カメラと1代の紫外線カメラが動いていて、1時間ごとに動かして各カメラが数枚の画像を送ってきています。
5年間の間に太陽に近づいてしまうということが9回あり、太陽の熱で衛星が劣化してしまうということがあって、燃料も1回の挑戦しか無くて、背水の陣を敷いてやりました。
色々トラブルを想定してどう切り抜けるのかの練習もしました。
あかつきは自分だけで金星の廻りを回るという風にセットして、離しました。
20分間エンジンを吹いてやっと金星の周りを廻りました。
15年前に設計を最初にして凄くいろいろ検討して、それが巧く当たって綺麗な映像が撮れていてうれしかったです。
思わぬ映像もあって、雲のてっぺんの温度を測るカメラがあるが、そこに南北に大きく伸びる波の構造があるように見えたが、世界で初めて見えた構造で、どうしてそれができるのかを考えているが、決定には至っていない。

金星は太陽を廻る周期は225日、自転の周期は243日、一日の長さが243日となっています。
太陽系の殆どの惑星は東向きに廻っているが金星だけは西向きに廻っていて、原因が判っていません。
惑星が当たったとか、外乱でそうなったともいえません。
大気は熱い硫酸の雲で覆われていて、表面は地球からは見えない。
表面では465℃で熱い温度になっていて、大気の成分は二酸化炭素で地表での圧力は90気圧で、深さ1kmの海の中と同じ圧力で、とても生物が住める環境ではない。
1秒間に100mのスピードで回っていて、スーパーローテーションとよんでいるが、どうしてそういったことが起きるのか、調べるべき一つになっている。
6台のうち4台は観測する光の波長が異なる感度があるカメラで金星全体を一気に撮影することができる。
違う波長で見ると、違う高度の雲、大気に含まれている水蒸気、一酸化炭素などの分布が映像として映し出され高さ方向にも分解できる。
これらの観測を通じて金星の気象学を始めたいと思っている。

金星の大気はどんな法則に従って動くかを知って、地球の気象学の拡張として気象学を構築する、翻ってこれを地球に適用すれば地球気象の深い理解に至ることができるのではないかと思っています。
トラブルがあり、当初の計画から変更して、遠い所から定点観測に切り替えました、
平成22年5月21日鹿児島の種子島宇宙センターから打ち上げ、当初その年の12月に金星の周回軌道に到達して2年間金星の大気を観測する予定だったが、12月に予定とずれていることが判った。
原因はエンジンの燃料とそれを送り出す高圧ガスタンクの間に逆流防止弁があるが、それが詰まってしまって、燃料の送定量がエンジンに届かず、異常燃焼をしてしまって、高温度になって壊れてしまった。
探査機が行方不明になり、見つかって、情報収集に全力をあげました。
2015年 あかつきが再び金星に近づく平成27年11月を目標に、軌道を制御する主エンジンを噴射させて軌道を再投入することを目指していたが、エンジンが全損していることが判明、2011年9月に主エンジンに依る再投入が不可能という事になる。

多くの応援メセージをいただきました。
平成27年12月に周回軌道に成功する。
のぞみ、はやぶさの不具合を回収して作り上げた衛星だった。
ステップを踏んでいかなければ判らないことがどうしてもあります。
プロジェクトサイエンティストは今村准教授、ハードウエアープロジェクトエンジニアは石井教授、財政部分は阿部先生、チームとして動いていました。
ひとみについては大変残念なことでしたが、どうしてそうなったかを追及して、そこを是正する努力をしているところです。

小学生のころに偉人の伝記を読み、アインシュタインが「物理学は学問の王者である」とあり、理科が好きもあり、先生から物事を突き詰めて考えるという事を教わり、物理学に進みました。
地球の磁場があり、磁場が変動するが、地球の周りを取り巻いている電離層があり、電流が流れると電場が変動するが、その様子を調べることによって地球の磁場のメカニズム、電離層の場乱の様子が判ってくる。
反応から最終的には地球の構造そのものを調べてゆくという事になります。
海底磁力計と海底電波計を引き上げるアルバイトをする中で、宇宙に未来はない、海底にこそ未来があると言われるが、最終的には宇宙方面に行く事になりました。
宇宙研の大林辰蔵先生が定年を迎えられ、助手をという話があり、1992年に打ち上げた衛星の組み上げ運用、観測装置を作って乗せるという仕事にどっぷりつかっていた。
東大に来ないかという話があり、宇宙研では役に立たないから引き取ってくれという話を5年経ってから打ち明けられたが、真相は不明です。
山本先生がのぞみのプロジェクトサイエンティストをされていて、嘱望されていたが、のぞみ打ち上げの半年前に病気で急に亡くなられ、私がバトンタッチすることになりました。

赤外線カメラを担当するが、探査機が良くないとカメラがいかに良くても写真が良く撮れないことが判ってきて、ミッション全体を考える様になりました。
3人でミッションの設計図を描いて、2年間は考えたことを説得してゆくが理解されなくてその間歯を食いしばって、今も奥歯はボロボロです。
比較的楽天的な性格ではないかと思っています。
この仕事はだれが適任かを探すのは何故か得意です。
「明日出来ることは今日するな」 なるべくそうするようにやっています。
明日はもっと良くなるかもしれない。(出来るだけ先延ばししています)
若い人たちは行動原理をどこに求めたらいいのか、と言うのがしばしば迷うみたいで、自分の価値観を持ってその自分の価値観でするべきことは決める、人の価値観で動いてはいけないと言っています。
チャンスを最大限にいかせるならば、下積みをやってでも15年かけてでもやってみたいと思って、今回のミッションをやったわけです。
2007年に打ち上げる予定だったが倍かかってしまいました。

手を動かして実行してみて、失敗をしてみて、その中から本当に大事なものはなにか、というものを掴み取ってゆくしかないんじゃないでしょうか。
失敗をしてみるという事は後の人生で大事なことになってゆくんじゃないでしょうか。
その中から本当に大事なものは何かを自分で掴み取ってゆくんじゃないでしょうか。
趣味がピアノとカメラです。
小さい頃から始めて、大人になって辞めてしまって、その後東大の研究室にキーボードを置いたが、或る名誉教授がセミナーに来て、キーボードを弾き始めて、教室には中年でピアノを弾くのは僕しかいないので一緒に燃えようと言って、それから15年以上習っています。
年2回発表会があります。(合計30回)
カメラはおじがNHKのカメラマンをしていて教わりました。
撮るのは主に、花、風景、うちの猫を撮ります。
あかつきは設計時から長い付き合いしているし、通信をしていて命令をこちらから与えるが、出来ない様な命令を与えるが、探査機はそんな無茶な命令をしてはいけませんとか、上手い具合に行っていますとか言ってくるわけです。
そういうのを見ていると人間みたいな感じがしてきます。
あかつきの寿命は燃料で決まっていて、あと2000日は持つと思っています。
日本が毎日の金星のデータを世界の研究者に発信できる時代がやってきて、日本の探査機の成熟期を迎えたんじゃないかと思います。