2016年7月28日木曜日

絲山秋子(小説家)       ・芥川賞作家、執筆姿を公開

絲山秋子(小説家)       ・芥川賞作家、執筆姿を公開
群馬県高崎市在住 4月から前橋市内の書店で書斎のスペースをつくってもらい、絲山房と名付けて、仕事風景を公開しています。
人気作家の仕事の様子を見たり、直接あえて会話もできたりするという事で、遠くから駆け付ける人もいると言います。
絲山さんは大学卒業後、就職、営業畑で働いていましたが、躁鬱病を発症して休職、会社を休んで入院中にものを書く事に目覚めました。
退職後、2003年に「イッツオンリートーク」でデビューし文学界新人賞を受賞しました。
その後、順調に本を出版し、2006年「沖で待つ」で芥川賞を受賞しました。
最近、「小松とうさちゃん」、「薄情」など、立てつづけに長編を出版、精力的に仕事をしています。
公開書斎のこと、子供のころのことなどを伺いました。

朝の5時には起きます、忙しい時は夜中1時、2時には起きます。(夜は8時頃に寝ます)
書く時間は一番忙しい時は、6時間書いて、1時間休んで、6時間書いて、1時間半仮眠を取って、2日間ぐらいそうすると、大体のものは書けます。
集中力が途切れるのが嫌です。
ラジオ高崎、FM局で週に一遍、朝の5時45分から1時間の生放送を担当しています。
群馬県に住んで10年になります。
三方山に囲まれていて、綺麗な景色が見えることはリセットするので凄く気に入っています。
絲山房、手書きの仕事はたくさんあるので、喫茶店に持って行って作業する様な感じで、本屋さんの中で机をもらってやっています。
来て下さる方が、話がフリートークなので、その方の好きな色々な話が出来ます。
集中している時は、遠くから見守ってくれます。
本に囲まれると落ちつきます。

2016年1月に「小松とうさちゃん」 去年に12月に「薄情」、去年の10月に「街道(けいどう)を行ぐ」、1014年9月に「離陸」、1013年3月に「忘れられたワルツ」を出版。
「小松とうさちゃん」 
小松さん、中年の非常勤講師が偶々知り合った女性に恋をするが、なかなか動きが良くない。
小松さんの飲み友達(宇佐美)さんが、小松さんの恋の御手伝いをするおじさん。
「薄情」
群馬県が舞台、色んな人が同じ街に住んでいて、地方都市に住む人の想いみたいなものが重なってゆく話。
「街道(けいどう)を行ぐ」(群馬弁) 写真集みたいなもの。
カメラマン、記者の人と一緒に回ってゆく、道、群馬の自然が好きで、ドライブプランになる様な本。
企画から自分でやり、計画をするのが楽しかった。
短編も多い。(30枚位で、書きやすい)
小編も(15枚位)あり、纏めるのが難しいが面白い。
作品の為に一番いい内容にするためには、100枚にした方がいい内容が有れば、一番良さをだすためには18枚になったりするが、妥協してはいけないと思う。

生まれは東京、あまりいい子ではなかったような気がする。
3人兄弟の末っ子、幼稚園の時に、「人間は何のために生きるか知っている?」と友達に聞いた事を覚えいる。(TVとかの受け売りだったと思うが)
「人間は真理の為に生きるんだよ」と、4歳の時に友達に言って、判りもしないのに、そういうことを言って後で恥ずかしいやら。
動物、馬が好きで馬事公苑に良く行っていましたし、動物の本も好きでした。
そのうち、ダーウィン、猿学の本だとか、小学生の頃読んで難しすぎるとは思いました。
年に500冊ぐらい読みました。
そのうち外国のものを読むようになって、文学を読むようになったのは中学になってからです。
作家になろうとは思わなかった。
高校時代からは手当たり次第に読むという事はしなくなり、一冊を100回読むとか、あまり読まなくなりました。
早稲田大学政経学部に入って、ゼミが農業経済で、3~4年になってやっと勉強し始めました。

住宅設備メーカに入社。
自分仕事が可視化出来る仕事がしたかったので、メーカーの営業にしました。
やりがいのある仕事でした。
人付き合いが不器用だったので、仕事を通して教えて頂く事が多かったです。
会社の都合で、転勤は多かったです。
全てが上手くいっている時に、鬱状態から、休職しているうちに躁鬱病になりました。(勤めて8年後 二回休職している)
35歳で退職。
入院している時に初めて暇つぶしに文章を書きました。
続けているうちに、フィクションを書く様になって、次が書きたくて、書きたくてしょうがなかった。
2003年 、「イッツ・オンリー・トーク」で第96回文學界新人賞を受賞、第129回芥川賞候補となる。
2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞受賞。(歴代最短)
2005年「海の仙人」で芸術選奨文部科学大臣賞 「逃亡くそたわけ」で直木賞候補になる。
2006年「沖で待つ」 芥川賞候補になって3年後に受賞。
職人の様な感じで、腕を磨いて良いものをつくって出し続ける。
FM局での仕事は生き甲斐です、リアルタイムに一緒にいるということが凄く大事なことだと思っています。
メールを物凄く頂きます、家族のことを話して下さったり、職場のことを話してくだったり、そういうことが嬉しいです。
ウェブで「いとろく」というのを始めました。
六次産業から来ていて、生産者が流通から、販売まで行うが、小説家がやったらどうなるかという事で、ネットショップで新しい原稿をつくって、販売までするという事を始めています。
自由な意見の交換と、緊張感があります。