2016年7月12日火曜日

三遊亭究斗(落語家)      ・歌って踊れる遅咲き真打ち

三遊亭究斗(落語家)      ・歌って踊れる遅咲き真打ち
劇団四季にミュージカル俳優として10年間在籍した三遊亭究斗さんはすべてを一人で表現できる落語に魅
力を感じ、34歳で落語家に転身しました。
落語家としての修業を積み、遅咲きの51歳で真打ちに昇進、この間に他の落語家にはない歌や踊り、時にはオーケストラの演奏を交えたミュージカル落語を創作しました。
最近は教育、娯楽を合わせた、エデュテインメント(: edutainment)」の落語にも力を入れています。

真打ちに昇進したのが、2014年3月、その前の名前が「亜郎」でしたが、三遊亭圓丈師匠が変えようという、師匠から「弓斗」と言われた。
最初は弓斗ではと言われたが、占いではよくないと言う事で「究斗」という事になりました。
一般的に13~15年で真打ちになるが、16年掛かりました。
34歳で落語家になりましたが、こんな遅く落語家に転身することはほかにありませんでした。
ミュージカル俳優は10年ぐらいやっていました。
なんかもっと違う世界があるのではないかと、考え始めた。
しゃべりと笑いの世界があるのではないかと思っていたが、落語にはまってしまった。
一人で何役もやるので上手い人ほど見事だと思って、やりたいことをやらないと損だと思って、思い切って転身しました。
厳しい前座時代があるが、それを知らなかった。
最初春風亭小朝師匠で、ばかばかしい世界だからそれが嫌になるよと言われた。
縦社会が凄い世界で、一日でも早い方が兄弟子となる、一つ上の兄弟子が17歳だった。

深くは考えなかった、覚悟と実際の体験とは大違いだった。
落語というのは前座でも、役者の世界とは違って、一人で15分間しゃべれる事に凄いと思った。
古典落語、と落語家の修行をしました。
二つ目に昇進するときに、ミュージカル レ・ミゼラブルという作品があり、オーディションに受かってしまって、帝国劇場で2年間やらせてもらった。ミュージカルと落語の世界を合わせたら面白いものができるのではないかと思って、あるカナダ人と一緒に、ある人物像を描いて、どういう人生を辿ったらこの人物は悪人になるのだろうと、創作した。
ミュージカル落語というのはだれもやっていないし、作って行こうかと思ったのがきっかけです。
持ちネタは全部自分で作って、35ぐらいあります。
話の中でミュージカルと落語を合わせた様なもので、最初は落ちを作っていませんでした。
歌に始まって、歌に終わる様な状況でしたが、最近は意識して落ちを付けるようにしています。
古典落語をやっていても、演ずることによって躍動感がでてミュージカル落語だと言われました。

今の師匠は新作落語なので茨の道だったようです。
「一口弁当」という創作落語を作ってから変わりました。
2009年、50代のご婦人2人が話をしていて、「一口弁当」と言う言葉と、「彼はやり遂げた」という言葉が飛びこんできて、その瞬間にストーリーがダダダっと浮かんで作ってしまった。
これが凄く受けて、広がって行って、ミュージカル落語を変えました。
エデュテインメントの作品(教育と娯楽)となり、これを契機にどんどん作る様になりました。
いじめ、格差社会、貧しさで苦しんでいる青年などをチェンジする様な話、空海の話(格差社会で苦しんでいる貧しい青年に話をしながらチェンジさせてゆく様な話)、地域の絆が無くなっているので、皆でいい世の中にしようよという様な話など、心が豊かになる様な話を作っています。
僕の名前は雉鳥と言いますが、或る先生が読めずに、カラス君と言ってしまって、爆笑となりそれ以後カラスというあだ名になってしまって、それが嫌で言う人にしかとし続けたら、いじめがエスカレートしてしまった。
「一口弁当」 では子供がいじめを克服する話。

話を聞いた子が感想文を書いてくれて、時間がかかるかもしれないが少しでも変わりたいと言う様な感想文を頂き、届いたと思います。
「孔子」も作りたいと思っています。
弟子に人としてやってはいけない事はなんですかと聞かれて、それは「如」だなと言ったそうです。
自分がしたり言われたりしたことが嫌だと思うことは、人にはやらない。
虐めっ子側の気持ちを変えるために、心で感じないといけないと思って感動のある作品を作って行っています。
オーケストラでやったこともあります。
ミュージカル落語は短くて30分、長いと2時間かかります。
ラインが良くなくて、小学生もやっていて、いじめの場にもなっている。
新作落語でこのテーマに作ります。 タイトルが「凍らすline」
経済も大事だが教育が一番だと思っていて講演活動もやっています。
エデュテインメントの作品(教育と娯楽)をどんどん作って行きたい。