2016年7月23日土曜日

村中義雄(高島平新聞取締役会長)・マンモス団地の40年

村中義雄(高島平新聞取締役会長)・マンモス団地の40年
昭和47年、埼玉県に近い板橋区に全国有数のマンモス団地、高島平団地が誕生しました。
村中さん74歳は団地が出来た時からの住人で、団地内でタウン誌を発行し、日本の高度成長期から、現在の少子高齢化を団地内で見つづけてきた方です。
日本の縮図ともいえる40年を振り返って高島平新聞取締役会長村中さんに伺います。

高島平団地は44年前に出来た。
64棟出来て、日本にとって新鮮だった。
同じような作りになっているので、色違いにしてある。
家の数は10170戸で、1~2年経ったら子供が生まれ3万人を超してしまった。
スーパー2軒、病院は1年後に出来る、保育所も当初から4軒ありました。
幼稚園は団地内には無くて、近隣に区立の幼稚園がありました。
100万坪の田んぼを開発して、土盛りをしました。
ここに来る前は千葉の団地に入居して、3年間過ごしました。
住居、道路は行政がちゃんと作ってくれたが、中にはいる人間、街のソフトについては全然手当て
して無くて、判らない事だらけだった。
ソフトは新聞が一番手っ取り早いと思った。
サークルを作るのにも呼びかけをするのにも困って、タウン誌を利用しながら作って行った。
住民運動、自治会作りまで発展した。
最初は8000部から始まって、1年後には1万部になる。

10万の都市を予定していたが6万6000で止まってしまった。
15年間は右肩上がり、15~20年は横ばい、平成4年がピーク、そこからは徐々に減り始める。
.子供が徐々に減ってきて、団地の周りはそうでもなかった。
日本の人口構成の10年先を行っているパターンだった。
現在は団地だけで人口は1万5000人、1万人いた子供は600人ぐらい。
高齢者は1~2%だったが、今は50%越しています。
子供に関わる施設(塾、プール、産婦人科、小児科など)などは減ってきて、高齢者の施設(整形外科、葬儀屋など)が増えてきている。
タウン誌は広告料で経営が成り立っていて、自分達で発行部数を決めている。
今は世帯数の75%の読者率で2万2500部だしています。
街の情報、経済、サークル、学校など街のあらゆる情報を扱っている。
記者が5人(女性が多い)いて、情報収集しています。
団地内の変わってゆく様子が判ります。
商店の撤退、新しい保育園、工事のことなど色々あります。
子供が減っている街は消費の将来性が無いので、発展性が無い。

スポンサーをどこにするかなど、時代にあったスポンサーを探さなくてはいけない。
読者自身がスポンサーということもある。
高島平便利帳を毎年 本をだしているが、800~900軒の商店、塾などを一軒一軒調べて、本にして便利に使われている。
10年間で100軒減ってきて、飲食店、物販店が減りサービス業が増えている。
店舗、住宅でも空き家が増えてきている、今は400戸位空いていると思う。
全国で820万戸空き家があると言われるが、実際にどうしたらいいのか、上手くいかない。
40年経っても家賃が上がってきているが、これはおかしいと思う。
高齢者の単身住まいがどんどん増えているし、若い世代でも結婚しない単身者が多い。
この団地の半分が単身者です。
国を挙げての住宅対策、空き家対策、単身者の問題も考えていかないといけない。
学校は最初7校で8校になり、今は2校が廃校になりました。
7年前に1年1組一人という、田舎の過疎よりも酷い衝撃的なことでした。

若い世代が入る様な企画を行政も考えてはいるが。
街に人が来る仕掛けを考えるが、大胆な発想が無い限り、難しい面もある。
街の元気を作りだす支援をする。
駅前に廃校になった学校の後地があるが、それを上手く利用すればという話もあるが、板橋区がお金が無いからという事になってしまう。(いろいろ提案はしていますが)
国も街の再生のために、モデルとして取り組めば出来ると思う。
若者が入ってくるような仕掛け、戸数を減らしてしていい場所を作るとか、若い世代が住みたくなるような街を作る、そうしないと日本の元気は始まらない、出来たら日本の元気のサンプルになりたい。