2015年10月9日金曜日

深谷研二(江ノ島電鉄 前社長)  ・鉄道は「生き物」

深谷研二(江ノ島電鉄 前社長)  ・鉄道は「生き物」
66歳 江ノ島電鉄の前の社長、深谷さんは社長時代毎年年末になると、全行程10kmを歩いて点検していました。
鉄道は生き物というのが深谷さんの持論でした。
鉄道の一番のサービスは安全だという観点からも保守点検には人一倍気を付けてきた人でした。
 
最初の勤務は保守点検、土木の専攻で小田急に入社したので、鉄道の整備が進んでいたので、花形の作る方をやりたいと思って鉄道会社に入ったが、配属されたのは保線区でした。
正直腐りました。
技術の進歩はあるが最後は人力で油と泥にまみれて、枕木の交換、雨の日はスコップで側溝の清掃をしました。(線路冠水対策)
夜はレールの交換等電車が来ない状態で大規模な工事を行い、昼間は主として草刈り、砂利の締め固める作業など汗まみれです。(電車の往来の合間に行う)
勘一つで整備する職人がいて、その素晴らしさ、責任感は保線区を経験してよかったと思います。
安全は企業の基盤ですから、最後はいくら機械化が進んでも人の眼で見て確認をする。
線路の基本をそこで学んだ。(後で気がつく事でしたが)

材料は鉄、コンクリート、土で(土路盤)土は水を含んだりして条件が変わってきて線路の痛み具合が違う。
「今日大丈夫だから明日が大丈夫という保証はない」と口うるさく言ってきました。
保線区長をやっていた時に、或るとき、運転手からカーブでおかしな所があると指摘されたが、担当者の判断で明日やればいいと言う事で、翌日にしようとしたら、暑い日で線路が外側に一部はみ出る現象が起きてしまい、電車を止める様なことになって、応急処置をしたが(水をかける)、お客様に大変な迷惑を懸けた経験があるので、事故防止は未然処置が大事だと言う事です。
アクシデントになる前のインシデントの時に徹底的に原因、対策ができているかどうか、その姿勢です。
昭和46年入社、当時会社は乗せてやると言う様なスタンスだったように思う。
最近は会社が総合的にレベルが高くないと落ちこぼれます。
国鉄民営化は昭和62年、輸送力増強対策が各社に来ていて、長編成化、複線化、列車の密度を上げるために信号機の増設、信号機のシステムの高度化で列車がスムースに走れるようにしている。
混雑率は以前は200%を越えている事があったが、150~160%ぐらいを目標にやっている。

高架橋作ったり、利用しやすい駅にするとかは入った時に直ぐにやりたかったが。
保線区の3重苦 本数が増えて荷重が繰り返し多く来る、重くなるので線路が痛む、継ぎ目(環境問題)、労力が取れない。
枕木がコンクリートだったが、板にして直接レールを敷く方法を作るように、ロングレールにする、それが3重苦を解決する手段になった。
技術的な裏付けが必要なので、繰り返し試験施工してお墨付きをもらって認可を頂くと言う様に行ってきた。
機械でドンドン突いていってしまうとか、走りながらレールの表面をグラインダーで砥いでゆく装置で行う。
レールの表面が固くなってしまうので、剥がれる現象が起きるので、固い部分を削り落す。
機械化が進んでいるが、最後は人です。(確認、調整)

中小の企業に出向して、鉄道がサービス事業であることを改めて実感したと言う思いです。
沿線の方々と付き合いを大事にしないと、お客様が気持ちよく乗っていただけるかどうかということが大事です。
地方の中小鉄道が如何に常に灯をともし、身を削って経営に努力されているかトップから最前線まで話も聞きますし、自分で行って見て、社長会があった時に意見交換をしてきます。
お客様の絶対量が減っているので、ご苦労は察します。
江ノ島電鉄は10kmであるが、現在黒字です。(開業は明治35年)
一番の危機は昭和39年前後、モータリゼーション、バスの利用等で経営が苦しくなって廃線の検討がされたが、結論がなかなか出なかった。
そのうちに道路渋滞が起こってきて、又鉄道に戻ってきた。
観光資源も鎌倉、江ノ島があり、これも大きい。

アテンダントが乗って方言でお客さまの案内をする。(越前鉄道がパイオニア、津軽鉄道、山形鉄道等)
大量輸送で「安全」、次に「安定」 量から質の時代になってきて、癒し、その究極が「安心」。
海外からのお客さまへの言語対応、特に東南アジアへの対応が難しい。