2015年10月12日月曜日

南沢道義(国際声優育成協会)   ・声優支えて35年

南沢道義(国際声優育成協会 理事長)   ・声優支えて35年
63歳 大手声優プロダクションの社長でもあります。
マネージャー業務からスタートし、プロダクションを立ち上げてから来年で35年、今でこそ声優さんというのは若い人たちの人気の的となっていますが、南沢さんが始めたころは世間ではまだ知られていない職業した。
そんな声優たちを支えてきた南沢さんは声優ミュージアムを渋谷区笹塚にオープンさせました。
声優業界の移り変わりなどを南沢さんに伺いました。

声優が生まれて50年を越えてきました。
声優ミュージム 展示品、展示方法、場所の確保(特に大変だった) 
声優神社が奥の方にある。
どこかに芸能の神社があるそうで、俳優、タレント、声優さんたちが祈願して帰ってくると言う話を聞いて、スタッフが声優神社はどうかとの話があり、数千名の声優さんたちが収録したマイクを御神体として本物の神社を作ろうと思って造りました。
自動車メーカに入って2年半過ごして、20歳で専門学校に入って、紆余曲折がありましたが、この道に入りました。
子供の頃「鉄腕アトム」「鉄人28号」等見ていたが、それを職業にしていたのが判らなかったが、自分なりに情報収集したり、勉強して、こういう勉強ができるんだと思ったが、親などからは反対された。
専門学校卒業後、出版社に入社、ポスターを描いているうちに限界を感じて、或る人から君はマネージメントをするといいよと言われた。
或るプロダクションを紹介されて、面接を受けて受かりました。
仕事が面白くて、ラジオドラマ、人形劇、技術の人達作家、ディレクターの人達、本当に楽しくてあっという間に10年、20年、30年経ってしまいました。
子供のころに見て、育った番組それがここだったんだと言うのに触れられたこと、清水マリさんに初めてお会いした時、鉄腕アトムの人だと嬉しかったです。
とにかく楽しくてしょうがなかった。

先輩方の人間臭さ、挫折感、この人達は悩みながらもやっているんだと言うのが判り、そんな中でやってきました。
皆が顔を合わせながら一つの事を作っていった、温かい時代でした。
当時は40人ぐらい担当していまして、365日 24時間働いていました。
スタジオのロビーで仮眠したり、車の中で少し休んだり、地方に土日は行ったりして過ごしました。
若いころにはいろんな才能の有る人に出会いました。
宮川彬良 宮本亜門 越部信義、 坂上道之助 野沢那智さん等に出会いました。
青井陽治さん(劇作家)に色々な本を書いていただき、其れを声優さんたちが舞台で演じて、出会った人達が音楽、振付をしてくれて、楽しくてしょうがなかった。
28歳 1981年 今のプロダクションを立ち上げる。
当時宇宙戦艦ヤマトが大ヒットして、アニメーションで本格的なブームを迎えた。
ヤマトの主な出演者を私が担当していて、とんでもない忙しさに巻き込まれてゆく。
ブームが去って、声優は終わって行ってしまうのかなあと思ったが、声優は芝居をする人なんだと気付かされた。

独立して作っていきたいと思った。
勇気がいりました、仕事ができない様にしてやる、という様なこともいわれた。
若い声優の人たちは閉そく感に悩んでいました。
役者なのに歌を歌うとは何事かという様な事を言われた。
自分たちでやるしかないという結論に達したが、当時はスタッフが3人、キャストは最初いませんでしたが、若いキャストを中心に集まりだした。
やっていることの評価をきちんとしてもらう様に、先輩たちに言いました。
段々雑誌、新聞等で評価されるようになってきた。
根っこは声優=芝居なんだと、芝居をきちんとやること。
役者だから、表現者なんだからいろんなものをやらなければいけないと言う風に辿りついて行った。
舞台をやると声優ファンの人たちが来てくれた。

アナログからデジタルに移行する中で、すごく心配しました。
皆一緒になって番組が作られていたが、人の顔が見えない中で仕事が成立して終わってゆくのがとても違和感を覚えました。
ものを作っていく上ではコミュニケーションが凄く大事だと思っていたが、それが変わってゆく不安感がありました。
マネージメントは2割で、経済的にも苦しかった。(源泉徴収等 実質1割ぐらい)
このキャストはこの声というものはあると思うが、そういう方たちが亡くなられてしまうと言う事は、或る意味では親兄弟以上の喪失感がありました。
悩んで苦しんで、狂喜乱舞して、その生きざまに何があったんだろうと思うと、絶えず睡眠不足、お酒の力を借りたりとか随分いろいろあったんだろうと思います。
取り除く事は出来なかったのかなあとか、悔やまれることです。
どっかで次の人たちにバトンタッチしていかなければならない。
人間だから終わりは来る、きちんとバトンタッチしていって、声優は2代、3代、4代にわたってキャラクターを支えてゆく事はあってもいいんだと思います。
亡くなったら変えますと言う事ではなく、或る時期に綺麗に卒業させてあげたいと思います。
若い人を育てるには、まず好きだと言う事が大事だと思います。
ジャンルを越えて声優さんたちが活躍できる様に声優ミュージアムから発信してゆきたいと思います。