2015年10月18日日曜日

花森良郎(家具店経営)       ・家具は家族の文化財

花森良郎(家具店経営)       ・家具は家族の文化財
静岡市生まれ 72歳 20代の時に長野県松本市で実用的でシンプルな家具に出会いました。
18世紀のイギリスや、開拓時代のアメリカの椅子やテーブルを手本に作られた松本の民芸家具です。
木工職人の技術を生かして作る洋風の家具に魅かれた花森さんは、半世紀近く職人が作った家具をお客さんに届ける橋渡しを行っています。
花森さんが特にこだわっているのが、お客さんの体に合った椅子を選ぶことです。
長い時間座っても疲れない椅子は座る人に豊かな時間を与えてくれると考えているからです。
東京と静岡で家具店を営む花森さんに伺います。

苗字が無い時代から火鉢、ちゃぶ台、茶ダンス、張り板とかを作っていました。
祖父が独立、静岡に来たのが明治33年でした。
間口は2間半、奥行きが20間(間口が狭いのは当時間口の幅で税金を取っていた)
職人は8から9人はいました。
私の兄弟は姉が3人、妹が1人の5人兄弟です。
高校2年の時に父親が亡くなり、親戚中が集まりお前がやった方がいいと言う事でそういう事になりました。
卒業だけはした方がいいと言う事で出席はしっかりやりました。
職人さんは独立してもらって、作ったものを仕入れをして店に並べて売るようになりました。
静岡の喫茶店のマスターから松本に良い家具があるという話を聞いて行ってみたら、うちの作り方と同じようなやり方で松本でやっていた。
継ぎ木部分にくさび、にかわ等を使っていてそういうやり方で作った家具は80~100年はもちますが、昭和41年ぐらいからドイツから大きな機械が入って組み立て式になってしまった。
松本には古いやり方が残っていた。

松本の民芸家具の創始者の池田三四郎さん(1948年、柳宗悦に師事)が中心になって、日本にも洋家具の時代が来ると言う事でイギリスのウインザーの椅子を信州の木を使ってやりました。
日本の伝統工芸の手法を使って作っていた。
池田三四郎さんは京都での柳宗悦さんの講演会を聞いて、柳宗悦さんの影響を受けました。
日本の気候に合わせた作り方をするというのが一番大切にした事です。
交渉したが数ができないから販売店を増やしたくないと言われてしまった。
浜松の人と一緒に行って最終的には交渉が巧く行きました。
ウインザーチェアー ウインザーは田舎で作っていた椅子で、ウインザー城の王様が持ってきてほしいと言う事でウインザーチェアーと言われるようになったという一説もある、細い棒を如何に丈夫に作るかという事が大変です。
バーナードリ―チと池田三四郎が日本人に合わせた寸法に作りなおせと言う事で寸法を合わせることになる。
お尻もすっぽり入って、足も床に着く。(日本人の生活スタイルでの靴を履かなくてもしっくり合う)

今ここにある椅子が45年ですが、一回も直したりしていません。
かんなで削っているので、手入れは固く絞った雑巾で水拭きをする。(艶が出てくる)
お尻の沈んだ部分を削るのに、6種類のかんなで削ります。
椅子、テーブルを探す時には五感を使ってくださいと言っている、手で触る、臭いをかぐ、叩いてみて音を聞き分ける、そうするといい物が選べる。
眼だけで見ただけでは自分にあっているかどうかはわからない。
テーブルが一枚板でいいですよと言われても、一枚板は重いので足がしっかりしているかどうかをしっかり見ないといけない。
椅子は種類が沢山あるが、友達と30分ぐらいそこでワイワイ話したりしていると、合うか合わないかが判る。
裸足になってみて踵が付いているかどうか、膝が90度で踵が付いている高さが楽です。
家族だんらんの言葉が出る、そういう場所、椅子があってもいいと思う。
食卓がリビングだと思っています(食事、本も読む、酒も飲む、勉強もするとか)
会話が少なくなってきているので。

うちのお客さんでも親子3代使っていただいています。
人にも人柄があるように、物にも物がらが出てくるのでそういうことを考えて大事に使って、大事に使える様なものを選ぶ、そういう事が一番大事だと思います。
椅子に座る感触は忘れない、釜石の大震災のお客さんが津波で家具を流されてしまったが、仮設住宅に住むようになったが、あの椅子と同じものがを欲しいと言われました。
感触は忘れないです。
家具は家庭の文化財になり得る。
あの時代にはこんなものが売れるのか、という思いはありましたが、今は世界的に見てもここまで作っている家具は本当に少ない、形は似ているものはあるが、だからもっと残していかないといけないと思っています。
静岡の喫茶店のマスターから、おまえこれからはこういう様な家具をやらなければいけないと言われたのが発端ですから、その人がいたから松本民芸家具をやってこれました。
使うお客さんもよかれ、作ってくれる職人さんもよかれ、橋渡しをする私たちもよかれ、三方よかれの気持ちを持っていけば続いていくと思います。