2015年10月21日水曜日

柴山抱海(書家)         ・ふるさとに書をのこす

柴山抱海(書家)           ・ふるさとに書をのこす
74歳 大きな紙に一文字や少数の文字で作品を作り上げる書のグループ独立書人グループで活躍しています。
30代の頃日本ばかりでなく、ホノルル、パリ、デュッセルドルフ等世界を回って展覧会を開き、1986年には中国の北京でも展覧会を開くなど、世界に書を発表してきました。
今柴山さんは、「咳をしても一人」、「こんな良い月を一人で見て寝る」、などで知られる鳥取県出身の俳人尾崎放哉の生誕130年を記念して尾崎放哉の句 100を選んで全国のトップクラスの書家に書いてもらいそれを石碑にするという催しを行っています。
すでに先行して10月3日に4基の石碑の除幕式をしました。
これから順次石碑を作り披露してゆく予定だそうです。
昭和16年鳥取県とまり村に生まれ、東洋大学文学部国文科に入学、大学時代に現代書の巨匠、手島右卿に師事、卒業後鳥取に戻り、県立鳥取東高校の教諭として国語と書道を指導、現在は退職し、鳥取市青谷の弥勒寺の住職をしています。

朝は6時ぐらいに朝のお勤めをしています、そのあとに書道をします。
師匠が一字を書く事の中で作品的効果を表そうと言う考え方がありまして、凝縮する要素があり、近代的な表現の一つだと思います。
外国の場合は何らかの縁があって展覧会をしようという事になり、書というものが美術の位置付けとして、美術として成りたたせたいと師匠も思っていて、私たちもそのような方向で進んできました。
外国でも気持ちの流れ、運動性等は受けとめてくれ、文字が判らないからアートにならないとはないと思います。
現代の日本人が何を考えているかという事を、受けとめていると思います、そうでなかったら我々が外に出ていく意味はないと思います。
尾崎放哉の生誕130年 イベントの中で形に残るものを作ろうと言う事で、全国のトップクラスの書家に書いてもらいそれを石碑にするという事をやろうと言う事になりました。

「咳をしても一人」 
最初きたない詩と思ったが、段々なれてくると深いことを思う様になりました。
10月3日に4基の石碑の除幕式をしました。
今年、50基建てます、来年69基 合計119基建つ事になっています。
尾崎放哉は鳥取でもあまり知られていないので宣伝効果はあると思います。
全国の書家にお願いしたら、快く受けてくれて書いてくださり有難いと思っています。
中野北溟さん、石飛博弘さんとかトップレベルの人ばかりでとても意味が深いと思います。
尾崎放哉を知ってもらうのには、書いてもらうのが一番だと思って、8年前から尾崎放哉を書くと言う全国コンクールをやっています。
尾崎放哉の句は現代語を表現する書作品にしてゆく材料としては好材料になると思います。

昭和16年鳥取県泊村に生まれ、子供のころは遊び呆けていました。
直ぐに海でしたので泳ぎは達者でした。
小学校2年生の頃から書道をやりました。
書道が国粋的だと言う様なことで禁止されたことがあった。
普通の子より1年早くやり始めたのでうまいと言われて、自分の得意技になってゆく事になる。
大学までずーっと続けてきましたが、本格的にやったのは大学に入って師匠に付いてからです。
高校の時に全国書道展の文部大臣賞受賞、だが勝手に自分でやっていた。
手島右卿(昭和の三傑)に師事しましたが、土佐の安芸出身なので言葉が判らなかった。
結局は盗みとる。
大学の先生クラス、朝日20人展に入るぐらいの人たちが結構来ていた。
4年間みっちり勉強させてもらったが、帰ってきて練習をやろうと思うができない、全然先生の様には成らなかった。
大学は結局は自分がやらなければいけない場所だと思った。

卒業後、県立鳥取東高校の教諭として国語と書道を指導すると同時にお寺にも就かなければいけなくて、結構忙しかった。
仏教の勉強は大学時代に住職になるぐらいの資格だけは取っていたが、明日から葬式をするという様なことは無茶苦茶な話でした。(22歳の時)
日本一の先生に教わってきたという自負はあった。
一人でも世の中を動かす子が出てほしいという思いはあった。
日常の中で起こったことを基にして、いま自分が考えているものを書の方に持ってゆく事ができるので、そういう生活は大事なことだと思います。
書いている意味と自分のやろうとしていることと、全く関係ないことをやったりすることは、あんまり意味が無いんじゃないかと思います。
山陰書道関係者が集まっていろんな活動をしているが、40年以上になる。
中心は私の教え子、門人で出発しましたが、現在もそうです。
書を語りあえる仲間作りをしたいと思った、地方文化の底上げにもなる。

書をかく事は私の人生そのものですが、作品として見た時には、観賞する要素があるので、昔の型のままで終わらないようにしたいと思っている。
書が美術の仲間に入れるのかどうか、今でも微妙なところです。
美術の中の範疇に書が入らないといけないと思っている。
小学校低学年の時に鉛筆の持ち方を一生の問題なので教えてやってくださいと言っているが、段々気を付けるようになりました。
保育園、幼稚園の時に癖がついてしまう様なので、低学年の時に直させるように言っている。
現代の美術になるような作品を一作でもいいから残したいと思っています。
尾崎放哉の句碑ができて、それに触れて、自分の考えを深めて頂きたいと思います。
書の場合はかなりの時間を要して熟成されたものから本当にいいものをポット生んでいくと言う様なことをやらないと駄目なんじゃないかと思います。
熟して清新なものでないといいものにはならないと思います。