2015年10月17日土曜日

吉村文彦(まつたけ山復活させ隊) ・秋の香りをもう一度

吉村文彦(まつたけ山復活させ隊 代表) ・秋の香りをもう一度
74歳 京都の市民運動「まつたけ山復活させ隊」の代表です。
京都大学農学部を卒業、その後京大で教員を務め松茸の研究を行いました。
そして平成2年岩手県岩泉町が設立した、岩泉松茸研究所の所長として招かれ、松茸の増産に貢献しました。
2005年京都に戻り、市民運動「まつたけ山復活させ隊」を結成、仲間たちと共に里山の再生に取り組んできました。
活動を始めて今年で10年になります。
里山の再生が何故松茸の復活につながるのか、その活動にはどんな意味があるのかを伺いました。

赤松、ひのき等の林があります。
堆肥で、無農薬野菜を栽培し、朝食の材料にしています。
1960年代から木を使う事から石油製品を使う方向に転換して山を使わなくなった。
落ち葉は、昔は集めて堆肥などに使っていたが、今はしないので溜まる。
これが非常に上質なカーペットを敷いた様な林になっている。
これが赤松、松茸のためにもよくないと言う事が科学的に判っています。
それを取り去る必要があるが、どう利用できるか困っていた。
会員の人数は把握していなくて、毎回 週に1回 30人前後が参加する。
赤松の林があればどこでも松茸ができると言う訳ではなく、松茸が生活しやすい林作り、土壌が適正に痩せている(貧栄養状態)、事が良いので木葉の堆積物を取ってやる。
乾燥気味の方を両方とも好むので、木の密度が比較的少ない方がいいので木を切る。
木を持ちだす必要がある。
作業は木を切る、落葉を取ると言う様なことがメインになる。
最初はただ燃やしていたが、もったいないと言う事で薪を作り売るとか、料理の燃料にする。

山の持ち主は、京都大学の生物物理の京大の先生をやっていた香川晴男さんが買い求めて、きのこ工場を作ろうとしたが体調を崩して断念、私が定年退職して貸してもらえることになった。
1905年から1930年代 7580トン取れていたが、2005年から2014年の生産量が52トン、0.68%になってしまった。
原因は①生息地の状態、②気候変動に依る気候の厳しさ、この事が松茸の成長に悪影響して来る。
生息地が冨栄養化、暑い時は雨が少ない、水が無いと大きくなれない。
松の材線虫に依るアメリカからやってきた外来種の病気です。
なら枯れ 里山の主要構成樹種は赤松とこならで半分になり、人が林を利用しないことによって生じた流行病です。
追い打ちをかけるように赤松林が無くなっていった。
木喰い虫がならの木にはびこり、いろんなところに穴をあけて枯らしてしまう。(なら枯れ)

松茸と赤松は 相利共生 赤松は光合成で糖類を作るが、その糖類を松茸は頂いている訳です。
松茸は土の中で細い根に感染して養分を集める助けをしています。
赤松に必要な窒素、リン等を松茸が集めるのが得意で、集めて感染ポイントである根の一部で交換し合っている。
共生しないと生きていけない。(絶対的共生関係)
赤松は人間が手を入れた里山でないと育たない。
赤松は西暦500年ぐらいに人が生活する場所に登場する。
人口が増えて原生林を駆逐する様な利用の仕方をすることによって、地面が赤松向きになってきて松が増えてきて、松茸狩りをしたと読める歌がある。
昭和30年ぐらいまでは松茸は豊富にあり、給食にも出されたりした。
高度経済成長下に林は使われなくなって、開発も伴い、又松林が冨栄養化され、松茸が追い出されて、松枯れも発生する。
「まつたけ山復活させ隊」を結成して、10年になる。

京都大学で応用植物学研究室で、朝顔を材料に何故花は咲くのか、松茸はどんな生き物なのか、の研究をやっていて、微生物の生態学に興味を持って、松茸の生態、微生物の生態を研究するようになる。
マツタケの子実体は典型的には直径数メートルの環状のコロニーを作って発生し、その領域を「シロ」と呼ぶ。
地下にドーナツ状の輪(シロ)があり、ドーナツ部分にしか松茸は出ない、真中の微生物の種類の部分、ドーナツ部分、未感染部分  3領域がある。
松茸のシロにおけるバクテリアとシロの相互関係を中心に研究してきました。
気がついたら松茸の虜になっていた。
松茸は江戸時代から研究されてきたが、判らない部分がいまだに多い。
岩泉松茸研究所 岩泉町が林業が不振で、林業を興すと言う事で松茸研究所を作ることになり、所長として行く事になる。

松茸の生理生態を勉強する事と、林を手入れする事(里山再生)で松茸の生産量を増やせないかという事をやってきた。
手入れを奨励して、段々多く松茸が取れるようになった。
京都のまつたけ山はこれまで1本です。(獲れるになるまでは30年ぐらいか)
松茸の胞子の受け入れ態勢を整えているような状態で、松茸の胞子は今は飛んでこない。
よそから胞子を持ってくると言う案もあるが、遺伝子の問題とか、十分に吟味したうえで行けると言う風に科学的に判断できれば胞子の人為的な感染をさせたいとは思います。
5年後に松茸を獲れるように頑張って行きたい。