大角幸枝(金工家・人間国宝) ・伝統の技で金属に命を吹き込む
1945年静岡県生まれ 東京芸術大学で学び、工芸の世界に入りました。
日本伝統工芸展で受賞を重ね、今年女性で初めて金属工芸 鍛金の無形重要文化財保持者
人間国宝に認定されました。
金属工芸には表面に彫りを入れる彫金や鋳物の技法など様々有りますが、鍛金は板状に伸ばした金属を金床等に置き、金槌や木槌で打って、器等を作り上げてゆく技法です。
古くから仏具、武具、茶器が作られてきました。
大角さんは銀等の板を槌で打って、壺等の形を造り、さらに表面に異なった金属をはめ込んだり、槌の跡を変化させたりして装飾を加えるなど、独自の創意工夫を凝らしています。
それによって作品は金属の冷たさ硬さが和らぎ、ひと肌の様なぬくもりさえ感じられる情感に富んだものとなって高い評価を得ています。
それなりの責任がどっと被ってきますし、事実物凄く忙しくなりましたし、仕事ができない状態で非常にいらいらするようになりました。
7月17日の夜にはNHKで発表になったが、知らせがあったのはその一週間か10日前です。
えっという感じでした。予想もしていませんでした。
周りの人は今度はあなたではないのと言われたが、そういうことがあるならもっと昔だと思うし、無いということなら女性は別枠という考え方がこの国の全般に及んでいると思いますから、私は別にそのことに対して何の驚きが無いので、こっちの方が驚きでした。
この仕事は音が物凄いので、近所迷惑なのでどうしても防音しなければならないのでここに決めました。(国分寺)
音を小さくすることはできるが、完全には消えないのでどこかの部屋に聞こえるので、夜中にはできない。
師匠は住宅街の普通の平屋でやっていたので、しょっちゅう近所から苦情が来ていました。
常に弟子が3~5人が常時一緒に先生と仕事をしていたので、すごい音になる。
今年の日本伝統工芸展 「渡海」という作品 長さ40cm 船の形をしている吊り花活け。
渋い銀色で何とも落ち着いた作品。
波がところどころ金で描かれている。
日数は一カ月ちょっと掛かりましたが、これはそれほど時間はかかりませんが、高さのあるものほど時間がかかります。
銀と金と鉛を使っています。(装飾に金と鉛)
高さが30cmのものだとボディーだけで4カ月ぐらいはかかり、表面に模様を付けるのに一月掛かります。
金属の展延性、可塑性とか金属の持っている性質が面白いので興味を持った。
最初彫金から入ったが、もっと大きなものを作ってみたいと器物に移って、彫金で飾るボディーも自分で作った形にしたいと鍛金を教わりました。
美術史の工芸史 金工史を選んで、いろいろ他にもやってみたが金属が一番面白かった。
人の作ったものを論文を書いてどうのこうのやるよりも、自分で作った方がずーっと面白くなってそちらの方に移ってしまった。
実技はできる環境はなかったが、居候みたいにして振り分けられてやっていましたが、私の学生時代は工芸は有りませんでした。
先輩の家に行ったりしてやらせてもらったり、助手の人が教室をやっていて彫金、鍛金等をやらせてもらって、伝統工芸の先生に教わるようになりました。
井伏圭介先生(井伏鱒二の息子)が新宿の彫金講師をしていて、日本の彫金をそこで初めて知って、先生が辞めてしまって、その後桂盛行先生を紹介してもらって、本物の彫金を習いました。
当時から彫金家は下地を鍛金家に作ってもらって、それにうえの加色を彫金でやるのが普通で
いまでもそうやっていますが、ボディーも自分の思う様な形を自分で作りたいと思って、関谷四郎先生を紹介してもらって、関谷先生に鍛金を教わりました。
伝承授業があって、若い人を対象に人間国宝になった先生方が教える授業で、鹿島一谷先生は代々布目象嵌という彫金の一技法をやっている方で、その時にその技法を教わりました。
関谷先生に教わった鍛金の上に、鹿島先生の布目象嵌技法で彫金を施す事が私の今日の作風ができ上ったわけです。
鹿島一谷先生は「彫金をやるものは、絵や書に対して絶対に学ぶべきものだと、絵を描きなさい、書を書きなさい」と言われ、いろいろな教養を身につけることも言われました。
お茶、お花、能、歌舞伎、文学等全てが凝縮したものが作品に出るので、「人間が上等にならないといいものができない」と他の先生にも言われました。
鹿島一谷先生は、表現が巧くできないがしゃれた方だった、江戸の気風をお持ちの方だった。
イギリス 大英博物館があったのでそこで半年色々見せて頂きました。
他にヨーロッパ各地をみてまわりました。(半年)
金属に対する感覚が全く違うと思いました。
行くときに日本の伝統をやっているのに、なぜ外国にわざわざ行くのかと言われましたが、一時外の眼からこちらを見てみたいと言うのが一番大きな動機でした。
大陸に在っては財産的価値に非常に重きがあることを知りました。
むこうの世界では銀に鉛を象嵌する事はあり得ないことです。(金は象嵌してもいいが)
日本の金属に対する考え方は金属の色なんです、いろんな色を発見して使ってきた、だから絵画の様なものができてきたわけで、その延長線上にいるのが、山本晃さんだと思います。
金属は錆びるが、日本では湿潤ですが、ヨーロッパでは割と乾いていて容易には錆びなくて、毎日ぴかぴかに磨く、日本の様にいぶし銀にして曇ったところと光っているところとの差を愛でると言う様な世界ではない。
発想の発端が違う様な気がする、西洋では工芸に金を何g使ったかが、かなりの比重になっているが、日本では金を薄く延ばして箔にして使うので、何g使ったかは問題ではなく、山吹色をどのように広げてうまく効率的に愛でるかという事が先で、金属は色なんです。
合金を作り出して、それを色々組み合わせて、自然のものを金属の色に置き変えて作ると言う事にしたのは日本の一番ユニークなやり方だと思います。
明治時代の金工の作品は偉い技術だと思ったが、これでもかという様な超絶技巧を駆使してどんなもんだと様なものをみせるという時代で、イギリスのビクトリア時代もある種そういった時代だと思うが、現代はそういったものは要請されていない。
西洋では生活の中に金属は溶け込んでいるが(フォーク、皿、食器など)、日本では金属を日常生活には取り入れていない。
貴重な金属を使うと価格も高くなってくるし、日本では人件費も高くなってしまい高価になってしまう。
時間といういうものは、もっと味わってゆくものなんですが、一刻も早くやってしまいたい、結果だけがすべて、結果を出すという言葉は大嫌いなんです、すべて経過が重要、どの様に慈しんだか、楽しんだか、苦しんだかが大事で、結果はそこに在るだけのものなので。
あまりのもそわそわとせかせかと、生きているのではないでしょうか。
豊かな時間、豊かな生活をもう一度深刻に考えないと、もっと貧しくなって、見かけだけゴージャスな生活がいいと思っちゃっている、そういうことはないでしょうか?
なにかしら感動を持って頂ける様な仕事を残したいと思っていますが、恐らく死ぬまで満足いく事はないと思っています。
恩返しの意味で若い人たちに伝えることを、深刻に考えてやっていきたいと思っています。