大隅清治(日本鯨類研究所顧問・農学博士) 海の幸、クジラと歩んだ60年(1)
84歳 学生時代クジラに興味を抱いて、研究を始め、水産庁遠洋水産研究所長、日本鯨類研究所理事長を歴任するなど、長く水産資源としてのクジラの研究を専門にしてこられました。
今年3月、国際司法裁判所が南極海での日本の調査捕鯨の中止を命じるなど、日本人が親しんできたクジラを取り巻く環境は、大きく変わりつつあります。
60年以上の長い間、鯨と付き合い、その生態から商業捕鯨のあり方まで、深く関わってきた大隅さんに、クジラと人間の現状と将来にわたってどう付き合ってゆくことが一番良いことなのか、伺いました。
今年3月、オランダのハーグの国際司法裁判所から、日本の調査捕鯨の中止を命じる判決がある。
捕鯨そのものが中止になるのではないかと、心配したが、そうではなかった。
1勝1敗と言うところで、日本の主張も通っていた。
①目的に対して、標本数が多すぎるのではないか。
②シーシェパードの妨害行為があったが、それによって我々が計画していた標本数が確保でき ない、そのような調査は中止すべきである。
そういった趣旨、二つの理由で、調査そのものを否定するわけではない。
クジラの研究を始めたきっかけは?
生まれは群馬県、旧制の高等学校に入り、新潟だったので、海が大変素晴らしいと言う事が理解で来て、東京大学に入って水産学科を選んだ。
終戦間もなくなので、食料産業に関係したところが魅力的だった。
海の食糧は調査があまりされてなく、調査をすることには、魅力を感じた。
水産学科では、食料の産業と結び付く。
東大などは役人の養成館でもあったが、食料生産と結び付く学科だった。
初めは解剖学、魚を一匹ずつ貰って、魚の体の構造を調べた。
アルバイトを大学の先生から紹介されて、財団法人鯨類研究所があり、そこで組織標本の製作の技術者を募集していた。
応募して、研究所に入った。
クジラが魅力的な動物であることを、体験する。
哺乳類で有りながら、魚と同じ様な生活をしている。
千葉県に捕鯨会社があった。
捕獲の現場で、鯨の泳いでいるところを体験して、非常に感激した。
きわめて不思議な動物であると言う事ですね。
卒業論文も私がアルバイトで作った組織標本を使って、卒業論文を作った。
当時、小笠原近海で にたりクジラを捕獲したクジラについて、成熟度合い、オスとメスでどう違うかなど、卒論のテーマにできた。
成熟するかどうかで、取っていいかどうか、捕鯨上の管理のために必要なので。
成熟していれば、十分に利用できる。 にたりクジラなどはまだ成熟度が判らなかった。
にたりクジラはいわしくじらとは別種であることが我々の調査で判って、取ってはいい体長に対して、いわしくじらの体長適用では、にたりクジラには大きすぎることが判った。
クジラの資源生物学 資源学はクジラの場合には種類がどの位の数がいて、どのぐらい取ったら適正に管理しながら捕獲が持続的に利用可能であるか、その結果を出すと言うのが資源学。
資源生物学は、基準を示す一部。 生物学的な資源の解析に必要な、生物学的な研究を行う。
大学院を卒業してから、アルバイト先に務めることになる。(趣味と実益が合致)
占領軍が捕鯨を許す(食料不足を補う為)が、条件としてクジラの資源調査をしっかりやるべし、との事だった。
調査は捕鯨会社がスポンサーになり、鯨類研究所が作れた。
鯨類研究所には同年代の人がたくさんいて、切磋琢磨した。
鯨類研究所は漫画家のときわ荘とよく似ていた。(手塚治虫ら)
大村秀雄さんが、戦前から国際法令会議に参加していて、ヨーロッパの色々な情報、研究成果を戦前から集めておられた。
鯨類研究所は最初から研究論文は英語で書いたから、最初から国際的な場にさらされてきた。
月報で色々なクジラに関する、研究成果、鯨の常識など、一般の方に提供していた。
クジラの資源がドンドン減少するにつれて、ヨーロッパの捕鯨船団は採算が合わなくなって、撤退して行った。
彼らが利用するのは、鯨からとれる油だけだったが、日本は、鯨はすてるところがないと、江戸時代から食文化として続けてきたので、捕獲量が少なくなっても、十分に採算が合う事が出来て、捕鯨競争から残った。
クジラの年齢査定は、資源の研究のためには、基本的に必要なものだった。
戦前から、ヨーロッパで研究を進めてきて、日本も戦後になってから参加する事になる。
その後日本はリードできる様なレベルまでになった。
クジラは、歯クジラ、ひげクジラがいる。
ひげが上顎の片側400枚ぐらい生えている。
動物プランクトンを濾して、水は外に出して、餌を集めることができる。 大型になりやすい
白ながすクジラはひげクジラ。
歯クジラ 歯の断面を作ると、そこに木の年輪の様なものが現れるが、それが判ったのは戦後。
ひげクジラには 耳垢がある、それが年齢計出になることが、1954年に英国の研究者によって発見された。
その前まではひげを利用していたが、ひげの場合にはすり減ってきて、十分な年齢計出としては使えなかった。
耳垢が1年に2層できるといわれていたが、それは間違いで、1層出来ることを日本が研究発表する。
クジラのもり先はとがっていたほうが、よく突き刺さると言うことだったが、背面に向かって放つと、はねてしまう。
東大の工学部の平田先生が、戦争中、大砲の研究をやって、戦後捕鯨の方に応用できるのではないかと、平頭もり、先を平らにすると、反射しないで鯨に突き刺さると言う事が出来た。