2014年7月24日木曜日

小池真理子(作家)       ・今、親の死に思う(2)

小池真理子(作家)     今、親の死に思う(2)
子供の頃は神経質な子で、身体が弱かった。 控え目な子だった。
夜驚症 深夜にぱっと目を覚まして、家じゅう泣きながら走り回る。 当人は判らない。
神経質な子がなる病気だと言われた。 ほっとけば治ると言われ、高学年になったら治った。
書く事は好きで、小学校の頃、絵日記、作文などで先生から褒められた。
読むことも、幼稚園のころから読んでいて、本格的に読み始めたのは、小学校高学年のころから。
父が本が好きだったので、一室が書庫の様になっていて、「チャタレー夫人の恋人」を読んでいたら、凄く怒られて、まだ早いと言われて、高校になってから読みなさいと言われた。
中学では三島由紀夫等も読むようになった。
最初 「仮面の告白」を中学3年で読んだが、高校に入ったらラブレターに読んだ本の感想などを書き綴ったりした。

最近廻りを見ていると、人生をどう生きるかと言う、ハウツーの勉強をするためにとか、単に楽しいひと時を過ごしたいから本を読んでいたり、と言う若い人たちがとても多い様な気がして、残念です。
知的刺激で自分の中をろ過しながら、もう一回自分自身に問いかけることがたくさん出てくる。
其れを又、答えにならない答えを自分なりに編み出して、親しい人と夜を徹して語り合う事が楽しかったが、そういう楽しみが今はドンドン失われているのではないかと思う。
男女、不倫関係の話を多く書くが、不潔だとか、道徳的なことを言われてしまう事はショックだったが、モラル、常識、世間体で本を選び、其れを読んで、モラルでもって受け取ってゆくと言う、感情的にしか反応しない、もっと文学、小説と言うものは深いものを持っているはずだと思う。
読んだ人がそこから、何を得るか、何を考えるか、正確な言葉にして、人に伝えられるだけの客観性を本のなかから学びとってゆく、そういうプロセスを経て、読書の楽しみが生まれてくると思うが、そういう読者が減りつつあるなあと感じます。

小説は、作家が、今俗世で普通に行われている事、俗世で信じられている概念の様なものをぶち壊してゆくものだと、思っていたので、そういう目で本を読んできたので、道徳の教科書ではない。
不倫関係を書いたり、普通だったらこういう考え方は悪である、人間が持っている本質的な悪意について書くと、若い読者を中心に、こういう主人公には感情移入できませんと、言われてしまったりする。
三島由紀夫 彼の持っている本質的な絶望感、死生観に読んでいるうちにぐいぐい引きつけられてゆく。
感情移入ができるかできないかと、読書の楽しみは違うと思う。
書く側としては本質的な読み方をされたいなあと思います。

高校のころから作家になりたいと思っていた。 同人雑誌で詩を作っていた。
私服に着替えて、学校をさぼって喫茶店で煙草を吸って、原稿用紙に散文的なものを書きつけてきた。(高校3年生の時)
ポール・エリリアール フランスの詩人 フランソワーズ・サガン とか外国の翻訳物を読んでいた。
日本の作家を本格的に読むようになったのは社会人になってから。
出版社に就職する。 活字の世界に入れるので、少しでも作家の道がひらけるのではと、思った。
1年半で辞める。
「知的悪女のすすめ」 エッセー集 戸川昌子 霧島洋子 どちらかに書いてもらいたいと言う事で出版社時代に「知的悪女のすすめ」という題を私が考えて、案を出して、会議にかけたが駄目で、辞めて自分で生きていきたいと思ったので、あるところであなたが書けばいいじゃないと言われて、ここから小説家の道が開けるのではないかと思って、自分で書く事になった。
いろいろなメディアから取材の申し込みがあり、生真面目に最後まで責任を持たなくてはいけないので、全部取材を受けた。

講演会で9割が女性で、一人の女性がたちあがって、結婚もしていない、子供のいない人の話など聞けないと、怒鳴って会場から出て行ってしまった。
慰められたりして、「知的悪女のすすめ」がわたし自身を体現している様に思われて、虚像が独り歩きをしてしまって、嫌気がさして一切やめて、小説を書こうと言う様になったのが、30歳ぐらいだった。
暫く世間が怖くなっていた。
全て止めようと思ったときに、藤田宜永と出会って、当時フランス人と結婚していたが、相手の女性も付き合っていた人がいて円満に別れて、東京で一緒に暮らすようになって、一緒に小説を書くようになった。(31,2歳の時)

エッセー集を父が喜んで読んでくれたが、ショックを受けたようだ。(体験しないと判らないようなことも書かれていた)
1985年「第三水曜日の情事」 
当初、お金がなかったが、目的がはっきりしていたし、楽しかった。
1996年 「恋」 直木賞受賞 
ジャンル的にはミステリー  壁にぶち当たっていた直後で、五里霧中の時だった。
テーマが浮かばなかった。  吹雪の日に、私一人でいて、たまたま流していた音楽がバッハの「マタイ受難曲」だったが、神が降りてきたように、一瞬にして物語が決まり、登場人物の人物情景が決まった。
書斎に走っていって、忘れないように殴り書きした。
其れがその作品になったが、これから一生ないと思います。不思議でした。

それまで苦しんでいたので、苦しみの果てには、こういう救済が用意されているのかなあと、ささやかな思いはありますが。
2001年 「愛の領分」で夫が直木賞受賞
人間の本質を追いかけていきたい。 どう描くかは、その時その時の精神状態によると思うが、生、性、死 その3つは追いかけてゆくと思います。
孤独死が問題になっているが、基本的には人間は一人で死んでゆくものだと思っているので、一人で死ぬことの快楽に近いようなものも、追いかけてゆきたい気持ちはある。
3・11以後 絆、家族のつながりを大事にしようと言う機運が高まったが、結局人が生きて、死んゆくのは、周りがこうしなくてはいけないとか、決めてゆくものではなく、自分自身の考えや、死生観に基ずいて、自然にかたちができてゆく物ではないかなあと思うので、小説を書く人間として、自分自身の事を中心に据えながら、人の生、性、死を追いかけてゆきたいと言うのが、今の想いです。