2014年7月22日火曜日

千葉作龍(五代目ねぶた名人) ・ねぶたの魔力に魅かれ続けて(2)

千葉作龍(五代目ねぶた名人)  ねぶたの魔力に魅かれ続けて(2)
一番最初考えたのは、いずれ人間死ぬんだと考えたら、ちょっとずつ気が楽になって、流れに流されようとした。
そのうちどこかに打ち上げられるだろうと言う、開き直りだった。
7年間作品に勢いがなかった。  技術はあったので作品は作れることはできたが、でも辛かった。
先輩方に近ずいていきたかったが。
人の言葉は案外当てにならないと思っていた。 
自分でどうにかしなければいけないとは判ったいた。
音楽、映画 はかなり癒してくれた。
千葉は賞を取るのが早すぎたとか、千葉は慢心していると言う様な雑音は聞こえてきた。

ある日突然、映画を見ていたら、泉谷しげる 陣内孝則(映画はハードロックでやっているもの)
泉谷しげるの顔のアップが出てきて、その目を、その年の作品に試した。
そうしたら納得でき、その後はとんとん拍子で、何を作ってもよかった。
落ちなければ駄目と、今は自信を持って言える。
自分で這いあがってこなければ駄目。  
死んだ気になれば、なんでもできるとう言葉があるが、大抵の人は死んだ気にならない。
苦しんだ時期は32歳ぐらいの頃だった。

ねぷた(弘前)とねぶた(御所河原、青森)の違いは 方言の発音の違いで、お互い形が全く違う。
弘前は末広がりの平面の絵です。 津軽為信が秀吉にお目通りしたときに、ほら話をした。
うちの方にはでっかい灯籠があります、ということがきっかけだった、という話もありますが、はっきりしたところは判っていないかもしれない。
江戸末期葛飾北斎が有名になったが、その人の 三国志の挿絵が、版画になって出廻って、弘前の人たちが好んで描くようになった。
現在、95%ぐらいは三国志、水滸伝の図柄になっている。
青森、油川に(今は市内) 港があってねぶたをやったという、残っていて文献では一番先。  
最初は全部立体だったが、弘前だけが扇になっちゃって、周りは取り残されているので立体なんです。
五所川原はたちねぶた、10年前から凄く人気があり、でかいんです。
明治の頃は青森でも、たちねぶたもやっていた。
弘前は 「やーやどー」と言って跳ねまわったりしないで、はやしも哀愁が満ちている。
青森は どんちゃん騒ぎ 「らっせらー」 語源については諸説ある。
弘前は、これから出陣する、青森は凱旋 に当てはまる。 
七夕の行事 旧暦の7月1日~7日まで行う。

私も一観客の目線で見て、よしあしを判断できる。
お客さんが喜んでいる姿を見るのが一番うれしい、やりがいがある。
祭りが終わると全部壊す。  自分としては無くなった方が有難い、できの良しあしにかかわらず。
ねぶたは6日間のために作っているので、祭りの終わったねぶたは、同じものでも魅力はない。
桜は1週間で散ってしまうので、熱狂して花見に行くが、年がら年中咲いていたら、見に行かないと思う、其れと同様だと思う。
「じょっぱり」  意地っ張り  半世紀やってきたのでじょぱりかもしれない。

音楽で一番好きなのは、オペラ マリアとか、「きたろう」とか、「姫神」とか、かなり傾倒していました。
情景が浮かんできて、匂いを感じる。 きたろうは精神世界に入ってゆく、完全に引きこまれる。
自分の世界にとじ込める、心地よさはある。
映画は好きです。 子供のころから見ている。 高校生のころから、良く見た、ほとんど洋画ですが。
人生勉強は全部映画でしました。  映画が人生の師です。
若いころから真言密教に興味があって、自分なりに勉強した。(書物、映画など)
東北が鬼門と言われるが、京都から見たら、方位で東北が鬼門であることが判って、そのときいた人たちはアテルイとか攻められていた人達。
時代を経ても阿部一族、藤原四代 その辺のところを勉強していたら、愛着がわいてきて、そこにアテルイが登場してきたわけです。
其れをねぶたにしたり、 其れが縁で姫神の星さんともなかよくなれた。
阿部貞任(盛岡の人) の話を酒を酌み交わしながら星さんと話をしていたら、それがそのまんまその年のねぶたにってしまった、そんなこともあった。 

思い、性格も絶対作品に出る。 鬼を誇りと思うべし、と言う様な意識。 鬼は嫌いではない。
鬼を悪く描くねぶたは作ったことはない。  
大震災から何カ月してから、ねぶたを被災地の人に見せたいと思った、しかし台風がきそうだった。
台風除けの祈願を、中尊寺に行っておこなって、そこで中尊寺の様に立派に復興してとの思いと、アテルイ、清衡、そこで題材を貰えたと思った。
翌年、其れを題材にしてねぶた作りを迷いなく行う事が出来た。
年を取ってきたら、楽しくなってきた、ねぶたを作っていられることは、この上ないし幸せだなあと若いころより感じますね。
「名人が語る、ねぶたにかけた半世紀」 出版  自分の想い、先人たちの想いを伝えたいとの思いがある。
初代から5代までを250ページに記載、 構想は4年ぐらいだが、書いたのは4か月間。
毎日3時間ぐらい書きました。(ねぶた作っていたほうが楽だった、全くの素人)

次世代の人に対して?
ねぶたの本来の心が理解できているのかなあとの危惧がある。
ねぶたは芸術であるとか、そんな理屈ばっかり言うが、そんなことはどうでもよくて、ねぶたにしかない精神を受け継いでほしい、其れを感じ取ってほしい。
観光用にほとんどなって、受け狙いだとか、豪華になればいいんだとか、そういう事ではなくて
本当にねぶたの精神を感じられる製作者になってほしい。
若い人も地獄に落ちた方がいい、そこから上がってきたやつが本物ですから。