2014年7月12日土曜日

山口巌(帽子職人)        ・神戸で帽子を作り続けて60年

山口巌(帽子職人)      神戸で帽子を作り続けて60年
店の3階の工房で婦人用を中心に、オリジナルデザインの帽子を作ってきました。
是まで大阪万博のスタッフ、アトランタオリンピック選手団、航空会社の客室乗務員の制帽を始め、皇室に収める帽子など、これまでに数万個から10万個と言われる、帽子を手掛けてきました。
2012年に現代の名工に選ばれ、今年の春には 黄綬褒章を受章、マイスターと呼ばれ、80歳を過ぎた今も工房に立ち、木型に生地をかぶせ、蒸気を当ててヘラで押さえながら、帽子を次々に製作してゆきます。
神戸らしいエレガントな帽子を次々に生み出す職人さん、いったいどんな人なのか、一つ数万円以上すると言う高級な帽子、どのように造り出されているのか、伺いました。

陳列ケースには色々な色、材料の帽子が並べられています。
3階の工房では至るところにホースの先から蒸気が出ている。
型入れの時になくてはならないもの、それが蒸気。
木型に布を当てている。 帽体、膨らんだ部分(クラウン かぶる部分) 生地が立体的になってくる。
蒸気を当てながら、木型にそうしてゆく。
小さいアイロンで木型に布を丁寧に収めてゆく。

香川県の出身 兄弟が7人 3男 職を探しに京阪神の方に出てきた。 
昭和20年、終戦時小学6年生 定時制の農業高校を卒業して、昭和28年の春、神戸に出てきた。(就職難の時代 義理の兄が神戸にいたので義理の兄に頼んで職を探してもらった。)
採用されて、3ヶ月間見習い、雑用、掃除、荷作り、材料の不足品を買いに行ったりしていた。
営業、帽子作りどちらかを選ぶように言われて、作る方を希望した。
最初は帽子の型入れ、テスト的にやらされた。 生地を引っ張り過ぎて破れてしまった。
当時1個の帽子は給料と同じぐらいの値段だった。

当時、お客さんは外人の方が多かった。
外人のキャンプに売り込みに行った。 
芦屋の高級住宅街にも、持って行って買っていただいた。
真知子巻きがはやる。「君の名は」連続ラジオドラマが、映画化されて、ターバンの様なものを巻いて、それが人気になって、それから帽子を頭に、と言うそういう婦人の方が多くなった。
ベレー帽が大ヒットする時代がある。 
自分が入ってから2年目ぐらい、昭和30年ぐらいから、流行る。
毎日毎日ベレー帽の木型への型入れをやらされた覚えがある。(手に水ぶくれが出来る。)
一つ 600円ぐらいだった。
ほとんど材料はウールで色は黒が圧倒的に多かった。 紺色が少し。
年齢を問わずに購入された。
年配の方はカラフルだった。

昭和34年皇太子の結婚 美智子さんがかぶられた帽子が若い女性の方にブームになって、結婚したらハネムーンには必ず帽子を被ってゆく、と言う事がありました。
10人中8~9人は白のフェルトの帽子で花で飾って、店でもそういうものを良く売っていた。
昭和39年東京オリンピック 入場式に選手団が必ず帽子をかぶっていた。
自分がようやく自分でデザインして、市場に出ても認められるようになった時、百貨店でオートクチュールのショーをするというので、帽子も作ってほしいとの事で、洋服に合ったものを作って勉強させていただいた。

万博ではタイムカプセルに入れる帽子も作ってほしいとの要望がありベレー帽も作った。
日用品からあらゆる分野のものを入れるという事で、いろんなもの、2000点がタイムカプセルに納められた。
同型のものがあるがショッキングピンク、桜の形の5枚の花弁(5大陸)の切り抜き、トップに紐がついている。  生地はうさぎの毛 肌触りのいいのと温かいのと。
100年後にどうなっているんだろうかと、興味はあった。
平成5年 雅子妃殿下の伊勢神宮に結婚された報告をしにいかれた時の帽子を作りました。
心配だったのが、お辞儀をしたときにずれたり、落ちてしまうのではないかと、心配だった。
皇室の帽子は顔を隠したらだめという事らしいので、浅い小ぶりのものが多いものだから。

ピンチは?
1995年の阪神淡路大震災ですね。 
制帽のかきいれ時だったので、全日空のスチュワーデスの制帽はこれが最後だという事で、4500個ぐらいを納める時期があり、取りかかっていた頃です。
水道が出ないので、ボイラーが炊けない。
蒸気が使えないので、地下水が出るところがあり毎日貰いに行った。
ガスが止まっていたので、灯油で対応した。 10日間は工程が遅れてしまった。
木型も壊れてしまったものがある。 修理可能なものもあったが、使えないものもあった。
木型はイチョウの木と桂の木を使っている。 乾燥と湿気に左右されない木を使う。
一番いいのが桜だといわれるが。   40年、50年でも使える宝物です。

木型は一個一個違うし、力の入れ方、ミシンの掛け方で感じが変わるので、60年やっていて、10個作ってお客さんに満足してもらって、買ってもらえるというのが、まだ6個ぐらいしか無いと思う。
4個は力不足と言うか、何かが足りないのかなあと思います。
厳しく見ていかないといいものはできない。
快心の出来だと思っても、売れ残ってしまったりすることがある。
今は帽子を被る人が少なくなった。
帽子は、盛装した最後のアイテムとして、きちっと被って頂けると本当に素敵に見える、その人に合うものが必ずあるので、それを自分なりに、被りこなしてほしいですね。