堺 正一(元県立盲学校校長) 高齢者のケアに紙芝居を
70歳 永年身視に障害のある子供達の教育に携わる中で、紙芝居を始め、人形劇、絵本の読み聞かせなどに取り組んで来ました。
今はボランティアで高齢者施設を廻り紙芝居を上演しています。
認知症の兆候がみられる人もいますが、持ち時間の60分間、集中して、うなずいたり、涙を拭ったり、大笑いしたり、時には過剰とも思える反応をしてくれます。
正ちゃん紙芝居として人気の高い、堺さんのボランティア紙芝居活動について、伺いました。
障害のある子供達を学校で教える中で、子供達に笑顔を出したい、目を輝かせたいと思い、色々取り組んできました。
その中で紙芝居は、他とちょっと違う反応がみられた。
こちらから子供に話しかけて、それに対して子供が反応してきて、次に進んで行くと言う、しやすいのが紙芝居というメディアかなと思います。
母は92歳で亡くなりましたが、晩年5年は寝たきりで、認知症が進んでゆく中で、自分の子供の名前が解らなくなった様な状況でも、絵を見せて話をする、一緒に童謡を歌うと言葉が出てくる。
おじさんの時も同じような反応があったので面白いメディアだと思った。
視覚障害教育、埼玉県立盲学校に赴任した。
多くの方が目標として、塙 保己一を目標に努力したという。
点字図書館の本間一雄先生も同様に目標にしたと言われる。
校歌にも塙 保己一の名前が出てくる。
生きる目標を子供達に植え付けられれば、指導は半分成功し様に思うので塙 保己一について、子供達に伝えたいと思った。
高校先生の時代、若い学生が自ら命を断ってゆくケースがたまたま続けてあった。
命を大切にする事を子供達に伝えたい、と言う事を子供達に伝えたいと言うのが、この紙芝居を描いた動機です。
塙 保己一は15歳で全盲の身で埼玉の現在の本庄市から、一人で江戸に出てきて、そこで重い障害がある為に、いじめをうけたり差別を受けたりという経験の中で、自ら命を断とうと言う事を何度かあって、そこを乗り切った時に塙 保己一の人生は大きく開けたと言う事がある。
晩年の肖像画があるが、本当に幸せな顔をしている。
多くの若い人に知ってもらいたかった。
「生きているって素晴らしい塙 保己一の青春」という紙芝居。
「塙 保己一が道端で下駄の鼻緒を切ってしまって、周りの人に助けを求めるが、周りは聞こえないふりをしている、ある人が怒鳴って縄を塙 保己一に放り投げると、塙 保己一の額に当たって、水たまりに落ちてそれを悔しさをこらえて、無言で懐に入れて逃げるように立ち去る。
涙をこらえながら、この悔しさを忘れずにいつかあの人たちを見返してやると思う。
それを追ってある茶店の女将が来る。
よく我慢したと、いつかいいことが必ずあると慰めながら、かぶっていた手拭いを引き裂いて、はなおをすげてくれた。
短気を起こすところでしたと、有難うございました。 その優しい言葉にどんなに励まされ、慰められたことでしょう。」 と言いった内容の一部
自分で絵を描いて作った。
共感の世界 演じ手と観客がいて共感の世界が出来上がる。
高齢者同士の横のつながりができて、普段おしゃべりできない人ともおしゃべりをするようになる。
紙芝居は 演じる 語りかける。(間を取ると言う事が重要) 紙をゆすったり、カタカタしたりする。
紙芝居は意外と新しい、昭和5年に出来る。 日本で初めて出来る。
(映画は明治の後半に入ってくる)
今の高齢者は子供の頃、紙芝居を皆見ている。
戦争がはじまると、国策紙芝居 戦争を進めてゆく上での、メディアとして利用。
街頭紙芝居 駄菓子を売るために、子供達の心を掴む、物凄い人気があり、国家が之を利用する。
宗教紙芝居も街頭紙芝居が始まって間もなく作られてゆく。
紙芝居は日本の伝統文化。
高齢者を15分集中させるのは、大変と高齢者施設関係の人は言うが、私は60分、時間を頂いている。
紙芝居と紙芝居の間は、話をやり取りすると、終わった時に「もう終わり。」と言われる。
「舌切雀」 子供の話を高齢者にするという時は、高齢者に話すやり方があると思う。
子供の頃の教科書を持って行ったりして、高齢者の記憶をよみがえらせる様に話を持ってゆく。
高齢者向けの紙芝居は随分出てきている。
昭和と言う時代を生きてきた、それを振り返るとういう作品がある。
涙を流しながら、聞いてくれて、終わった後に、ああいう事あったよねと話し合う。
紙芝居にチャブ台が出てくるが どうして丸いのか問いかけたら、チャブ台は大家族でも、そこにおかずを置けば皆で食べれる、とある人が言ったが、普段は寝ている様な102歳のおじいさんが、それだけではない、部屋にチャブ台を置いて、食事をして、終わればチャブ台をかたずけて、部屋は居間になったり、布団を敷いて寝室になったりする、そのたびにかたずけるのに、丸いチャブ台をころころころがすために、丸いんだと、言った。(ちゃんと聞いててくれてよかったと思った。)
紙芝居は本来、絵があって、語るのを見てもらうが、目に入ってくるもの、耳に入ってくるもの以上のものを感じてもらえるのかなと言う感じがする。
介護を目的にした紙芝居の講習会が開かれたが、応募者が沢山いて、会場からあふれるくらい集まっている。
一つの大きなな流れになっている様な気がする。
人に喜んでもらうと言う事は、自分自身の喜びでもあるし、喜んでやらないと、相手の人にも喜んで貰えないので、喜びは掛け替えのないものになっている。
私の先生からの言葉 「色々なことが今までありましたけど、僕は一寸先は光だと言う事に気が付きました。」 と言っていました。
やなせたかしさんは同じような言葉を言っている。