2014年6月8日日曜日

関西佳子(水間鉄道社長)      ・私の鉄道経営体験を語る

関西佳子(水間鉄道社長)     私の鉄道経営体験を語る
1963年 昭和38年 大阪市の生まれ 短期大学卒業後、証券会社に務めた経験のある関西さんは専業主婦と成り、その後フリーのシステムエンジニアの仕事を始めます。
その技術を生かして、経営破たんした水間鉄道の再建事業にかかわることになります。
水間鉄道は貝塚から水間観音までの5.5km、水間観音参拝の足として大正14年開業しました。
多い時は1万人もの乗降客を数えましたが、モータリゼーションの波に依る乗客の減少や、事業拡大の失敗などもあり、2005年およそ258億円の負債を抱えて、経営破たんします。
地域の足を護ろうと、鉄道再建に取り組んだのが、現役を引退した関西さんの父親を含む5人の鉄道マンたちでした。
3年後、2008年 再建事業の管財人が社長として白羽の矢を立てたのが、関西佳子さんでした。
全国的にも珍しい女性の鉄道事業経営者の誕生となりました。

水間観音のための交通手段として大正14年に始まった。
日本で2番目か3番目に短い鉄道です。 駅の数は10駅の単線。
駅の建物はお寺の様な形をしている。
水間観音は行基 に依った設立されたお寺。
聖武天皇の勅願で病気平癒を願って、川と川の間に凄くいい土地があるから、探してきてくれと言う事で探しに来られた。
水の音、渓流の音で心が洗われる。  泉葛城山からの渓流が流れてくる。
水がいいので野菜はとっても美味しい。

貝塚駅、水間観音駅は有人だが、それ以外は無人。
清児駅(せきご駅 貝塚駅から4つ目) 聖武天皇が行基菩薩にお願いした時に、清児にまず着いたらしい。
水間」にやってくると観音の化身である16人の童子に遭遇
千本餅つきをしていた子供たちが、行基菩薩の手を引いて、水間口まで連れて行ったという伝説がある。 
毎年正月に千本餅つきを水間寺で行っている。
突いた餅の中にお金を入れて、投げて配る行事がある。(当たった人はその一年幸運に過ごす)
三重の塔 
水間寺はもともと地域の方にお金を貸して、翌年利息を付けて返す、と言う風習が昔からあったと言われる。
ある人が結構な大金を借りて、帰って、翌年には返さなくて、十数年たってから馬にお金を一杯積んでお礼に戻ってこられた、そのおかげで三重の塔が建てたれた。
塔の前には立派な馬の像がある。 この話は「日本永代蔵「に出ている。 「泉州水間寺利生の銭」はそこから来ている。
「利生の銭」とは、水間寺に初午詣(旧初午の日)をして、来年の初午の日にはこの利生の銭を倍額にしてお返しすることによって、ご利益を頂戴するものである。
地域の行事なので、密着な関係にあるので、大みそかの鐘つき、餅まき、とか年中行事には参加している。
寺僧 60歳になったら修行してお寺にお仕えする、珍しいお寺です。
2005年 258億円の負債で経営破たんする。

宅地開発の投資で、(バブル期)損失をしてしまう。
1970年代 年間400万人乗っていただいていたが、今は半分以下に減ってしまっている。
地域の方にとっては無くなってしまっては困るので、日々努力している。
父はもともと、南海電鉄のOBで、地域の大事な足を失ってしまうのは、忍びないと言う事で、再生に乗り出した。
再建案 当初父をはじめに5人 南海電鉄のOBを集めて、再建を実行した。
5人の中にシステムエンジニアがいなかった。
ICカードが使えないので、その要件の一つに入っていた。(システムエンジニアが必要だった)
父の要請があり、手伝う事になる。 (当時 父は70歳)
システム導入 2年掛かるかなと思って、請け負っていたが、水間鉄道の親会社の会長から依頼されたが、父からは反対された。(地元に人間でないものが引き受けることは良くない)
会長が病気になられて、後を頼むと言われて、お受けしました。(それが最後の交わした言葉)

3カ月給料が遅配になっていて、厳しい状況だった。
朝晩は結構乗車が多くて、残さなければいけないと決心した。
ICカードの機器の導入が最初の仕事。  他社と連携できた方がいいと思っていた。
協議会に入らないと、実施はできなくて、会社が厳しい状況の中だったが、何とか入れていただいた。
東急7000系の車両を利用している。
ATS導入、安全対策が一番大事だと思っているので、行政の力を借りながら、サービス面などを充実してきた。
大みそか終夜運転、みそか亭(一日限りのうどんや、蕎麦屋)やったり、地元の米、水で作った地元の酒を作って、振る舞い酒にする。
枕木オーナー 枕木の両端にプレートを貼って10文字好きな文字を2年間貼って、状態が良ければ、お返しする。(応援してほしい 大変さを共感してほしいと思って始めた)

マルシェ(市場) あまり店がないので、、車両を市場にする。(地域の方に場所を提供)
「誇りを持って仕事をしよう」
社会貢献しないという様な仕事はないと思うが、鉄道は間違いなく地域の足を護って、観光の方も来ていただけるので、インフラは大事なので、誇りを持って、皆やっていると思いますし、大事な仕事だと思う。
父は2年前に亡くなる。 突然だったのでショックだった。
あれほど鉄道のことを愛して、鉄道に従事した人はいないかなあと、思います。
「鉄道は地域の沿線の文化の担い手なんだよ」と一貫して、父から聞かされてきたので、ぶれは無い。
地方鉄道を存続させてゆく責任の重さは感じます。
「まち愛カフェ」 木で出来た温かい雰囲気の店を作りました。