2014年6月13日金曜日

八木正自(日本古書籍商協会) ・古文書から伝わる人間再発見

八木正自(日本古書籍商協会・会長) 古文書から伝わる人間再発見
源氏物語から夏目漱石、三島由紀夫などの初版本や古い書物、手紙など多くの古書籍に触れることで日本人の心を知って欲しいと、日本古書籍商協会が今から50年前に誕生しました。
当時全国に在る代表的な古書店10店から始まった協会は古い書籍絵画と言う文化遺産を大切に保存して、新たに見つかる古文書や手紙類を判定、評価するため、歴史研究と審議官、本物と偽物を見分ける目を養ってきました。
古文書から伝わる人間再発見 40年以上この仕事に携わり、協会の会長に就任された八木さんに伺います。

龍馬の最後の手紙を発見、その鑑定、評価をした。 龍馬は大好きです。
日本人が好きなトップ3 3位が秀吉、2位が信長、1位が龍馬ですね。
3人は特色がある。 
幕末閉塞した徳川の世の中をどうにかしなければならない。
薩長、土佐、徳川を自分なりに情報を収集して、自分のやり方でやったと言う事。
龍馬のの最後の手紙 1500万円の評価
信長、家康は家来がいっぱいいるので、祐筆という書き手専門の秘書がいる。
彼らが文面を書いて、そこに署名捺印するもの。
10年前 龍馬が千葉道場にいたころに、「さな子」と言う娘が活発でなぎなたの名手で、馬にも乗り顔かたちも良かったという内容をお姉さんに出した手紙があった。
故郷には「加尾」といういいなずけがいたが、「千葉さな子」と言う人と婚約してしまうが、遠ざかったり、全国を回っていたりするうちに、「お龍」と知り合って結婚する。

掘り出し物を見つける人。 個人のコレクター、大学、図書館、博物館、の研究者など。
鑑定する力、年月重ねた経験 展覧会などで実物を見て目を鍛えておくこと。
オークションと言う毎日行われている場で、1000点ぐらい出てくるがそこでは偽物、本物が入り乱れており、瞬時に見極めて、仕入れをする。
私の師匠 反町茂雄さん 古書業界では伝説的な人  1992年90歳で亡くなられた。
私はそばにいて15年間、いろんなことを教わっていた。
古文書勉強会、日本史勉強会で勉強したり、海外に一緒に行って、図書館の目録を作るために、アメリカのニューヨークにパブリックライブラリーと言うところがありが、ウィリアム・オーガスタス・スペンサーと言う人が世界中の美しい本全部を集めなさいと、基金をもちまして、世界中の美しい本を集めた文庫がある。
スペンサーコレクション 日本書の部門があって、江戸時代の絵も着物から北斎の絵本とか、日本の素晴らしい貴重品が300点ぐらいある。

スペンサーはタイタニック号で亡くなった。
遺言で財産を本を集めるために使ってほしいと言う事になった。
反町さんが写真に撮りなさいと言われて、撮ってきた。
世界中の図書館、博物館などにも一緒に連れて行ってもらって、目を養った。
フランシスコ・ザビエルの手紙をロンドンで買ってきて、サインが本当なのかどうか、確かめたくて、バチカンまで行って、イエズス会の文書館にっ行って、実物を出してもらって、筆跡を比べたりした。
日本ではこれ一通しかない。
浮世絵などは日本に有るものより外国の方が多いと言われている。
日本人の絵画センス、工芸的センスに対しては一目、違うなと感じてる様です。
能、歌舞伎などに対して評価をしている。
もっと日本文化を勉強して、日本文化を知っていたほうがいい。(英語は中学生ほどで十分)

大学は理工系に行って、父親の影響で、家では本だらけだった。
反町さんは、あなたは点で知っているかもしれないけれど、線で知りなさいと言われた。
いまある雑誌に15年間連載している。 書くと言う事は色々調べるので、蓄積としては非常に大きなものになったと思う。
点線ぐらいにはなりつつある。
外国人の日本への紀行文は、日本人が書かないような事まで詳細に書いてあるので、日本人にとっても参考になる。
歴史は線になっていて、人間の想いを解明して、信長はどういう風に見ていたか、比叡山焼き討ちだけを見ないで、どういう事を信長は描いていたか、其様なことがどう家康の時代に繋がっていったか、と言う事になる。

お雇い外国人が来るが、モース (大森貝塚発見) 列車の左側に座っていて、崖を見て発見した。
日本に行くと貝類がいっぱいあるという情報で、それだけで日本に来た。
外国人は庶民の事を観察している。
日本人は貧しいけれども、勤勉、好奇心が旺盛。 
冷泉家の本を展示するとなると、ワーッとくるが、案内を読んでゆっくりゆくが、やはり好奇心は旺盛だと思う。
福沢諭吉は、著作が多い、教育者としてたてまつられるが、普通必死の思いで政府に入って重要なポストにつくが、幕臣なので二臣につかえず、と言う事で在野で私立学校を大きくして行った。
教育と出版、演説 (人々が主張する) 事業 明治2年日本で最初の株式会社、丸屋商社(丸善)を作って、早矢仕 有的を社長に据えるが、福沢の店と言う概念で当時持たれてたと言う文章がこないだ出てきた。
出版社も作っている。
学者でありながら、事業をも多角的にやっていた。
(義塾と言う学校を大きくしてゆく原動力になった)
慶応義塾」けしからんという怒っていた人がいるが、福沢は徳川に恩義があると言う事を感じる。
 
龍馬の手紙の中に、三岡八郎(由利 公正) 福井藩の藩の経済を立て直した人 龍馬の場合には、三岡八郎を「三八」と 略して書いたり、当時手紙は本来硬い文面で有るが、非常に人間性があふれて人気がある。
龍馬の手紙は一目でわかる、自由奔放過ぎて真似の仕様がない。
岩倉具視、西郷隆盛など 明治維新で活躍していた人の表裏が解る。
西郷隆盛の手紙は非常に偽物が多いので、鑑定が一番難しいものに入る。
私の最後の課題 まるっぽい字で小さめな字、繊細なんでしょうね。
豪快ではあったと思うが、人に対する気配り、思いやりは十分に有ったと思う、そうでなければあれほどのカリスマにはならない。

三島由紀夫 川端康成 字は精神がこもっている。 本物を見ると迫力を感じる。
気が伝わらなければ、本物ではない。 それは大きな要素。
書のスピード感、其中に強弱があるが、偽物は写そう写そうとしてゆっくりなぞるので判断の材料になる。
秀吉は学問は無かったが、ひらがなしか書かなかったが、それでも味のあるひらがなを書いている。
一人だけ例外で、大隈重信は自筆の手紙などは発見されたことがない。
誰かに興味を持って、図書館に行っていろんな本を見る。
先ず、知ると言う事、そうすると疑問が出てくる、そうして調べてゆくうちに、学者が解らないと言う様な場所が出てくる。
疑問点を自分でどっかで見つけてこようと言う事で、原資料等を読んで行ったりする。
新しい学説を出せば、素人でも発見のニュースになる。
神田の東京古書会館、 古書展をやっている。
日本古書籍商協会は世界古書籍商連盟と繋がっている。