2014年6月20日金曜日

鵜澤 久(総合指定能楽保持者) ・母と娘 能楽に生きる

鵜澤 久(重要無形文化財 総合指定能楽保持者)  母と娘 能楽に生きる
日本の伝統芸能、能楽は奈良時代に始まり600年を越す、最高の古典演劇と言われます。
2008年ユネスコの無形文化遺産に登録されて、歌舞伎、浄瑠璃も選ばれて、共に世界に誇る日本の芸術の一つと成りました。
しかし、能楽は敷居が高いと言われ、能を見に行く人が少ないのが現状です。
そうした中で、10年前、全国で22人の女性の能楽師が誕生し、現在能楽普及のために活躍されています。

「高砂」はおめでたい曲  1時間45分のしっかりした曲  皆さんが歌うのはその中の一部分。
「高砂屋この裏船に帆を上げて」 帆を上げて出帆する事が目出たいと知っている人ならば、目出たいと思うけれど、知らない人にとっては、何だかわからないことになる。
結婚式で歌うのは、「老松」と言う曲があって、お爺さんの松の精が主人公の曲、その最後のところにあるの文章が、君が代の国歌が出てくる。    とわに幸せをを願う。
腹式呼吸で声を出すが、腹筋を鍛えればいいというものではない。
基礎トレーニングなどは一切ない。
3歳で初舞台をふむ。
父は鵜澤雅 能楽師 若い時には反抗していたが、父は能楽師になることは晩年まで反対していた。(女性で有るので)

能楽の魅力?
子供の時から、ずーと聞いてきて、歌いは子守唄の様に聞いていたし、どなり声をきいて、自然に歌いも覚えてしまうし、洋楽の歌は歌えない、能の音階しか身につかなかった。
歌番組が始まると、ラジオでもTVでも切ってしまう。
音符も判らないし、音楽はいつも1か2だった。
言葉にメロディーが付く。
息使い、如何に深い息が大事かを思い知らされて、それを判ってきたら、音階も少し判ってきた。
長い間演劇をやってきた人と一緒に出来るのかと思っていたが、能をやってきただけで一緒に出来るんだと言うことが判った。

歌舞伎と能楽と比べると、能楽は一般受けしないのでは?
能は見ましょう、判りましょう、感じましょう、創造しましょう、と言いう見る方の働きかけがかなり働くと凄く面白いはず。
あらすじだけ知って、後は見ていれば、題材としていることが、古今東西の問題なわけで、能と言うものは、本質的なものだけが一本通っていると思う。
高砂の様に「長寿はめでたいことだ」と言う事が一本通っているとする、伊勢物語の井筒の女がどういう事を戯曲の中で言いたいのか、男女の問題、神と人間との関係、生きるか死ぬか、戦争、戦いの問題、人と自然の交わり、と言う様に一つのテーマみたいなものがピーっと 通っていて、そこのところを掴もうとして見れば、スーッと感じてくる。
自分の人生と何かを照らし合わせながら見れば、こんなに面白いものは無い。

時間、時間と言うものが流れる。
長いかもしれないし、一瞬かもしれない。
能舞台は神社仏閣の様なものが目に触れる。(恐れおののく様な)
誰もいない舞台のところに、一人、二人、三人と人が増えてきて、一曲が始まる、自分がはまってみていたら、一人、二人と減ってゆき、気がついたら、能舞台だけが残っていて、あーなんだったんだろう、とそういう意味での時間、私はそう思いますけど。
無から有を生み出して、そしてまた無に戻るみたいなそういう芸能ですね。
能は一期一会で、一回こっきりの演能のために、何カ月も稽古をする。
その日に風邪ひいていようと、熱があろうと、お腹が痛かろうが、舞台に立って演じる。
ベストコンディションに持っていけるかどうかわからないが、その日しかない、その時間しかない、其時をそこのお客さんだけと共有する。

総合指定能楽保持者  平成16年 初めて22人女性能楽師にならせていただいて、私は最年少。
能は一人ではできなくて、最低20人ぐらいの人がいないと、能と言う古典芸能は能とは言えない。
支えるにふさわしい人と選ばれているという事だと思います。
して方は一人だったりする。(主役) わきかた 狂言方 囃子方がある。
自由たい 後見 舞台上のいろんな装束の脱ぎ着、作り者の大道具、小道具のかたずけ、プロンプター、演者が舞台上で倒れて演じられなくなった時に、代わって演じなければならない。
演出家はいないので、してが演出家にもなるし、プロデュース的なこともやる。
「して」は主役を張ることができる分、責任がいっぱいある。

小学校の5年生の時に、作文を書かされた時に、私は男になりたい、なぜなら能楽師になりたいから、と書いたが、先生からは一蹴された。  そのとき私は悲しかった。
父は稽古してはくれなかった。
東京芸術大学に入ると道ができるのかなあと、思って父に話したら、それは大変だと言う事になって、教えに行っているのは能楽師仲間なので、娘に恥をかかしたくない、自分も恥をかきたくないと言う事で、高校1年から受かるために、厳しく教えてくれるようになって、本当に嬉しかった。
はいってから、観世寿夫先生から、能の世界の厳しさを諭された。
先生の目線 自分がまっ裸にされている様な目線で、見られて寒気がするような思いで見てくれた。
舞台に立つ時の構えの基本 すり足 基本を腰が折れるぐらい教えてもらいました。
地球の中心に落ちている様な立ち方、あらゆる方向から無数の見えない糸で引っ張られてそこにいる。
その緊張の糸が一本も緩みの無い状態で、立つんだと、その感覚、ただ立っているだけで、自分に集中していることが判る。 
現代劇をやらしていただいたときにも、勝負できるんだと思いました。
構えと運びが能の基本なんです。
高校生ぐらいになると、型を教えてもらう、一点に集中するのと、空間を広めてゆく (差し込み ひらき というが)
右手がでたら、右足、最後の足場は右で終わらなくてはいけない。 型にはめてゆく。

ともかく稽古をしなければならない。
光さん(娘)に厳しく稽古をしている。   35歳になる。
母、娘で能やっているのは世界でうちだけです。
二人で舞う。 「松風」のつれをやる。
知らないものを知ろうとするとか、なにかあるんじゃないかと、感性の働き方があると、もっともっと面白くなる。