2014年6月18日水曜日

名城政次郎(沖縄尚学・校長)    ・高校経営の危機を救った男(2)

名城政次郎(沖縄尚学・校長)   高校経営の危機を救った男(2)
客観的な状況からは非常に難しいという事でしたが、立て直しの自信はありました。
昭和57年の12月でしたが、1年待ってほしいと言ったが、58年の3月には廃校が決まります、と言う事だった。
定員550名のところに、自分の予想では 50名しか来ませんとのことだった。
57年進学校として、入学試験を行ったが、応募者がいなくてこの入学試験は取りやめになった。
当時、尚学院では5000名の生徒がいて、すごい勢いだった。
リスクが大きいので職員からは反対があった。
定員が1650名のところに、400名しかいなかったので破たん状態だった。
予備校だけでは学力向上にはならないと思い、正規の学校(3年又は6年)を経営したいとの思いはあった。
周りの反対はあったが、妻は了解してくれた。

最初は生徒集め、学校は信用の泉がないと駄目。
予備校では、信用が出来ていたと思っている。
しっかりした生徒を入れる必要があった。
昭和57年12月27日に新聞記者を集めて、沖縄尚学院高等学校と言う名前で名城政次郎がやりますと言う事で、発表した。
沖縄で一番早い時期に入試をやることにする。
50名と言っていたのが、300名来た。
授業料も段階的に上げた。  2年目は750名ぐらい来た。
先生もほとんど残ってくれて、新たに予備校からも多数先生を導入して、授業はあちこちのビルを借りてやった。(校舎は古く、予備校の先生も通いやすいので)

中学の仮校舎では廊下を歩くと、ギシギシと音がする状態だった。
新しい校舎は4,5年後になる。
点数至上主義ではだめだと思っていたので、学校教訓を朝夕全生徒が斉唱する。
①恐れず、あなどらず、気負わず、やるべき事に取り組みます。
②温かみ、厳しさ、知性を身に付け、感謝と奉仕の心を実践します。
教師も起立して斉唱する。
当時はいろんな事を考えて、笑わなかった。
まだ当時よりも安心感があるが、まだ道半ばです。
4つの柱がある。
①教養、②倫理観、③文化力(沖縄独特の空手など 空手は必修科目になっている)、④コミュニケーション力(英語)

外国人が7名いる。  アメリカの大学と提携しているが、毎年4名の人が来る。
短期、長期交流で多くの外国から生徒が来る。
今、教育改革が進みつつある。
現行の入試の在り方は良くないと、点数至上主義で、他のことを考慮して選抜しなくてはいけないと言う方向。
面接、学校での活動、ボランティアをしたかとか。
高校野球で、甲子園で春2回優勝している。 1999年、2008年
野球、柔道、テニス、なぎなたに力を入れている。
柔道も県内ではずーっと優勝している。
スポーツだけ突出している学校にはしたくない。
周りの人を考える、安心させ喜ばせる人になってほしい。
根本には人間作りをきちんとさせながら、進学の顔を広げてゆく。

沖縄尚学院高等学校から沖縄尚学高校に名前を変える。
沖縄を教育県にしたい。
社会全体の知的なレベルの引き上げに役立つと思う。
人材作りは考えなくてはいけない。
レベルの高い大学にいって、その中で人間的な部分を磨いて、広い視野で、そういう逸材になってほしい。
世界を目指す高校、外国から生徒を取ったり、外国に生徒を送り込んだり、交流をやっている。
マレーシアから数十名くるとか、フィンランドから13名来たりする。
沖縄の人材はまだ不足していると思う、中央に行って働く人間、沖縄出身の官僚は少ない。
全国的な視野を元に沖縄を考えてほしい、そういう事も必要だと思います。 
県内の人材もまだまだ不足していると思う。
今価値観が多様化しているが、確かな目で之がいいんだと判断する、普遍性を以って皆に認識されるような教育をしないといけない。
期待すると同時に、やってのけないといけない。