2014年6月21日土曜日

西山明彦(唐招提寺・宗務長)    ・鑑真が残したもの

西山明彦(唐招提寺・宗務長)   鑑真が残したもの
62歳   天平の昔、仏の教えを広めるために、日本にやってきた中国の僧、鑑真 度重なる渡航の失敗にも屈せず、6度目でようやく奈良の都に辿り着いた時には、すでに60代の半ばを越えていました。    西暦754年のことでした。
それから亡くなるまでの10年間、鑑真は僧侶だけでなく広く世俗の人々に、仏教の戒を授けました。
人としての基本となる生活習慣、倫理、道徳を護る大切さを伝えました。
利他行、人のためになることを行う様説きました。
鑑真が広めた仏の教えとは、どの様なものだったのか、鑑真が現代人に語りかける心のメーッセージとは、なにか伺いました。

鑑真和上像 6月5,6,7日 3日間だけの御開帳だったが、亡くなられて1250年経って、和上のお身代わりを作らしてもらって、1年間経った。
お釈迦様の教えが伝わっていないところには、命を惜しまないで、伝えたいとの思いがあった。
鑑真和上が指導してくれた事が花開いている。
中国の揚州にいた鑑真は仏教の戒律を伝えてほしいという、朝廷の招きで日本に渡る決意をします。
6度目の試みでようやく日本に辿り着き、鑑真が九州の太宰府に入ったのは天平勝宝5年、(753年12月の事) 日本にゆく決意をしてから10年余りがたっていました。
鑑真を日本へ駆り立て、苦難を乗り越えさせたのは、仏の教えを人々に広めたいと言う強い思いでした。
鑑真は奈良の都で天武天皇の皇子、新田部親王の屋敷の後を与えられ、戒律を修行する道場を開きます、之が唐招提寺の始まりです。

仏教の戒律  戒と律は違う意味があった。 
戒:毎日の正しい習慣を 戒 と言った。  律:罰則を伴う事をしてはいけない事を律と言った。
戒律 律の方が重くなってしまったが、戒という本来の良い習慣、倫理道徳的なことを意味した。
当時から200年前に仏教がつたわってきているが、仏教の戒は最低限守らなければいけないのが5つある。 五戒
二つの流れがあり、一つはその当時にテキストが持ち込まれた。
もうひとつの流れは鑑真がもう一つの違うテキストが持ち込まれた。
在家の人も、人間としてこうあらねばならぬと、いう最低の5つの戒だった。
①ことさら生き物を殺してはいけない。不殺生戒 (ことさらがあらたについた)
②他人のものを盗んではいけない 不偸盗戒(同じ)
③男女の関係を正しくしなさい (妻帯してはいけない) 不邪淫戒 在家にも適用するので、夫婦   間の結婚を  認める。
④嘘をついてはいけない(同じ) 不妄語戒
⑤酒を飲んではいけない  不酤酒戒  心を惑わすものを服用してはいけません、が漢字に訳す  と酒と言う字 に変わってくる。 今の時代で言うと薬物。
一般の生活をしながら、お釈迦様の教えを伝えてゆこうと言うためには、梵網経と言う戒律を守る事が基本と成る。

授戒 未来に約束をする事。 5つの戒を絶対守ると言う誓約しなさい、という。
三世の仏様に約束してほしい。  鑑真から授戒を受けた者は守る、守ろうとする。
布薩 懺悔行 仏に許しを乞う。(半月ごとに)  鑑真が授戒と懺悔式を取り入れた。
利他行 他の人を考えて生活しましょう。 そのために5つの戒を守って、自分自身も清くするけれども、他の人も幸せにすることがとても大事なことですよと、初めてひも説いたのが鑑真です。
知れば知るほど鑑真は大きすぎる。

西山さんは昭和26年 農家の次男として三重県に生まれました。
熱心な仏教徒だった母親の姿を見て育ったと言います。
高校を卒業して、大阪の会社に就職、下宿したのが奈良市内のお寺、伝香寺(唐招提寺の末寺) 住職 徳田明本さんが西山さんの母方の伯父という縁から。
徳田さんとの出会いが仏道への入り口だった。
大学に行って、教職の免許を取って、お寺とは離れる事を思っていた。
師匠の遺言状がでてきて、後継ぎにしてほしいとの内容。 僧侶になろうと決心する。
昭和51年4月 伝香寺の留守居役と成り、唐招提寺の僧侶としても活動する事になる。

薬師寺 高田好胤 伽藍復興で本堂を立ち上げる時の現場で、若い人たちを集めて、話をしていて、輝いていて、こんなお坊さんがいるんだと思った。  会えてよかったといまだに思う。
御影堂 東山魁夷さん作品が収められている。
12年の歳月をかけて描いた。   昭和51年 に絵を最初に収める。
一人の人間が命を掛けて日本に来て、教授したことは忘れがたい出来事だし、いまだに日本で使われている、精神が、受け継がれている事はあまり他にないと思う。

幼稚園の園長も務めている。
裏にあった2mあるお地蔵さんを子供たちが拝めるように、前に持ってきた。
5つの戒を守る様に、幼稚園も、大人も一緒。
同じことをずーっと言い続ける事、之が教えであり鑑真がおっしゃった戒で有るわけです。
人間の基本的倫理は時代が変わろうが、国が変わろうが 戒は変わらない。