大野和士(指揮者) 指揮棒は世界を駆け巡る
フランス国立リオン歌劇場の主席指揮者を務める大野さんは日本を代表する指揮者の一人として世界中で活躍しています。
東京芸術大学在学中から、民放のクラシック番組の専属指揮者を務めました。
その後大学を卒業し、25歳からはクラッシック音楽の本場ヨーロッパに渡って、様々な国で研さんを積んできました。
これまでの活動をざっと、見てみますと、1987年にはイタリアの指揮者コンクールで優賞、翌年からはクロアチアのオーケストラの音楽監督、1996年からはドイツの歌劇場の音楽総監督、2002年からはベルギー王立歌劇場の音楽監督、2008年からはフランスのリオン歌劇場の首席指揮者を務めています。
5年前に、一度来日 今回はホフマン物語とオッフェンバックの作曲した最後のオペラをプロダクションとして日本の皆さまにお届けしたいと思って、います。
リオンのオペラを率いて、公演するのは5年ぶりとなります。 今回合唱団と共に来ます。
総勢200名で来日する事になっています。
リオンに年、4から5カ月居て 二つの大きなプロダクションを新製作のオペラを振って、他にツアーをしたり、フェスティバルに参加したしたり、他の国の客演とかで飛び回っています。
25歳からヨーロッパに渡って、それから30年ぐらい経つ。
以前はオペラを組織的に論理的に構築的に学ぶ機会がなかった。
オペラの専門劇場で、どういう風に出来てるのかを見たくて、ミュンヘンの歌劇場に2年間もぐりこませていただいたのが、きっかけです。
1987年 27歳 イタリアのトスカニーニ国際指揮者コンクールで優勝、第一次参加者が40~50名が参加した。そこから振り落されてゆく。
その仲間とは今でも交流がある。
1988年~1996年までクロアチアのザグレブ フィルの指揮者をする。
東ヨーロッパの大激動の時代。
内戦状態に陥って、ザグレブは爆弾は落ちることは無かったが、周辺地域は危ない状況で、音楽どころではないと思いきや、団結が凄く、コンサートは続けるべきと、一回もキャンセルせずやり通した。(町は灯火管制、半明かりのなかを会場に来る)
演奏会場ではいつもより遥かに熱気は凄く、演奏が終わると、声を雄たけびの様に上げて、演奏会を終わると、薄暗い中を黙々と帰って行った。(内戦中)
ドゥブロヴニク で音楽祭が夏に開かれている。 カラヤンも来たことがある、伝統のあるところ。
その街に行くのに、幹線道路に爆弾があって、車が通れず遠回りして行った思い出がある。
オーケストラの中にはいろんな国の人達が一緒に弾いているわけで、政治的な理由でそういう状態が訪れたが、指揮者日本人、ソリストがロシア、色々共和国の人がいる、一緒に音楽を皆がやっている。
この国ではナショナリズムという言葉に依って、ある問題が発生しているが、ここで私たちがやってる行為はインターナショナリズムですと、確信して、アンコール曲を2曲用意、 ブラームスの第三場の交響曲 第三楽章 憂いに満ちた曲(すべての犠牲者の皆様のためにと言って演奏した)
第二曲は やはりブラームスの大学祝典序曲 私たち皆の未来のためにと、演奏した。
お客さんたちは、今まで見たことのない様な大騒ぎになった。
人間で有る喜び、今ここで生きているという実感をそこで身体をもって、一緒に表していたのが、目に焼き付いて今でも忘れないでいる。
人間の存在自体が、何らかの理不尽な力によって脅かされた時にこそ、音楽によって、人間には感受性が際限なく伸びてゆく可能性のある、導火線みたいなものを持っていて、火がついた時には
究極の自由をもって想像力の中に羽ばたく事が出来る。
天才たちはそのようなことを残してくれていて、人間が難し立場に置かれた時に、それを聞く事によって、」喜びを感じ、自分の運命にもう一度思いをはせて、人間として生きているという事を確認すると言う事なんだと思うんですね。
その後ドイツ、ベルギー、フランスで指揮をする。
日本人に生まれてよかったと、思う事がこの仕事をしていて思った。
隣国の文化といえども、ある国とある国が隣り合っているにもかかわらず、隣の国の音楽を隣りの国がオーケストラをやるが。
例えばドイツとフランス、 ドイツのオーケストラでドビュッシーとか、最初の練習では行き先の見えなさがある。
なかなかドビュシーの繊細な、官能的なニュアンスとか、流線形につながってゆく音楽と言うものは、ドイツの詩にはなかなかない。
理解することに時間がかかる。
フランスのオーケストラでドイツの音楽をやる場合、ベートーベンの5番の様に真髄を叩く様な音から始まる音楽を、フランスのオーケストラで、来るかと言うと、そうならない。
隣りの国と言えども、理解しあえることはなかなか難しい。
日本人は色々な国の文化が違うと言う事を、同じまな板の上に載せて、違いがあると言う事が解る。
判った後で、そこで何が自分がやりたいか、と言う事を回り道しないで済む。
その道を見つけたら、それぞれ奥深く勉強して、其国の文化に通じるように自分を鍛えていかなければいけない。
隣りの国だと、違うと言う事を余り思わないんじゃないかと思います。
日本人は等距離で客観的に見られる。
指揮者は決定しなければいけないという責務がある。 一つの道を作ってゆく。
2007年1月にNHK番組プロフェッショナルに出演 その時の言葉
がけっぷちのむこうに喝さいがある。
昇るべき 山を示す。
全てにおいて相手を圧倒しなければ、相手はついてこない。
作品と本当に対話をしているのか。
結果がすべて、全ての責任を取るのが指揮者。
「がけっぷちのむこうに喝さいがある。」
集団真理としてポジティブになってゆくと、本番に考えたことのない様なクライマックスを迎え撃とう可能性が秘められていて、上昇カーブを築けるか、築けないか、一瞬一瞬が注目され、一言一言がその結果を確認され、と言う事、それが全体の納得に代わって行って、演奏者たちの気持ちが一つになって、楽曲の作曲家が考えた事がそのまま音として、屹立してくるという空間に輝き現れてくる。
「昇るべき 山を示す。」
いろんなことを言わなくても、自分たちの耳で聞きながら、一つの大きなヤマとなって盛り上がってくる。(登り方を丁寧に教えなくてもいいと言う事)
作曲家が何をいわんとているのか、「高み」を示す。作品と本当に対話をしているのか。につながる
ホフマン物語
人間の深い悲しみ、絶望、憧れとかに根差した 達しえない恋 人間の感情の真実をオペラに残したい、彼の一生の願いだった。
ほぼ完成前に亡くなってしまう。
改ざんされる。 が新しい姿を発表した。
人間の感情の機微を悟る大天才であったという構造が現れてきて、女性に騙される、絶望のドン底におちいり、新たな恋をする、と言った物語を完全版で上演する。
棒を振ることに集中している時には、音と言うものは逃げてゆく気がする。
泰然と構えて、自然な形で、指揮をしながら、いろんな音が聞こえてくる、聞いているだけで、その方が圧倒的にいい音がする、音が集まってくる。
自分の周りに空気の柱が出来てくるような気がして、その中を音が通過してゆく様な感じ。
そのような時がオーケストラの方が燃え盛っている、と言う事を体験したことがある。
作曲家と会話している様な自分がいて、輝いている様な感覚がある。
現在54歳 今まで音を注ぎ込んできて、まだまだ全く知らなかった世界があるだろうと思うが、自分で取り込めたと思っているものを、依り深めたい、沈潜させたい、より違った見方をしながら作品に別の光を当てられるように、作品の内包しているものをより透視したい。