2014年6月19日木曜日

村田喜代子(作家)        ・書く事は生きる事

村田喜代子(作家)      書く事は生きる事
村田さんは昭和20年福岡県の八幡 (北九州市)生まれ。
昭和52年「水中の声」で九州芸術祭文学賞を受賞し、本格的に作家デビューします。
昭和62年 「鍋の中」で芥川賞を受賞、その後この作品を原作として、黒澤明監督の「8月のラプソディー」が作られました。
平成19年には紫綬褒章を受賞しています。
3年前に 癌が見つかりましたが、治療に成功し、現在も精力的に執筆活動を続けていらっしゃいます。

3年前に癌になって、感じたのは、検査だとか、治療だとかに凄い時間を拘束されるのが、一番つらかった。
健康のありがたさよりも、時間を全部自分で使える喜びの方があるので、仕事をするのも贅沢と言う感じでやっている。
家族に対しての時間の拘束はありますが、健康だったので、今まではそのようなことがなかった。
癌の事と大震災が丁度一緒に遭遇(TVで映像を見る)した。
放射線治療を受ける。
地球ができた時に太陽から放射線が降り注ぐが、生物が出来て、避けて海の中にいて、オゾン層が出来て、放射線がさえぎられるようになってから、生物の上陸作戦が始まったらしい。
原発の事故の事もあり、放射線の事を一緒になって考える時期に合わさってしまった。

4次元ピンポイントの治療 時間も加わる。
癌になった奥さんを持ったご主人の立場から書かれた「光線」
照射台で受ける時間は3分ぐらい。
その間、一人の時間が持てて、自分があんなに勉強した時間は無かった。
小説の形にしたくはなかったので、夫の立場から、作業日誌の様な形で、心情的な文章は止めて、妻のそれを書いたとすれば、情緒的にもならないので良いかなあと思った。
病気のドキュメントではなく、小説として、作品としての世界はどうあるべきか、を考えた。
書くからには調べなければならないので、癌の事も随分調べたので、作家はいいなあと思った。

体調が悪くなる前には、夫が体調が悪くて、鯉コクを料理する。
メスの鯉がいいので10時間 煮詰めるが、それを見ながら、メスの鯉だったら、なんていうのだろうと、語り始める。
どこにいても作家の自分がいる。
小学校で先生に作文を褒められて、何か見ても、これをどう書けばいいんだろうと、考えた。
私はリアリストだと思います。  空想ではないが、過去にも宇宙にも行ける。

「鍋の中」 結婚するまでは料理はできなかった。
結婚して料理をすることが面白かった。
鍋に興味が無くなると、興味が水洗トイレに行ったり、オートバイに行ったりして、視点が動く。
カテゴリーのない作家だと言われる。
子供には、痒い人だと思われていた。
電話で話していて「書いた」とか「これから書く」とか、しょっちゅう言っていたので。
作品はよくこのような発想が、浮かぶなと思う様な作品ばかり。
新しくでき上った 「屋根屋」 単行本。 中味がほとんど夢の話。
屋根の修理のかわら職人と家の屋根の修理を頼む主婦が登場する。

20年前 屋根を修理してもらったことがあり、其職人が気が弱くて、代金を払ってもらえないことがあったりして、精神治療をするがその時に夢治療をする。
夢日記を書く。
その経験を題材にして、「屋根屋」を作品にする。
日本の屋根はのきが深い、何故なんだろうとおもったら、日本は(アジアも含め)雨が多い。
傾斜も雨水をながす。 傾斜が強いと、あまり昇ところではない。
場所でない場所に惹かれていった、そこに登れるのは、鳥しかいない。
人間で登れるのは、屋根屋さんだけだと思った。(鳥の親戚)
夢の中で、シャルトル大聖堂に登りましょうとか、五重の塔に行きましょうかと言う事になる。

夢を見るためには脱力しなくてはいけない、二人で夢をみて合流してゆくためには、一人はある程度覚めていなければいけない、脱力しない部分がいりますね、と言う様な事を、ある夢の専門家からいわれた。
それで之は小説になると思った。
小説の構想、種は、たまたま突然に浮かんでくるイメージの片りんなんですよ。
考えようとして、無理に考えて作るのは面白くない、理屈が先に来るので。
空想はどこかで無理があるが、イマジネーションと言うのは現実にあるものから、パッとひらめくものなんですね、自分の心の中に受け皿がある。
そういったことに、いつ出会えるかわからないので、生きているのが楽しい。