増井 元(元出版社辞書編集者) 辞書を作る
昭和20年東京生まれ 東京大学文学部を卒業し、大学院に進み日本の古典文学を研究していましたが、中退して、岩波書店に入社しました。
入社後間もなく辞典編集部に配属されました。
増井さんは辞書作りはやりたい仕事では無いかったと、いう事ですが、辞書編纂者として著名な日本語学者の見坊 豪紀さん「辞書鏡論」を知り、この言葉を常に念頭に置いて、辞書作りに取り組まれたと言う事です。
辞書はどのようにして造られ、辞典の編集者はどのような仕事をしているのでしょうか?
辞書のページ数、新しく採用する語数、言葉の数の設定、辞書に載せる言葉選び、新しく載せる言葉の説明作りなど、製作から読者とのやりとりまで、全て編集者の仕事ですと言われます。
30数年辞書を作ってきた。
広辞苑、国語辞典 ほとんどこれだけ。 それ以外にお見せするほどのものは無い。
広辞苑を改定しようとすると、短くて8年掛かる。
何十年掛かっても、この2冊しかない。
辞典は規模が小さくても、長い年数が掛かります。
広辞苑の第六版を最後に退職と成る。
綿密に、かかる期間、項目数、ページ数はこのくらいだとか、見通しを持ったうえでないと、取りかからないといけない。
辞書はある程度、世の中ではこうなってますよと、そのままに出すのが、素直な辞典だと思う。
学術書、小説などは内容的な責任者は著者、それを助けたり企画をしたりするのが、本の形にするための諸々の作業は編集者が受け持つ。
辞典も同じだが、基本的にはその本の著者は「編者」という。
編者は大勢の方々が行うが、其原稿を手を入れたり、整理したりして一つの辞典に編むが、辞典の一番の中心人物、「編者」 出版社の中の編集者と名前が重なってしまう。
編者と編集者は違う。
編集者は普通の本の編集者と同じような事をする。
読者とのやり取りは結構大変な仕事、この箇所はおかしいんじゃないか、私の知っている事柄と違っているとか、手紙、電話などが吃驚するほど沢山届く。
その対応が凄く大変ではあるが、辞書が成長してゆくに当たっては、非常に貴重な情報となる。
辞典部 40人ぐらいいた。 辞典の仕事ははっきりしたイメージがなかった。
見坊豪紀先生の「辞書は鏡である」とおっしゃった。
私の仕事の30年間を支えてくれた言葉。
①世の中の言葉のあり方をありのままに写す。
世の中の言葉を常に観察していて、観察が辞書作りの基本なんだ、とおっしゃる。
②世の中の言葉をただすための規範としての鏡である。
辞書は規範としての鏡と、客観的な世の中のものを写しだす鏡としての、二つの鏡の間の自分の位置を定めている。
正しい日本語とはなんなの、として辞書を引く人が圧倒的に多い。
辞書を作る立場からすると、上から目線で教えているつもりはない。
若者言葉、俗に近い言葉が入りこんでくる、世の中の言葉の使われ方がそうなんだ、辞書はそういったものも取り入れる役割として持っていると、おっしゃる。
言葉は変化するもの。
世間の人が之は聞き苦しいと言う中に、「ら」?抜き言葉 があるが、書く→書ける 行く→行ける
話す→話せる
そういう事ができますよ 可能動詞と言っているが、 可能動詞はいいという。
見れる 寝れる 着れる、はいやだと 見るはいいが見れるはどうしていけないのか。
書く 書ける 話す 話せる 定着したのは明治時代。 第一陣の可能動詞
第2陣の可能動詞 見れる 話せる 書けるが定着しつつある。
7割、8割の人が使って、増えてきている。
全ての動詞について増えてきている、それは法則性のある乱れ、法則性のある乱れは変化なんです。
「全然」 打ち消しの言葉と一緒に使うが、最近は 、全然いい。 全然よくできた。肯定と一緒にもつかう。
明治の文学作品を見ても、同様な使用をしている。
版を追うごとに新しい言葉を補っている。
補い方の方針が変わってきている。
専門語がかつては多かったが、いまは日常よく使う言葉が乗っているかどうか、気を配る様になった。
かつては辞典が勉強部屋に在って、知らない言葉を学習するとか、身につける時に辞書を取り出して調べると言う事を想定していたが、今はTVの脇に置いておいたりして、日常生活で疑問に思った時などに、開いてみるといった事が辞典の役割と想定のもとに、するようになった。
新聞から項目を取ると言う事が非常に多くなった。(生活面、家庭面)
国語辞典がどの程度新しい言葉に密着して付き合うかは、編集者、編者の中で話し合われる。
辞典は世間の後について行く。
「介護」 第3版に乗っている。 1983年発行
日常的な会話には無かったが、時に之から流れてゆく先を見ると言う、先見の明があった。
観察力が必要、これから先、どういう世に中になってゆくかは勉強する必要がある。
辞書はなるべくいろんな情報を伝えたいので、短く簡潔に正しく伝える文章にする。
製本 厚い本を想定していないので、製本の機械から制約があり、8cm以内となる。
紙の厚さを薄く、丈夫な紙を要求する。
言葉をは増やすけれど、ページ数は増えないようにする、解説を削って、小さくしてゆくしかない。
第六班は24万語入っている。 2.5kg以上ある。
電子辞書 データ容量 困らない。 引き方が楽だと言う人がいる。
機能性 データの違いというものをもっと考えていいのではないか、と思っている。
長い期間、大勢でやっているので、いよいよ本として目途がつくと、ほっとする。
辞書の誤植は本が入品した日に見つかる、という変な法則がある。
辞書に間違いがあってはいいのか、申し開きが立たない。
リカバーをどうしたらいいか、お詫びの手紙を書く、4000通。
辞書をつくっていて厳しいのは間違いが辞書のなかに在ったと気付いた時。
言葉と蝶のウオッチングをしてゆきます。