堀 祐吉(建築デザイン室代表 1級建築士) 娘の心を伝え続けて
71歳 25年前の夏 不慮の事故で娘明子さんを亡くしました 。16歳でした。
その後14冊の学習ノートが見つかります。
明子さんが小学校3年生から4年生にかけて、書きとめた詩220点が残されてありました。
堀さんはそのすべてを一冊にまとめ、詩集、四季の色として出版、之をきっかけに全国各地で詩集展、詩の朗読会、詩に曲を付けての音楽会などが開かれるようになりました。
25年にわたって詩に込められた、亡き娘の心を伝え続ける堀さんに伺いました。
四季の色
「桃色と若草色の春が来て、うららかな日々が楽しく過ぎてゆく。 エンジ色とマリンブルーの夏が来て、木々の緑が濃くなってくる。 もみじ色と黄金色の秋が来て、実りの日々は飛ぶように過ぎてゆく。 純白と夕焼け色の冬が来て、こごえながら日々が過ぎてゆく」
明子さんが小学校4年生の時の詩です。
明子は本が大好きだった。
藤沢の図書館に良く行っていて、読むべき本は全部読んでいたし、学校の図書館の本も読んでいた。
最初 文字が二つ、三つ重なると、言葉になると言う事を発見した。
「は」と「る」を重ねると「はる」になるとか、それが嬉しくてしょうがなかった。(3,4歳の頃)
言葉の発見が本好きになっていったと思う。
花が開く時の観察、通学路の野の花の観察、とか好きでノートに書き留めていた。
私が花の写真を撮ったりしたが、花の名前などを調べて、私に教えてくれたりした。
「ゆすらうめ」
「裏庭のゆすらうめ 薄紅色の小さい実 さみしいな さみしいな そろそろ揺れる小さな木
去年の実の中の小さな種が芽生えている。」
今は裏庭から、表に植え替えていつでも見れる様にしている。
36種類は庭の植物を観賞した詩ですね。
全部で14冊のノートがあるが、半分くらいは 220編の詩を書いている。
110編が作文、日記、童話 文章もたくさん書いている。
何をやっても一生懸命、真剣に取り組む子だった。
担任の近藤先生が家庭での学習を大切にして、その習慣を身に付ければいいですね、と言う事で始めた自由なノートだった。
ある時自作の詩を作った時に、詩に対して先生が褒めてくれて、詩を書くようになった。
私は忙しくて、土、日ぐらいいか接しなかった。
北原白秋の童謡集を膝に乗せて、二人で交互に一行、二行 読むことが、2,3年続きました。
それが触れ合いの時だった。
1988年 高校1年の夏、水の事故にあう。 一言でいうと信じられない、という思いです。
明子の祖母が作った歌
「ことごとにあきらめがたき思いあり 手帳の端の 父の字にそや?」(聞き取れず)
14冊の学習ノートが見つかり、ワープロで文字を打ってすこしずつ纏めてきたが、17歳の誕生日を迎えられなかった明子の誕生日のお祝いに、詩集にしてプレゼントしようと思った。
一番最初は詩集ができて、クラスメート、先生方にお配りした。
大きな広がりを見せたのは、全国紙の新聞のコラムに、自然の素晴らしさを捉える感受性のみずみずしい事に打たれたと紹介して頂いて、大きな反響があった。
詩の授業をされている学校があって、そこで3,4時間の時間を取って紹介してくださったりした。
詩集展の開催等も行われ、発展して行った様に思う。
田中澄江さんに本を届けたくてお訪ねして、本を渡してそれをご長男に渡してくださって、ご長男は絵画教室をやっていて、その生徒さんが詩集を元に絵を書いてくださった。
それを詩に添えて展示会をした。 それが第1回だった。
全国で25回になる。
最近小学校、中学校でもやっていただけるようになった。(毎年 4、5校 全部で18校)
福島県では5校 「すみれ一輪 春の花」 を輪唱みたいに、朗読してくれた。
「弟」と言う詩を読んで、姉とは仲良くなかったが、風邪をひいた時に姉の想いを感じて、これからは仲良くなれそうです、との感想文を頂いた。
「弟」
「せっかくの日曜なのに せっかく青空がまぶしいのに きんもくせいが匂うのに
緑の木さえもまぶしいのに ただ弟だけが疲れはてている 何の病だろう
布団にもぐり眠っている 昨日の元気はどこにいったのだろう 昨日ふざけていた元気はどこへ行ったのだろう 弟よ 元気に早くなっておくれ」
弟とは2つ違いです。 家族の事も他にも書いています。
「生きる喜び」と言う詩
5年生の感想 私は「生きる喜び」と言う詩を勉強して、今まで生きてきたけど、生きるってこんなにいいことなんだなあと思った。
この詩を勉強しなければ、思わなかったと思う。
堀さんは私と同じ小学生なので、こんなことを思えたと思う。
「生きる喜び」
「あー生きる喜び 生きているから喜びがある 美味しいものを食べる喜びも 美しい感動し
見いることの幸福も 生きているから味わえる 生きる喜びに比べれば
少しばかりの不幸などなんでもない」
辻邦生さんがお手紙を下さった。
明子さんの詩的直観で、あの幼さで、深く理解しておられるのですね、と言葉を寄せてくださった。
今は詩に写真をそえる様な形でやっています。(私の花の写真と、弟の外の写真)
2002年の会場での観想 素直さ、優しさ、繊細さ、人を思いやる心を持っていますね、それでいて鋭い。
植物のことを本当によく知っていますね。
これから野の花のなかに、雨風の中に、葉の影にあなたと出会うでしょう。 等々
多分1000通を越える感想文があります。
歌にもなっているが、今まで、主なもので、10回ぐらいのコンサートを開いて下さっています。
「おじぎ草」 横浜市立川上小学校?の合唱クラブの歌。
歌とか朗読詩とかしてくださって、その声を聞いていると明子の命が蘇るという想いが強くします。
教科書にも取り上げていただいた事もある。
知らず知らずに心が穏やかになって、そんな気持ちを味わってくれているのかなあと感じます。
変わりやすいもののなかには、人の心を全面的に癒してくれるものがある、という言葉に出会ったが、花の美しさ、儚さ、でもその美しさは花が枯れてしまっても、消えることは無い。
明子も花の詩、野の花の詩をたくさん書いているが、人の心をそういうもので癒しているのかなあと思います。 何かとは、はっきり分からないが。
私が出会った言葉の中で、ふっきれたのが、「悲しみの深さは愛の深さ」 「愛するものは消えない」
「愛する人は積極的になって、愛する時全ての力が生まれる。」
かけがいのない財産である自然、そのことを伝えることができれば、感じていただければいいかなあと思います。
「空の色 今は青い 美しい空だけど 100年ほど時が過ぎれば 何色になっていることやら」
「はなび草」
「本当はあぜかやつぎ でもずーっと私は、はなび草って言っていた その方が合っているし
私もその名が好きだから 線香花火の様なその草が好き だってその草が道端に見られるようになると 水泳だって花火だって 出来る季節になったってことが、はっきり判るから」