1940年生れ国立音楽大學 バイオリン専攻卒業後 東京交響楽団にバイオリン奏者として入団
その後2005年まで楽団長をおよそ30年間勤め、現在は、日本演奏連盟専務理事で東京交響楽団の最高顧問を務めています
財団法人所沢市文化振興事業団 理事・アドヴァイザー
社団法人日本オーケストラ連盟 副理事長
年末 恒例の第9演奏 月22回が最高に有った 全国では恐ろしい数の演奏がある
90%以上は地元の合唱団 所沢に第九を とアマチュアが頑張っている
昔終戦後 東京フィルハーモニーの青島俊夫さんが楽団員に日ごろ安い給料でやっているので、一時金を考えた時に第九ならばチケットを売ってくれるだろうと(昭和22年ごろ)
之が当たって、きっかけだったと言われているが、 日本人に有った曲だと思う
第九の後に蛍の光 喜んでくれる
入場料はN響よりも高い(東京交響楽団)
第九を聞いて、歌って 新しい年を迎えたいと言う思いですかね
3楽章の処 フォルンの演奏があるが、緊張する部分 フォルンだけ4人いる、が4番奏者に突然ソロを吹かせる(普段は陰の役割をしている4番奏者)
練習は旨く行くが 本番になると緊張する(アマチュアは問題ないがプロは緊張する)
70分を越える曲
ベートーベンが嫌がらせの為に第4奏者にしたんではないかと思われる程の緊張を与える
東京コーラス アマチュアの合唱団がある レベルガ高い
楽団長を30年 バイオリンオーデションを受けた ブラームスのバイオリン協奏曲を弾いて入った
1963年(昭和38年)に入った
楽団長 立場上は会社の責任者 社長の役割
好調だった経営が経営不振に陥り 芥川也寸志さんと相談して楽団長に辞めて貰った
(20歳年上の人だった)
その時に後釜をやることになった 36歳の時(入団後12年の時) 協力者も居た
日本フィルハーモニー 昭和31年に出来た楽団だったが旨く行かなくて新日本フィルハーモニーになった 採算が取れない 演奏会だけでは赤字(4000から5000円では赤字)
オーケストラ 事務局と楽団員 という会社組織みたいなものが2つある
事務局は採算を考える
楽団員は響きのいいところで良い指揮者でやるのを望んでいる
いつも芸術家ならいいが 或る時は労働者であるので 経営者としては苦労する
人数は100人は必要 いろんな曲をやらなければいけないので 120人位はいないといけない
お金の苦労が一番多かった オーケストラ連盟
いま日本で 32団体が会員 各団体で苦労が多いと思う
NHK交響楽団と言えども大変だと思う
国民の理解度が外国と違う フランス 市民の為の オーケストラ、オペラ 市民から我が町にも持ちたいと市民からの要望が有った
日本の場合は殆ど海軍軍楽隊の人達が引き揚げてきて、オーケストラをつくろうと、音楽家から発言です
あちこちで運動を起こしてオーケストラを作るので援助してください
と国や企業に頼んでも、基本的には興味が無い
最終的には好きなことをやってんでしょう そんなに助けませんよと 言う事になります
国民の芸術に対する考え方が全く違う 何年経っても市民運動にならない
クラシックは敷居が高いと言う目で見られている
大衆化したからどうなんだと 東日本大震災での音楽へのおもい 本当の姿がしみいる
芸術と言う言葉がよくない もっとポピュラーな言葉がほしい
国からの援助は7~8%
第九は外国の指揮者に取ってみては、違う
N響で72歳のときに初めて振った(外国の有名な指揮者)
大事にする曲 そういう位置付けの曲(気高い曲)
シラーの詩 とっても全体のレベルは上がったが、やっぱり何か足りないなあと思った
低音の厚みが違う 日本のオーケストラはあそこまでは行かないのではないかなあと思う
N響は流石だと思う チェロバスは違う それは歴史だと思う
街全体がそう 昔のものを大事にしようという思いがそうさせるのでは(欧州との違い)
トロンボーンの募集で86人が来た(1人にとるのに しかし誰も取らなかった)
危機に陥っている 10年経てば半分になってしまうのではないか?
第九のお陰でクラシックが大衆化したと思う